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無駄は無駄じゃない

本格的に梅雨入りして、毎日憂鬱なお天気が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分は毎年そうなんですけど、元々家にいる時間が極めて少ないことに加え、このお天気ですからなかなか洗濯物が回せなくて困っています…笑

さて、今回のテーマは「無駄なこと」の価値です。

ここ10年ほどで世の中は機械化、AI化が進み非常に便利な世の中になりました。
実際今私がこうしてスマートフォンをポチポチしながらこの記事を書けているのも冷静になって考えてみると凄く画期的な事だなと思います。ましてやそれがインターネットを通じて全世界へ発信ができる訳ですからね。

また、今や実際に店舗に足を運ばなくても大抵のものはネットショッピングなるもので手に入る世の中ですね。
僕も基本的に外で買い物をすることは無くなりました。
服も、ちょっとした生活用品も全てAmazon等のサービスを利用して購入しています。
東京に住んでいると大半の人が自家用車を持っていないので、あまり重たい荷物を外で購入することは向いていないのですよね。
なので自宅まで配達してくれるネットショッピングは便利なんて言葉では言い表せないほどのものだと日々感じております。

もっと日常的なことで言えばLINEなどのメッセージアプリもそうですね。
手軽に誰かにメッセージを届けることが出来るのも凄いことですね。

また、大学の授業や、会社も昨今のご時世の影響でオンライン化が進みましたね。
朝起きてパソコンを開けば直ぐに大学の教室、会社に居る、という大袈裟に言ってしまえば、ドラえもんのどこでもドアのようなものが出来上がってしまいました。
たしかに朝の満員電車は憂鬱ですし、働く前から疲労困憊なんて話は皆様もよく耳にすると思います。
会社側も交通費を支払わなくて済むし、家でもできるのであれば家で十分。何をとってもそちらの方が効率的ということでしょう。

この2年で無駄なことと必要なことの分別が社会全体的にかなり進んだように思われます。

ただ、凄く個人的なことを言えばどこか満たされない部分があるのです。

より効率よくして、必要なものだけ揃えれば生活は豊かになる。
たしかにこれは一理ありますし、自分も以前はそう考えていました。

しかし今は、無駄なことからこそ小さな幸せや、価値がうまれるのではと考えています。

似た話で言うと、人は、楽して手に入れた例えば泡銭のようなものにはあまり価値を見いだせないが、苦労して手に入れたものには通常の何倍もの価値を見い出す。
これだと思います。

先日友達と横浜に買い物に行った時に、買い物という行為自体がすごく久しぶりで、ある種新鮮で楽しかったんですよね。ネットショッピングだとお目当てのものしか見ないけど、買い物に出かけると、今ってこんな商品があるんだって新たな発見になったりして。

飲食店だったら、渋谷のガストなんかでも、既にロボットが配膳してくれます。モバイルオーダーもかなりの店舗で増えましたね。レジも無人レジが増えましたね。
凄いし、人件費の削減にも確かに繋がるけれどやっぱり温もりがない。
人におすすめを聞いたりしながらオーダーして、人から提供してもらって、誰かと一緒にそれを共有することにこそ価値があるのかなと私は思っています。
わざわざ人が介入しなくても、ネットや機械にやらせれば~という意見はご最もではあるのですが、わざわざ人が介入するという無駄な行為にこそ温もりが生じるのかなと。
そういう意味では、以前から、レーンに乗って無機質に運ばれてくる回転寿司はあまり好きにではありません。

大学のオンライン化も自分は苦手でした。
たしかに単位の取りやすさ、朝ギリギリまで寝ていられる等メリットも沢山あったし、実際そのメリットの恩恵も沢山受けました。
ただ、授業と授業の間の時間に生まれる友達との無駄な会話だったり、実際生でしか感じることの出来ない空気感や、わざわざ早起きして電車に乗って登校しているからこそやる気になったり…
挙げればキリがないほどの無駄なことによる良さがそこにはありました。
幸い自分の通っている慶應義塾では国内の他大学と比べて対面での授業の割合が高いのは嬉しいものです。

話すだけなら電話でも良いし、顔みたいならビデオ通話でも良いわけです。でも、実際に人と対面するからこそ、その人の僅かな表情の変化が見られたり、発する言葉の抑揚が分かったり、いろいろな感情をぶつけ合えるのだろうなと。
なので僕はコロナ禍当初からあまり、人と会うことを制限はしてきませんでした。
正しい感染症対策をした上でやっぱり対面したいなと。

少し話は変わりますが、自分はApplewatch等のいわゆるスマートウォッチも苦手なんです。

もちろん便利なことは分かりますし、逆に腕時計なんてわざわざ付けて、できることが時間を知るということだけなんて費用対効果悪すぎだろとは思います。
ただ、個人的に時計が好きというのがあるということは理解していますが、140年以上続いている腕時計の歴史を大切にしたいし、自分はなにかステップアップする度に時計を1本購入するのを決めていて、そこはひとつのステータスにもなる場所だと思っているので、電子機器にその場所を譲りたくないんです。
時間を知ることしか出来ないものに価値がある。

また、冒頭で少し触れましたがLINEも凄く便利だけど、お手紙だとより気持ちが伝わって素敵だよね。なんてことも今回のテーマに該当すると思っています。

わざわざ紙を用意して、ペンを用意して、手を動かして書く。

めちゃめちゃ無駄な行為に見えるけれど、それだけ労力をかけたものには愛も生まれるし、言葉にも熱が入って相手にも伝わる。
かく言う自分もお手紙の良さは数年前まで知らなかったですけどね。笑
以前お付き合いさせていただいていた方に良さを教えてもらいました。

変えていった方が良いものと、変えてはいけないもの。
これをしっかりと自分の中で、自己満足の領域で良いから区別していきたいものです。

無駄なことはそれだけ時間と体力を使っているからこそ逆に愛情を持てて、大切にできる。

無駄なことなんてなにもない!なんて在り来りなセリフがありますが、あれはあながち間違っていない気がします。

これからも無くても良いことや、無駄なことをしていって、大切な思い出を創っていきたいものです。

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