見出し画像

龍を癒やし繋ぐ旅8

さて、江ノ島最後のお話は
江ノ島大師で授かったものだ。

その前に実は江ノ島神社の楼門をくぐると
龍と弁財天と童子達の像が迎えてくれる。

龍と弁財天

その弁財天が持っている金の剣と玉。
これをみたとき

無意識に
”ああ、私、これを授けてもらいに来たんだ”と脳裏をよぎり


”その剣と知恵を授かりにきました。”と無意識に弁財天様に手を合わせていた自分がいた。

剣と知恵と言ってもいつものように
みえないエネルギー的なそんな感じで気がついたらオーラに転写されていた

とか

ビジョンで降りてきてダウンロード

とか

参拝する事で受け取る御利益的なそんなものと思いこんでいた。

洞窟から戻る途中
右手の方に何やらお寺のような建物を発見。


高野山真言宗 最福寺の関東寺院
赤い不動明王

江ノ島内は神社とばかり思っていたのでまさかお寺がでてくるとは思わず、少し違和感を覚えた。

”え?お寺なんてあったっけ?記憶がない”

おもわずつぶやいている自分がいた。
あるはずがないと思い込んでいるところに何かがあると拒否反応が起こるのが脳の仕組みだ。笑


新しいものを受け入れられない脳の自然な拒否反応は私にもある。


覗いて見ようかどうか迷っていた。
強風で首をやられめまいが若干出てきていたのと


洞窟でコンプリートしていたと思いこんでいたので、神社ではないからまあいっか
という理由で一度素通りした。


それに写真を見ての通り、入り口が奥の下の方で入りづらいという事、お寺には不慣れな私は勝手に入ってもいいものなのだろうか?と怖じ気ずいた自分もいた。


しかし少し行った所で

”ん〜、年末だし、新年迎える前に厄落としという事でどうなっているのか覗いて見てもいいかも。せっかくここまで来たのだし、見つけちゃたしwww, ダメ元で行ってみよう”


実はこの瞬間に
日本へ行く直前に友人にやったセッションでみたビジョンが不動明王や、護摩焚きだったのでそんな話をしてきた事も思い出した。


”よし! やっぱり行っとこう。”


引き返した私は
門をくぐり、スロープを下って入口まで歩いていった。どうやら自由に入っても良さそうだ。

御朱印を持って出てきた人もいる。
少しホッとしながら中に入ると

目に入ってきたのが梵字。

真言密教系か?
梵字なんて珍しくないか?

高野山真言宗、ん?

ん?

高野山って弘法大師じゃん。

えええーーー!!!
く、く、空海〜。

洞窟に空海がいたのもビックリだが、
ここも空海か!!!!

なんなのだこの密教ネットワークで繋がるエネルギーは?!

と驚きつつ
私の心が
ピーヒャラピーヒャラとダンスを
し始めたのは言うまでもない。


レイキ習得の際に一緒に学んだチベット密教の教えと真言密教。真言密教もまたコトタマの奥義の事。そしてここ数年良く耳にする空海。どんどんつながっていくシンクロ。


今思い出しだのだが、
そう言えば、最初に習ったレイキの先生は中国のどこかにある龍門寺という所から老子の称号をうけており、そこでレイキを習った私達は修行僧として登録されたので、陰陽師のようなものだと先生の奥さんに言われた事があった。


随分遠い記憶だが、思えばこの頃にそうゆう種を蒔かれていたのかもしれない。笑


普通に考えたらあまりにも怪しい話だが、
もう自分の生きている世界線がおもしろおかしすぎて本当にこのパラレルにいる自分で良かったとクスクス笑ってしまった。


ニヤニヤしながら
洞窟で終わりじゃなかったんかい!!
と自分へツッコミをしながら入って行くと

そんな気持ちも一気に落ち着き
ふっと我に変える事ができた。

そこはまるで観音界の世界のように
静寂で心安らぐ空間だった。
奥から注がれる木洩れ日の中でご住職がもの静かに何かを作っているのが見える。まさに”禅”という美しい空間が創り出されてた。


室内にある像としては国内最大級6m正面座らせて頂きエネルギーの垢を燃やして頂く。おりんを叩くと低くて穏やかな音が響く。


どうやらお堂の中に入っても良さそうだったので靴を脱ぎ入ってみる。

中央には
立派な赤不動明王がおりその大きくて迫力のある赤不動明王を目の前にすると
凛とした気持ちになる。いかにも心を見透かし、全ての罪穢れを焼き尽くしてくれそうだ。


私は目の前に座りおりんを叩く。
目を閉じると
禅が私を包み込む。


寺院独特のこの静寂さも悪くない。
背筋が伸びるような強さと梵字が作り出す優しく包み込んでくれる空間が心地よい。

まさにコトタマ精神世界だ。私の心も共振し、静寂を保ち始める。一気に中今に戻される。

(*中今:合気道用語で今この瞬間という0ポイントフィールドの事)

この1年溜め込んだ邪気やら何やらをそのエネルギーで燃やして頂き、おりんの響きがなり止むまでココロ静かにゆっくりと体感をしていた。


気づくと2人ほど後ろで待っていた方々がおられたので

お待たせしてすみませんと
軽く会釈をしてその場を下りた。

御朱印帳を持っていた私は
せっかくなのでここでも頂いていこうとおもい、


受付まで行くと
あるものに気づいた。

あ!!!!!!!!!!!!

剣と智慧(玉)

そうなのだ。江ノ島に入った時に弁財天様に授かりにきましたと伝えていた”剣と智慧”がここにあったのだ。


こんな事ってあるだろうか???


