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母はしばらく帰りません 5

 弟の光太郎は、昔から女の子にモテた。それこそ小学生の頃から。バレンタインの日には、同級生からだけでなく、上級生や下級生の女の子たちから贈られたチョコレートを、紙袋いっぱいに家に持ち帰って来た。(そして輝子はそのチョコレートを鼻血が出るまで食べまくった)。
 それでもその頃は、女の子と手を繋ぐより、親友のタマールと自転車を乗り回している方が楽しいようだったが、中学校に入ってから、初めてガールフレンドが出来た。その時期のことは、すでにロンドンに留学していた輝子は、直接には知らない。けれど母がまめに電話で報告してくれた。
「なんて言うのかしら? 今の子って、本当、ませているのね。びっくりだわ」
と、母はそんなことを言いつつも、嬉しそうだった。
 光太郎のガールフレンドの顔触れは、まるでシャツを脱ぎ変えるように、ころころと変わった。終いには母も呆れたらしく、わざわざ輝子に報告してくることもなくなったほどだ。
 ませている、なんて言われても、所詮は子供の付き合い、おままごとの延長みたいなものなのだろう。だから簡単にくっついて、すぐ別れる。輝子も、そしておそらく母もそんなふうに思っていた。
 でも、高校生になっても光太郎は相変わらず、いや、益々モテて、次々と新しいガールフレンドがやって来ては消えた。
 まだ、本当に好きな子に出会っていないのだろうな、と輝子は少々同情していた。弟にも、弟を好きになる女の子たちにも。
 一度だけ、輝子は弟がガールフレンドの一人と居るところを見たことがあった。そこはファーストフード店で、二人はぴったりと寄り添うように並んで、ポテトを摘んだり、シェイクを飲んだりして、とても楽しそうに見えた。
 へええ、可愛い子だねえ、とレジに並んだ輝子は、弟に気づかれないように二人を覗き見た。髪も梳かさず、自転車に乗っておやつを買いに来た、部屋着姿の姉を見られたくないだろうと、一応気を遣ったのだ。
 同じ学校の子なのだろう。スペインかイタリア系の、人目を引く綺麗な少女だった。おまけに「あなたと居るのが嬉しくて、嬉しくて仕方がない」って顔が、離れたところからでも分かった。
 あんな美少女に想われて、果報者だねえ、輝子は温かいテイクアウトの紙袋を抱えて、そっと立ち去ろうとした。
「あ、テルちゃん!」
と、店内に響く大声に、輝子は文字通り飛び上がった。振り返ると、人目も気にせずに、光太郎が立ち上がって腕をぶんぶん振り回していた。輝子は曖昧な笑みで、軽く手を振り返してそのまま出て行こうとした。しかし光太郎はズンズン近寄って来た。
「テルちゃん。何で行っちゃうの? 俺の声、聞こえた? 呼んでいたんだけど」
「いや、聞こえていたけどさ……。あんた、友達と一緒だから遠慮してやってたんだけど」
「何で? ま、いいけど。ねーねー、何買ったの?」
と、無邪気に紙袋に鼻を近づける。
「エビバーガー」
「あ、いいな! 金持ちだ。他にもなんか買っただろ?」
「ポテトとコーヒー」
「うわあ、贅沢な! コーヒーぐらい家で淹れろよ。それと他には?」
「アップルパイ」
「テルちゃん、今から帰るんだろ。俺も一緒に帰るよ」
「やだよ。お前、人のオヤツにたかるつもりだろ? それに彼女に悪いだろうが」
「何で?」
と、大きな目を丸くする光太郎は、姉の目から見ても、眩しいくらい可愛らしい。
「いーよ、いーよ。どうせもうそろそろ帰るつもりだったしさ」
と、くるりと彼女の方に振り返って、
「じゃー俺先に帰るから! バーイ、リオ。また明日!」
と、英語で叫び、輝子の背中を押して店の外に出た。
「ちょっと待てよ。これじゃリオちゃんが可哀想だろうが。オヤツは分けてやるからさ、お前は戻りなよ」
 いきなり店に取り残されたリオちゃんは、とにかくびっくりしていた。さっきまであんなに仲良くお喋りしていたのだから、無理もない。きっと今頃、一体何が起こったのか。何か自分がしてしまったのかと悩んでいるだろう。
「えー、いいって。同じ学校なんだから、また明日すぐ会うし」
「……何、もしかして、早く帰りたくてチャンス窺っていた、とかそう言うこと?」
 とても仲が良さそうに見えたが、実はそうでもないのかも知れない。
 そこまで好きじゃないけど、ただ彼氏とか彼女とかが欲しいというだけ付き合う、とか。この歳なら、いや、年齢は関係なく、よくあることだよな、と輝子は理解のあるところを見せようとした。しかし光太郎は、
「いや、別に? 腹減ったから、そろそろ帰りたかったけど?」
と、屈託がない。
「彼女、可愛いね?」
「だよねー? 超人気あるんだよ。チアリーダーやっていてさ。なんか将来は、モデルとかなりたいんだってさ。だからいっつもダイエットとかしていて、ちょっと気使うよ」
「あ、そう……」
「ねー、バーガー何個買った? 二個は買ったよね?」
「……三個」
「やったあ!」
と、指を鳴らして大袈裟に喜ぶ弟に、恐らく三個中二個のエビバーガーは食べられてしまうだろう。輝子はそんな予感に慄くのだった。

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