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テクノロジーの発達に伴い、高度な技術や専門知識の多くが代替される時代に。何年も前から議論も予測もされているので、今更驚くべきことでもありませんが、これからぼくたちは何を価値として提供出来るのかについては、一考の余地がありそうです。

例えば、スマホデバイスに標準装備されているカメラを使えば、プロ顔負けの写真を撮ることができます。70点とか80点の写真が撮れてしまうので、素人目には、100点の写真との見分けがつきません。では、プロがプロたる理由はどこにあるのか、少し考えてみます。

ひとつは、一言で言うと、人柄と実績。キャラクターと、安心感。これはまあ想像できると思うので割愛します。

もうひとつは、その人の「哲学」。哲学にこそ、価値は宿るのではないかと考えています。写真であれば、撮影する対象やタイミング、切り取り方などに表れる思考やコンテクストなんかがそうで、見れば「あの人の作品ぽいな」と判別できる何かのことを指しています。

前者と後者の違いは、デザインとアートとのそれにも似ているかもしれません。ブランディング・差別化と言ったメタカテゴリの中に位置している点では共通しているとも考えられます。

個人的には後者の「哲学」に強く魅力を感じるのですが、皆さんはどうでしょうか。個人の価値観、才能、個性、体験、思考方法、つまり「哲学(括り方は適切でないかもしれませんが)」に魅力を感じるぼくは、自他問わず、多くの素晴らしい哲学に触れられる人生にしたいと考えています。

例えば、読書。

本の中には、小説や学術書などジャンルは問わず、作者の哲学が吹き込まれているものが数多くあります。(マーケティング戦略上の意図で販売されているコンテンツの多くは例外)

例えば、映画。

映画も同じで、どのジャンルを観ても監督の哲学、ドキュメンタリーなら登場人物の哲学に触れることができます。「自己分析より、映画観ろ。」というイベントをやりながら、集まる人たちがその哲学について触れる機会を設けています。

哲学とは、知を愛すること。

多くを学び、多くを経験し、自分自身の哲学を磨くことで、この世界に存在する感動をより美しく認識することができる。そして、より多く体験することができると思っていますし、それを沢山の人と共有できたら、本当に幸せだなと思っています。

ここからは妄想ですが、知を愛する「哲学者」たちが集う場所はないのかと。Mensaみたいな、フリーメイソンみたいな、ファクトリーみたいな、わからないけど、そういう「知を共有する環境」がぼくの周りにはなくて。

古代の哲学者たちがそうしてきたように(知らんけど)、議論し、教え合い、知識を深め、世界を知り、自分を知る、みたいな環境があると「ぼく得」なのです。そんな「前提」をつくるグループを数名から始めてみたいなと妄想していました。(今やってるのは学習習慣応援のためのグループなのでまた別個の取り組みです。)

月間でテーマを決めて、毎週定例で集まって(オンラインで)、ディスカッションとか、ディベートとか、プレゼンとか、そういうの。本気で勉強したい人だけが集まる場にしたい。その辺りの設計はもう少し落ち着いたらやります。という宣伝の投稿でした。

映画イベントもぜひ覗きに来てください〜


多くの人の個性や表現が埋もれてしまわないように、クリエイターとして、価値を掘り出し、届ける活動を行ってまいります。ブランドづくりに軸足を置いていますが、メディアでの発信や書籍展開など、活動の場の創出ができるようにも努めてまいりますので、どうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。