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noteを100日連続で投稿してみて

さしあたっての目標「連続100日投稿」。そこに到達し、私が感じたことをツラツラと。

きめ細かいUX設計

私は、先頃までwebマガジンを運営していたのであるが、その運営側の目線で見ると、とにかく投稿のしやすさに驚く。「よく考えられたUXだな〜」と反省と関心をしながら使わせてもらった。たとえば、リンクを貼ればSNS記事を自動で埋め込んでくれるなんて、本当に素晴らしすぎる。投稿する度に、「やったね!」とか「すごい!」とか連続投稿を褒めてもらえる機能は、デフォルトだと分かっていても、なんだか嬉しい。不具合が生じると、「進捗があったらtwitterで」とリンクが貼られており、システム側で何が起こっているか分からない不安さを感じさせない配慮……小さく感動する度にいろいろキャプチャーしておけばよかった(苦笑)。

誰にでも分かりやすく

とにもかくにも、ホスピタリー度が高い。システムを構築する方々のユーザー理解度が深く、それを伝える言語化能力の高さには幾度となく驚いた(システムが分かってる人って、まったく分からない人に教えるのが往々にして下手だったりする)。ブラックボックスになりがちな機能面の改修について、きちんとユーザーに親密度が高いコミュニケーションで伝授してくれる。

システムのことなど右も左も分からなかった数年前。自分の頭で理解できる範囲のことはできるかぎり理解しようと頑張ったけれど、なかなかに限界があり、交わされる言語の意味がわからず悪戦苦闘していた日々を思い出す(今もさほど成長してないが)……学びしかない。

ネタのない日こそ勝負の時

そして、書き続けて思ったこと。私はテーマを決めずに書き始めたことが大きいが、ネタがない日に書く記事こそ、自分の本当に「書きたいこと」と真剣に対峙すべき勝負の時であり、自分の内側の奥の奥がふとこぼれでてくるものだな、と。一方、編集長という責務を背負っていた時ほどではないものの、サラリーマンとして顔を晒して書けることの限界もやはり感じたり……

朝起きて、軽くストレッチしてから、PCの前へ。「さて、今日は何を書こうかね」と自分に問いかけ、落としドコロを見つけたら、一気呵成に書き上げる。その爽快感を味わうことは、一日のスタートを切る上で、私には良かった。

フォロワーを気にしない

「何が書いてあるか」より、「誰が書いたか」が強者になりやすい世界でもある。正直、webマガジンで記事を書いていた時より、PV数は圧倒的に少ないため、萎えそうになったこともある。「答えが明確な実用ネタのがウケるよね」とか「テーマを絞った方がフォローが増えるな」とか「SNS運用も併用しないとだな」とか「PVがはねた記事の特徴を分析して連打してみようかな」などなど……焦れてフォロワーを増やすための作戦を実行しそうになったこともあるけれど、「あれ、何のために書いているんだっけ?」と初日の気持ちに立ち返り、その度に、「自分のためだった!」とハッとする。そんな100日間だった。

というわけで、これからもユラユラと書き続けてみたいと思います。




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