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映画『ジョーカー』。“いつでも笑顔でいること”とマスキュリニティについて。

大ヒット上映中の『ジョーカー』を観た。観た人がそれぞれの感想を語り合いたくなる。「誰しもがジョーカーになるうる」。ほぼすべての感想に通底しているのは、善と悪(喜劇と悲劇)の境界線の曖昧さへの理解。そして、憎しみや疎外感への共感のようだ。


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ピエロの目の下の「涙マーク」

極端なまでにメイクで引き上げられた、笑みをたたえるジョーカーの口角。

人は表情を笑顔にしていると脳がだまされて楽しい気分になってくる。つまり、笑顔でさえいればそれだけ気持ちがハッピーになる。人は他人の感情を表情のミラーリングを通して推し量ろうとすることから、笑顔は楽しい感情が伝播する手段としてもよく語られる。

クラウンとピエロの違いは、目の下に「涙マーク」があることで、その涙マークは、「人からバカにされ続けて本当は泣きたいくらいに心が傷ついている。けれど、それを悟らせないように。“たとえ自分が傷ついても、笑ってもらえれば充分”」と、ピエロを演じきる決意を示しているという説があるそう。

今作のホアキン・フェニックスが演じたジョーカーのメイクには、目の下に「涙マーク」が描かれている。これまでジョーカーを演じたシーザー・ロメロにも、ジャック・ニコルソンにも、ヒース・レジャーにも、ジャレッド・レトにも目の下に「涙マーク」は施されていない。

PUT ON A HAPPY FACE.

ホアキン演じるアーサー(ジョーカーの実名)は、母親から言われ続けてきた言葉を自分に言い聞かせる。

「頑張っている人に頑張れ!」と言わない優しさがあるように、「笑顔の人に、笑わなくていいよ。泣きたい時は泣いていいんだよ」とばかりにただ隣で寄り添う優しさがある。

アーサーには、そうさせてくれる人、そうできる居場所がなかった。

マスキュリニティの弊害

泣きたい時に笑っていなければいけないつらさ。そういう意味では、『ジョーカー』は“マスキュリティ(男性性)”の弊害を描いた作品でもあるのかもしれない。「男たるもの感情を見せるな」という社会でノーマルとされる男性性の基準に順応しようとすることで、男性は孤独、不安、苦痛がより深まると言われている。この状態が続き、ストレスがかかると「感情のスキル」が不完全な状態となり暴力行為など極端な衝動を引き起こすことがあるのだという。

アーサーは人一倍優しい人間でもあった。

劇中、チャップリンが映画『モダンタイムス』で使用した楽曲『SMILE』が象徴的に使われる。資本主義の下、労働者が機械のように働かされ、結果的に精神が蝕まれている物語だ。その悲劇をチャップリンは喜劇として描く。この楽曲はその後いろいろなアーティストによって歌われたが、私にとっては何といってもマイケル・ジャクソンが愛した曲としての印象が強い。

マイケルにも思い切り泣ける場所が必要だったのかもしれない。

ジョーカーとハロウィンと

居場所を求めてアーサーはさまよう。そして、外界との関係性が遠ざかれば遠ざかるほど、閉ざされれば閉ざされるほど、アーサーはジョーカーになっていく。

今年もハロウィンがくる。昨年は渋谷で自動車をひっくり返して暴れる若者を筆頭に、なかなかの惨状となった。都市開発が進み街がどんどん無機質になっていくことに比例していくかのように、年々騒ぎが混沌としている。日常の鬱憤をはらすためのトリガーを求めているのだな、と渋谷スクランブル交差点あたりがカオスとなる光景をニュースなどで目にする度に思う。彼らは暴れたいのではなく、本当は声を上げて泣きたいだけなのかもしれない。その無意識の心の叫びが年々ボリュームを上げている。

居場所を求めて、仲間を求めて。とにもかくにも、今年のハロウィンはこれまで以上にジョーカーが街にあふれるのだろう。たとえ、その装い、メイクをしてはいなかったのだとしても。

時代はうつろう。もう無理して笑わなくてもいい。誰しもが安心して、誰の目を気にすることなく泣きたいときは大声を出して泣ける社会になればいいな、と思う。


【おまけ/少々ネタバレも】

① IMAX

この映画を観るならば断然IMAX鑑賞がオススメ。美しいシーンに思い切り没入できる。それにしても池袋のグランドシネマサンシャインのIMAXの臨場感は今までのどこよりもすごかった。

② パンフレット

値段に見合ったパンフレットに出合うことは稀だが今作のパンフレットは理解を深めたい場合は本当にオススメ。

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③ ホアキンの舞

「笑う」ことへのこだわりもさることながら、幾度となく出てくるダンスが美しい。ひとり躍って間を持たせることができるか否かが俳優にとって肝なのかもしれない。なんて思ったり。


④ 名作オマージュ

オマージュ過多なサービス精神が少々気になる。こういう要素を極力省いたものを観たかったりもしたのは私だけ? 

⑤ 覚醒理由

アーサーがジョーカーになるための要素が多すぎる(極端すぎる)気がしたのは私だけ?

⑥ 夢か現か

アーサーは虚実の境をさまよう。夢か現かの判断は私たちそれぞれに委ねられているのではあるが、後半に向かってはその境がちょっと極端な気がしたのは私だけ?

④⑤⑥に関して

完全に私の好みの問題だと思われます。『ダークナイト』が好きすぎて、何回も観すぎて、無意識であの世界観を求めすぎていたのかもしれません。とはいえ、ホアキンの美しい舞を鑑賞しに、もう1回、IMAX鑑賞をしたいなと思っています。






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