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海外に住むと意識が高くなるわけ

私は何年か社会人経験をし、30歳のときに台湾に渡った。そこで語学学校に通い、現地企業に就職した。3年間「外国人」として、台湾にがっつり住んだ。

今は日本にいる時間も長くなったし、外国人として過ごす時間は去年に比べると少なくなった。


そんな環境の変化で気づいたことがある。自分や自分の環境を客観的に捉える力が減っているということ。



海外に住むと、マイノリティかつアウトサイダーになる。だから自分の考えを言うときは、伝えたいことを客観的に観察し、相手に分かりやすく説明する必要があるのだ。そうじゃないと誰も私の話を聞いてくれない。

そして、日本の市場や文化について質問を受ける時も、個人の意見よりは全体を捉え、相手の知りたいことを確認しながら返事をする。


会社を出れば、台湾と日本の文化習慣の違いを発見する。バイクが競争するように街中を走り、東南アジアの女性に自分の親の介護をまかせ、自炊をせずにお持ち帰りで夕食を済ませる。

信じられない! と思うことに出会うたび、それは単なる日本の文化や習慣との違いに過ぎないと気付く。当たり前のことかもしれないけれど、私たちが大事にしていることと、彼らが大事にしていることは違うのだ。


初めは不可思議に感じていた台湾の風習も、住み始めて1年を過ぎる頃には何も感じなくなってしまった。台湾人と同じ様に考え行動するようになった。

日本に帰ると、ドラッグストアで爆買いし、焼き鳥や寿司を求めて街を歩く。神社や寺の写真を撮りながら…。


そんな視点は台湾人、精神的なコア部分は日本人という中途半端な存在になってくると、両国の文化習慣を少し高いところから俯瞰して見るようになる。

正確に言うと、日本に住んでいる人と同じ目線で、主観的に語る自信がなくなる。


よく帰国子女が

「アメリカではこうだった」
「中国ではああするし」

と語ると

「けっ。意識高いやつらだぜ」

という人がいる。実際に私も学生時代はそう思っていた。


しかし母国と外国を比べて、その特徴を外から掴むことができるようになったとき、意識高くなるに決まってんじゃんと思うようになった。

外からの目線、メタ認知、上から見上げるような視点。でしか見ることができないのだ。(本当は主観的に語りたいのよ。)


これから移民が増えてくる。日本から飛び出し、海外で挑戦する人も増えてくる。


そうなったとき、

「外国と日本は違う」
「日本はこう変わるべきだ」

という声はますます強くなるだろう。


ただ、彼らの意見は主観的ではなく客観的なもの。

だと思って耳を傾けようと思う。そして海外生活を経て日本に住んでいる人の意見も、日本を馬鹿にしているのではなく、文化習慣の違いを教えてくれているんだと受け止め、一緒に話し合いたいなと思っています。


文化や習慣という定住しないと分からないことを教えてもらえるなんて、ほんまにお得なことやで。

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