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デザインとアートの境界線。「カントリーブルースが聴こえる」

ここしばらくの中で最も強烈なパンチラインであった。

朝ドラ『スカーレット』で、陶芸家の主人公に向かって女性が言う。

彼女は個展で一目惚れして半年思い悩んで、いてもたってもおられず主人公の工房におしかけてきた。「どうしても作品を売ってください」と、非売品だという主人公に「言い値の額を払う」とすごむ。

800万円という現金を主人公の前にドンと置いたものの作品を手に入れることは叶わなかった女性。主人公は、作品の鑑賞、そして、近づき耳を澄ますことを許す。女性は軽く指でなぞり、一言いうのだ。

カントリーブルースが聴こえる。

アートと向き合うには、感受性が必要だ。まさに、「Don't think,Feel」の世界。聴こえる人には聴こえるが聴こえない人にはまったく聴こえてこない。女性にはたしかに作品から「カントリーブルース」が聴こえてきた。正解はない。正解を求める人にはきっと聴こえてこない。答え合わせができるものではないから。聴こえる人だけに聴こえる、自分だけの特別な音楽。同じ作品に対峙しても聴こえてくるのはロックかもしれないし、クラシックかもしれない。はたまた会話が聞こえる場合もあるかもしれないし、無音になることもあるだろう。

茨木のり子さんの詩、「自分の感受性くらい」を思い出す。作品への愛情もさることながら、自分の感覚への信頼が肝要だ。

ポン・ジュノ監督はアカデミー賞で監督賞受賞時のスピーチで、スコセッシ監督の「もっとも個人的なことはもっともクリエイティブなこと」という言葉を引用した。これは、作り手だけでなく、受け手側にも必要な感覚だと思う。

「デザインとアートの違いは何だと思いますか?」と問いかけられたことがある。これにはたくさんの答えがあるだろうが、私はその方に言われた「デザインは送り手が値段を決めます。アートは受け手が値段を決めます」の鮮烈さがずっと頭にある。

主人公はずっと食べるために自分で値段をつけて陶芸品を売ってきた。そして、自分の中に沸き上がる炎に抗えず、孤独の道を選んだ。そして、主人公が生み出す非売品の作品にはひとりでに値がつくようになった。

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