まさか折り返して来た場所にそれが用意されていたとは思いもよらなかった。

しかも物理的にとしてこんな形でだ。

もう笑うしかなく
なぜあそこで引き返したのか、いや引き戻されたのか理解できた。

これで本当にコンプリートだ。
入る時に宣言をしているのだから
受け取って来なければ終わらない。笑

そんなこんなで形あるギフトをしっかり頂くと島の入口方面へとまた歩き始める。


あとは帰るだけ。とホッとした時、


ある思いが浮かんできた。
あ、やはりそうか! 
という気づきの声が聞こえた。

”空”→何もない、

”海”→潜在意識を生む

天と地
精神と現実の境界線
宇宙と地球の境界線

どうゆう事かと言うと、

世界創造は自由自在で
全て自分の中から生まれる
外の世界は自分の精神世界だ

という事だ。

これをご存知の方も多いと思うが、やっとこれが心で捉えられるように
なってきたという体感が出た。

頭、ではなく
心、の体感だ。


レイキの波動体とは全て内なる神聖な
エネルギーなのではないかと思っている私はそれが確信へと繋がっていくのを感じた。


それはやはり
自分の中から出てくるものなのだ。
そこを理解出来てこそ本来の
力を発揮できる。


レイキは自己意識が何処にあるかでその質がいとも簡単に変わってしまう。

だからしっかりとその神聖なエネルギーに繋がるにはもちろんレイキでの自己改革も必要だが、さらに様々な教えをしっかり身につけ自分の中にある叡智と繋がっておくことが大事なのだ。

空海は外の世界ではなく
自分の中にいる。繋がりたければ
自分と繋がればいい。
空海は自分自身だ。


みんなの中に空海がいる。重なっている。
そして空海だけではなく
歴史に名を残した先祖達は皆自分中にいる。


そう心の底から素直に受け入れられるようになると何だか嬉しくなってくる。


それに気づかせる為に先人達は様々な所で
ヒントを残してくれているのだ。

古代文献のフトマニにも、
密教のくじ切りにも、仏教の五重塔にも、
神道のあいうえおにも、生命の木もピラミッドの形でさえもみんなレイキのシンボルが重なるという事を示している。


本来どうゆうものなのか?という本質を
暗号という形で私達という子孫に残してくれていたのだ。


何百年、何千年、何万年も先を見据えて
動いてくれていたのだ。


そんな気の遠くなるような時間の流れを走馬灯のように体感した私は


”すごいなあ〜昔の人ってすごいなあ〜”
とはあ、はあ、と息を切らせながら
先人達に対して
感動と感謝の気持ちをめいっぱい
飛ばした。


何とも素晴らしいギフトだった。
頑張って来た甲斐があった。


+++

さて、長くはなるが
実はもう一つ
スピリチュアルらしい〜
ギフトを授けてくれたので


簡単にその話をさせてもらおう。


それはレイキの波動体を鼻息1つで
全部一気に出せるようになった事だ。笑


それで一気に出すと、マスターシンボルが2段階に変化し、瞑想状態になる。


大丈夫か?と思いつつも、

息が上がった状態ではあったが、
歩きながらやってみた。


すると全てが交わり全てが素粒子化し境界線が無くなり一瞬で空間と同化するのだ。


一瞬立ち止まり、体感する。
すごい、すごく心地がよくなり
粒子さえ感じられ、その後感覚がなくなり自分もなくなった。完全に素粒子化か?


と思ったら


自分が光の中にいて天女と重なったように感じた。辺りは複数の天女が飛びかっており、ここは天女界へ入ったか?と思った。

(#絵心がない為、イメージを描き出せないのが残念である)


まさかと思うが、天女界へ行けるようになったのか?


ヤッター!! これはいい✨これはすごいぞ。

こうやって天女界と繋がれるなら
ご神事の時はこの領域に入って
進められるではないか!

というか、手伝ってくれるのか?
だったらすごく嬉しい!

くう〜、ご利益ありがとう〜!

ありがとうございます〜!


そう思いながらホクホクしていると
既に外界へと降りて来ていた。


気づけばお昼を過ぎており、お土産屋さんや売店が見えてくる。
人もチラホラ、あとからあとからすれ違うようなっていた。


お腹もかなり空いており、ここで何かを食べなければ途中でのたれ死ぬと思った私は売店でスナックを買い空腹を満たす。

食べるってすごい。力がどんどんみなぎってくる。栄養を補充した後はお気楽に観光。江ノ島土産を堪能し、駅までの道を
トコトコと、もちろん突風の中をまた歩き始めたのである。


かなり短く感じていたが、3時間くらい島にいたようで電車の席に座るとまるで浦島太郎がおじいさんになったように一気に老け込むようなそんな疲れが出てきた。

体がズンっと重くなり、かなりの体力と気力と精神力を使ったのだなと実感した。

突風のせいで耳も遠くなっていた私は
暖かい電車の中で脱力し、気づけば
一駅コックリと寝てしまっていたのだ。


全ては自分の中に


第2関門突破。


***
江ノ島大師

弘法大師空海が”金亀山予願寺”をここに創建したと言われており、
明治維新により予願寺廃止。お寺の神道部分は江ノ島神社となり存続。平成5年に弘法大師の真言宗である江ノ島大師となって創建されいまに至る。以外にも最近できた寺院である。弘法大師空海が社殿を創建したのが始まりらしく、島や神社にコトタマ(真言)の名残りがあるのも納得。
当時仏教が流行っていた為
口伝のコトタマ奥義を真言宗として仏教的に伝えていたと考えるとそれもつながってくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?