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「日本のおふくろの味」を完璧に再現するフィリピン人の友達に、その秘密を聞いてみた。

こんにちは。
Matahari@マレーシア🇲🇾です。

今日のBefore Too Late / 現代編は、マレーシア在住12年の筆者が出会った様々な人種の友人知人のお話を時々お伝えします。まだ始めたばかりで更新が安定してないし、インプットが多めでアウトプットが追いついていないのですが、毎週アップデートできるように精進いたしますので、また訪れてくださいね。

さて、今日は友人のフィリピン人女性のお話。もうすぐ60代を迎えるお姉さんのような存在です。(筆者は40代です)。

少し年上の日本人のご主人とは日本で知り合い結婚。知り合ってそろそろ30年だというのに、本当に仲睦まじいご夫婦なんです。二人にとっての母国であるフィリピンでも日本でもないマレーシアに移住して以来、かれこれ20年ここで暮らしているのだそうです。理由を聞けば、ご主人が寒さが苦手なのだか。だったらフィリピンでもいいんじゃない?と聞いたら、マレーシアの治安の良さや教育の選択肢の多さが気に入って、子育て期間中ずっとマレーシアに住んだら老後もここで暮らしたいね、となったのだそうです。

そんなご夫婦は食べることが大好き。ホームパーティーでは、いつも奥さんが腕に縒をかけて作る美味しいお料理を振舞ってくれます。

そのメニューの中には、和食もあります。おでん、煮物、ちらし寿司・・・毎回完璧で繊細なお味で心底びっくり...!料理はするけれど得意と胸を張って言えるほどではないわたしは、毎回彼女のお料理の腕前にため息をもらし、目をキラキラさせて質問攻めにしてしまうんです。

今日のBefore Too Late / 現代編は、フィリピン人の奥さんが誰からも愛される和食を完璧に作れるようになった理由を徹底解剖!


フィリピン人の彼女が完璧に「日本のおふくろの味」を再現できるようになった理由

日本海側の県の片田舎で暮らしていた頃に日本人のご主人と出会い結婚。お義母さんはとても愛情深い方で、外国から来たお嫁さんを可愛がってくれたのだそう。お義母さんはお台所では黙々と仕事をされていて、お料理を手取り足取り教えてくれたり質問に答えてくれるわけではなく「台所に入ること」「お皿を洗うこと」だけを許されていたのだそう。

彼女は必死にお義母さんの後ろ姿を見ながらメモを取り、何度も失敗しながらその味を覚えて行ったそうです。

エンジニアのご主人に伴って日本を出て海外に住むようになっても、その「おふくろの味」を作ってあげることで、パートナーを支えて来たと言います。

彼女のお話から見えてきた現代人のわたしたちが学ぶべきこと

フィリピンで生まれ育った彼女には兄弟姉妹がたくさんいて、家族をとても大切にしています。遠く離れていても常に連絡を欠かさず困った時には助け合う、そういう環境の中で「他者に愛情を注ぐことや必要な手助けをすること」を自然に身につけて行ったのだそうです。

クリスチャンの家庭に生まれ「謙虚であること」「他者から学ぶこと」「許し受け入れること」「惜しみなく与えること」をいつも教えられたそうです。

限られた条件の中で、不満を言うのではなく率直に出来ることを探す、受け身ではなく積極的に学ぶために必要な行動を取る、それが結果的に自分のためや家族のためになる、ということを人生を通して実践されている素敵な女性なのです。

お金では決して買うことの出来ない生涯生き続ける財産

こうして彼女が得た「日本のおふくろの味を完璧に再現できる」というスキルは、生涯彼女と愛するご家族を支えるお金で買うことのできない貴重な財産となりました。

この「伝承」というスタイル、昔は当たり前のことだったと思います。親から子へ伝えていく家庭の味。

いつから失われて行ってしまったのでしょうか。

残念なことに、現代を生きるわたしたちは、「気付いた時にはもう遅い」という経験をたくさんしています。

ここでわたしの話をしますね。

わたしの家族のストーリー

わたしは昭和52年生まれ。首都圏で高度成長期に団塊の世代の両親の元育ちました。両親の田舎の九州福岡県の本家に帰るときは、製造業で働く父のお盆休みかお正月休みでいつも慌ただしく、寝台列車や新幹線や飛行機での帰省でクタクタ。あっという間に時間は過ぎていきました。

小学生だった私と三つ年下の弟は、おばあちゃんが話す筑後弁が全く理解できなくて(苦笑)おばあちゃんとの思い出よりも従兄弟妹たちと田舎の田んぼや川で遊んだ記憶だけが鮮明に残っています。

そして擦った生姜と刻んだネギたっぷりの美味しいお素麺の味とかよく冷えたスイカの味とか。(まさにとなりのトトロの世界ですね〜)おばあちゃんが本家の倉庫を改造して漬物用の蔵にしていて、そこで漬けていた美味しい高菜漬けや、目分量で大きな鍋でたっぷり作ってくれていた筑前煮の味とか。

わたしが20代の頃に亡くなってしまったおばあちゃんの味を懐かしく思うものの、作り方を継承していないことを、今更ながら心から後悔しているんです。

当時まだ若かった孫のわたしは自分のことに忙しく、そんなことを考える余裕も謙虚さも持ち合わせていませんでした。一方で、わたしの母も、遠く離れて暮らす義母に再会する短い帰省の度に緊張し、ただただ遠慮がちに控えめに過ごすだけだったのだろうと想像しています。

この話からも分かるように、積極的に「おふくろの味」を学ぶためのコミュニケーションって、もしかしてすごくハードル高くない???

よかったらあなたのご家族のストーリーも聞かせてくださいね。

ということで、次回は

「和食Washokuをユネスコ世界無形文化遺産に押し上げた巨匠に直接教えてもらった大切なお話」

「手遅れになる前に今わたしたちがやるべきこと」

という内容で続きを書こうと思います。

また、来てくださいね!

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