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心に残る出来事が、失われてるような時代だけど。

変な時代になってしまった。

去年の4月から
小学校の先生の仕事に復帰して思ったのは、
クラスの子ども達の顔が分からないということ。

放課後にマスクをしていない子が
自転車に乗っていても
自分のクラスの子だなんて微塵も思わない。

翌日、クラスの子に

「昨日遊びに行く時、先生とすれ違ったよ!」

と言われて、
〝あぁ!もしや、あの子が!〟と
何とも申し訳ない気持ちになる。

逆にいうと、子ども達は担任である私の顔を
しっかりとは知らない。

学校からのお便りで
先生紹介の写真が載っていた時なんて、
子ども達に食い入るように写真を見られた。

「へぇー、先生こんな顔してるんだぁ…」

と、まじまじとマスク無しの写真を見られると
とてつもなく恥ずかしい気持ちになる。

マスクをしていないと相手に気付けず、
マスクを外すと恥ずかしい。

本当に、変な時代になってしまった。


この時代のせいで、
教育現場でも、あらゆる規制ができた。

リコーダーや鍵盤ハーモニカを吹く時は
間隔を1メートル以上あけて、とか
3年ぶりのプールの授業も
先生はシリコンみたいなマスクをして、
子ども達は静かにプールの授業を受けて、とか
授業参観は少人数で、とか。

そして、給食は全員机を離し
前を向き、黙食。

おかわりもダメ。

友達と机を向き合ってくっつけ、
ワイワイガヤガヤと笑い合いながら食べる給食の時間は
まるで過去の産物と化して
子ども達の中で
最初から無かったみたいになってしまった。

私が子どもの頃の給食の時間はいつも賑やかで、
昨日みたアニメの話や習い事の話、
家族の話でもちきりだった。

「今日も牛乳早飲み競争しようぜ!」
「いいよ!また私が勝つけどね」
「オレ、今日はやめとく!審判していい?」

家じゃ怒られそうなことも
先生に見つかったら怒られそうなことも
給食だったらガヤガヤした空気に紛れる。

こっそりやった牛乳早飲み競争は
20年以上経った今でも忘れていない。

給食が大好きな子が
山盛りよそってもあっという間に平らげ
おかわりする為にガタッと席を立つ。

そんな様子を見ながら

「すげぇー!」

と、クラスの友達が声をあげる。

表情ひとつ変えず、
またもや山盛りよそう子を
給食が苦手な子達が羨望の眼差しで見つめる。

苦手な食べ物が出ても、
前に座ってる子が

「これ、ほんとに美味しいって!
一口でいいから食べてみろって!」

というもんだから
渋々顔で食べた子。

「ほんとだ!うまっ!」

と心の底から驚き、
食べきった後の誇らしげな顔へと変わるのが
何だか面白かった。

デザートのおかわりは
その日1番の
白熱した戦いが繰り広げられる。

ジャンケンに勝った子は

「ッシャァァァァァァ!!!」

と拳を振り上げ、雄叫びをあげる。

逆に負けた子はがっくりと
静かにうなだれる。

そうなのだ。
給食には、案外ドラマがある。


自分が先生になってからの給食は、
クラスの子ども達と
コミュニケーションをとる時間になった。

ご飯を食べながら何気なくする会話は
お互い素に近くて
子ども達との距離が縮まった気がした。

中休みを過ぎると
漂ってくる香りに

「あ!今日はカレーだ!」
「いいにお〜い!」

と喜ぶ子ども達。

黙食だろうが何だろうが
いつの時代も
やっぱり給食は待ち遠しい時間だ。

特に体育のあった日は
子ども達の〝腹減ったコール〟が凄い。

良い香りにつられて
今日の献立が何かを当て始めるもんだから
もう算数なんてやってられなくなる。

そして、いつまでも不動の人気を誇る
カレーと揚げパン。

こんな長い間、
人気者でい続けられる秘訣を
ぜひどこかの雑誌記者の方に
インタビューしてもらいたい。

だってカレーと揚げパンくらいじゃない?
これ程までに人気であり続けてるの。

給食の献立が揚げパンの日なんて
朝、教室に入った瞬間に

「先生!今日の給食揚げパンだよ!」

と、子ども達に声をかけられる。

揚げパンが出ることは
私のクラスでは新聞の一面記事や
テレビのトップニュースと同じ扱いになる。

それを聞いて

「ヨッシャー!」

と、思わずガッツポーズをしてしまうのは
何を隠そう、この私である。

お分かりの通り、
給食が大好きなのは
子ども達だけではないのだ。

もちろん給食が得意じゃない子もいる。

だけど、昔みたいに
食べられない子はずっと残される
なんてことは、もう無くなった。
それはとても良い変化だと思う。
だって、給食が地獄の時間だ、なんて
誰にも思って欲しくない。

アレルギーがある子も
偏食な子も
少食な子も
どんな子にとっても給食の時間は
安心して過ごせる時間であって欲しい。

給食は楽しい時間。
給食は好きな時間。
給食は美味しい時間。

そして、給食は
心に残る時間。

何を食べるかだけではなくて、
誰とどんな風に食べるかが
実はものすごく大切だったんだと
昔のような給食の時間が失われたこの時代に
改めて感じた。

同じご飯を囲むことは
同じ食卓を囲むことは
時代をこえて
年代をこえて
時間をこえて
繋がる何かがある。

4月が始まる。

新年度が始まる。

子ども達の笑い声に包まれた給食の時間が
少しずつ戻って
また、誰かの心に残るといい。

そんなことを
ある小学校の教室で、
私はひっそりと願っている。

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