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わたしは怖がらずに、影を愛せる

ここ数年、とにかくネガティブなニュースや情報、そして言葉を避けてきたように思う。不景気だの、殺人事件だの、ヘイトスピーチだの、上司がむかつくだの。

全部ぜんぶ見たくない、聞きたくない。

自分自身も生活にいっぱいいっぱいで、ただでさえ消耗しているのに、これ以上負のエネルギーを私の中に入れたくない。と常々思っていた。


私「自身」も同じ。自分の中にある負のエネルギーを持つものを、ナイものとして避けるように暮らした。だから疲れているときも常に笑顔。本当はクタクタなのに私はタフガールだからへっちゃら! と身から振り絞ったポジティブを周りに振りまいていた。


でもね。

陽気で明るい気持ちは尽きることなく溢れ出てくるもの。と思っていたけれど、今でははっきり違うと断言できる。ポジティブなエネルギーは放出し続けると、いつかは空になってなくなってしまう。すっからかんになってしまう。ポジティブなエネルギーは有限。お金や時間と同じ。



私はなぜ、こんなにも無理をして「ポジティブ」になろうとしたんだろう。永久に湧き出てくるエネルギーではないのに。



これはきっとたぶん。SNSというやつのせいではないか、と最近気づきだした。


もちろん、自分のありのままの気持ちを、愚痴や怒りをネット上に書き出せる人もいる。しかし往々にして私たちは「自分」を過剰に編集し、SNSに放ってしまう。

毎日毎日、スマホの画面には、どこかで誰かが言っていたような「名言」、様々なフィルターをかぶせ着飾った「写真」が流れてくる。すべてが美しく、整然として、気持ちがいい世界。それが現実とファンタジーのはざまにあるSNSという世界。


その世界の片隅で、私も自ら「普通の1日」「なんてことのない瞬間」をポジティブで塗りかため、せっせと架空の世界に放っていた。なんてこともない思いつきを、さも名言へと翻訳をし、ポジティブな要素を付け加えていく。


毎日毎日毎日。


そんな日々の中。たくさんの「イイね」をもらう代わりに、いくつかの違和感が心に浮かんできた。

「あれ? 私、本当は何を感じたんだっけ。」
「私はポジティブに毎日を生きているはずなのに、なんでこんなに苦しいんだろう」

私の中にあった自然なポジティブエネルギーは、私をSNS映えさせるために使われる。あっという間に減っていき、そしてすっからかんになった。

そしてその結果、ネガティブなモノも受け入れられなくなってしまった。心の中に明るい部分がなくなると、暗いものは受け入れられないから。そんな余裕はなくなる。もうすっからかんなんだもん。

なんにもない私の心は、空洞のよう。でかい空洞


日々色んなものを見て、触れて、感じている。なのに空洞。


だから…

ある時、自分の心が空洞になってしまったことに気づいてから、私はポジティブに毎日を生きていくことをスパッとやめてみた。

調子が悪いときは「だめだ、今日はもう寝る」
疲れているときは「疲れているから、飲み会にはいけません」
変だと思ったことは「私はそれは違うと思う」

今までの偽ポジティブな私なら、言えなかったことを言うようにした。すると、私の中のポジティブエネルギーは「本当の普通の私」を着飾るために消費されなくなった。



今、私はネガティブなニュースや情報、そして言葉をすべて受け入れられる。不景気だの、殺人事件だの、ヘイトスピーチだの、上司がむかつくだの。

全部ぜんぶ「そうか、そうなのか」と自分の中に取り込めるようになった。自分の中にしっかりとポジティブなエネルギーを残しているから、外からの刺激に正常に反応できるようになった。


ポジティブの無駄遣いをしないから、暗くて冷たい「影」もそっと受け入れて、愛おしいと思えるようになれた。



私が今いる場所。
土埃だらけで、曇り空が続くハノイだけど。
こんな今日も愛おしいのです。


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