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ひょっとして差別しているのは自分自身?

暑いですね。
お久しぶりです。
相変わらずnoteは下書きだけが増えていくばかりです。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

今回のテーマは『差別しているのは自分自身では?』ということです。

差別と言ってしまうと壮大すぎるかもしれませんが、自分で自分を決めつけている、自分の限界値を決めている、ということです。

人間大人になればなるほど、ある程度の自分の実力や可能性が分かってきます。
部活動をしていても、自分はプロにはなれないなと自然と気付くものですし、勉強にしても自分は恐らくこの程度だろうなと気付くものです。

しかしながら、子供の頃であればそんなことはなく、自分は何者にでもなれる正に無限の可能性を秘めていると考えます。

もちろんどの成長段階で自らの限界に気付くかは各々の生活環境に大きく左右されますから、一概には言えませんが、誰しも無限の可能性を感じていた頃はあったかと思います。

もちろんこれは、自分自身を客観視出来ていることの証拠でもありますから、悪いことではありません。
また、周りを見て分析し、自分と比較するという、分析、比較能力も身に付いている証拠ですからね。

ただ、賢くなればなるほど、自分自身で限界を決めてしまうのが人間ですよね。

もちろん僕も例外なくそうです。
水泳を始めた小学校低学年の頃はオリンピックに出られたら良いなぁなんて簡単に思っていましたし、勉強もちょっと定期テストでいい点数をとるだけで才能あるのでは?過信していましたし。。笑

ただ、いつの間にか、誰に言われたわけでもなく、自分の身の丈を知ると言いますか、自分の居るべき場所を決めるのですよね、不思議と。

僕の場合だと、ずっと地元の公立小中高出身で、回りを見てみても、いわゆる難関大学に行くような人間は1人もおらず、また自分自身の成績を鑑みても、自分は恐らくこの程度だろうなと勝手に決めつけていました。

ただ、浪人が決まった日に、『いや、待てよ。ワンチャン大逆転出来るんじゃね?全く住む世界が違うと思っていた所にも行けんじゃね?』とふと思いました。

そこからというもの、すごく人生が楽しくなったんですよね。別に受かってもないのに。笑
そして紆余曲折あって、今現在慶應大学に通っているのですが、見違えるように周りの環境も、関わる人も変わりましたし、それによって自分自身も考えることや、発する言葉も変わりました。

勝手に自分自身の身の丈にあった場所を決めつけることを辞めて良かったなと心の底から思いましたね。

尊敬している経営者の1人の勝さんのお言葉で『成功しない人の特徴は、中途半端に賢い人』というものがあります。確かに、中途半端に賢くなると人は色々なものを想像することが出来、物事の程度を実際にそれに触れずとも予測することが出来ます。それは、自分自身の能力についても同じです。
一方、真の頭の良い人、(良い意味で)バカな人は成功しやすい傾向にあると。
もちろん何を持って成功とするかによっても変わりますが、真の頭の良い人が成功することは言うまでもないですが、バカな人も自分で自分の限界なんて想像することが出来ないため、まずやってみるというとても大切なことを自然と出来ているため成功しやすいのかもしれません。

そしてこれは何も能力や才能の限界といった話に限りません。
例えば、年相応の衣類を着るべき…なんてのも勝手に自分で自分を差別して、自分はここに分類されるとカテゴライズしているのです。

変に賢くならず、バカになって無我夢中で努力していくこと、勝手にカテゴライズせず自分の好きな自分になることが人生を豊かにすることに繋がるのかもしれませんね。

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