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私にとって写真とはー花


昔から写真を撮るのも撮られるのも大嫌いであったのに、今では撮られるのは相変わらず好きではないが撮ることに関しては条件付きだが楽しみを感じる様になった。

私の写真には今のところ人物が入っていない。後から思い出として残るという素晴らしさは認めるのだが、また人間嫌いだというのでもなく、むしろその反対である。素敵な景色をバックに、私に向って最高の笑顔をくれる人達を嫌いになれる訳が無い。羨ましくさえ思える。

ただ単に下手なのだ。どうも私の場合は最高の瞬間を逃しているのだと思う。良いタイミングが掴めずにいつも被写体をヘトヘトにさせて終わるのだ。相手に対して申し訳なく思うのだがこれは一向に上達しない。

そんな私に何が起こったのかというと、昨年からのロックダウンのせいでかなりのものを取り上げられてしまったというと聞こえが悪いが、一番辛かったのが 6月にとある用事の為日本に行く予定だったのがキャンセルを余儀なくされた事であった。それと同時に日本との繋がりまで断たれたようで、正直なところ 一時期は結構精神的にまいった。そこで考えた挙げ句フランスの、とくにパリの様子を日本に伝える為に一時中断していたTwitterを2020年6月に再開した。ところが最初はその術が全くわからずに、取り敢えず出かけ先の写真とコメントを載せてみたが反応は無いに等しかった。或いは「そんな事言って馬鹿みたい」的な意見もあった。言いたい事が上手く伝わっていなかったのだろうから仕方がない。

それでもしつこく諦めずに投稿を続けていたら少〜しずつだけれど共感してくださる方達も現れてきて、また何より励まして下さる方達のおかげで今日に至る事が出来て、皆さんには本当に感謝100%である。

書く方は少しずつ方向が見えてきた。書くの下手くそだとは自分でもわかっているけれど好きなのだ。noteは何でも好きな事書けるのでやりやすい。その分ただダラダラと書いているだけでは何にもならないので今後もっと努力を重ねていかなくては意味がない。twitterは一回の投稿で写真は4枚までで140字以内で言いたいことをまとめなくてはいけないが、これが結構勉強になる。少なくて短いスペースをいかに有効に利用するかはかなり頭を使わなくてはいけない。つい最近取り組み始めたInstagramは写真10枚、しかも動画もその中に入れられるので決められた枚数の中でボリューム感を求められて、twitterとは違ったストーリー性のあるものが出来るかと狙っている。(これがまだ全然出来ないのだけど)

パリのガイドなのだからそう言うことが出来て当たり前(のはず)、要するにパリを愛して守り、アピールしなくてはと思う。せっかくパリの端っこに住んでいるのだから。

パリの様々な顔を探し回りながら、現在は写真、特に季節がら花の写真を撮ることに夢中になっている。
といってもテクニックはないし、スマホしかないし、チビでド近眼である。
これらの事を克服するにはどうしたら良いか考えてみたところ、ちょっと思いついたのが<いつも世話になっている画家の視点で学ぶ>である。勿論絵と写真では仕事のプロセスが違うのだが、何かしら絵描きのメトードを引用出来るかも知れない。

例えば花束を見ると、どうしても先ずは色に視点が集中する。それに光と影が加わって角度、そして構成を考えていく。
それらの要素を基本として、アーティスト達はどの様に作品に取り組んでいったのか。先ずはカメラの無い時代の画家達の中で、アルチンボルドについて考えてみる。アルチンボルドは私にとって常に興味の対象であるのだが、この作品は当時かなり個性的なポートレートであったことを先ずは頭に入れておかなければならない。

ジュゼッペ・アルチンボルド
四季(春)
1573年
ルーヴル美術館


この絵は日本でご覧になった事がある方もいらっしゃると思う(2017年に国立西洋美術館でアルチンボルド展が開催された)が、その時はこの作品もルーヴル美術館から出張したので寂しかった。しかしながらこうして見ると奇抜な印象が強いと思うが、実際に肉眼で近づいて見ると全体的にもう少し馴染んでいて柔らかいイメージがあるのだ。

先ずはアルチンボルドの凄さに注目!
何せ彼の時代(1526生−1593年没)に、しかも宮廷画家としてこんな絵を書いた人が他にもいたのであろうか?幸いなことにルーヴル美術館のイタリア絵画はほぼ年代順に作品が展示されているので16世紀の彼以外の作品とこの作品を比べることが出来るのだ。

何と目立つこと!他が宗教画だったりするのに対して、これが20世紀以降の作品だったら平凡かもしれないが、16世紀にこんな…、信じられない斬新さがある。

植物はなんと80種類程でほとんど特定されている。実は花の部分のみ後から付け加えられた説もあることはあるのだが。

アルチンボルドは特異な才能の持ち主であり、皇帝たちが収集していた当時珍しい種類の植物をいち早く記憶の中に収め、写生する事が出来たと言われている。彼が当時カラー写真対応のカメラを持っていたらどんな写真を撮っていたのであろう。

ピエール・オーギュスト・ルノワール
モンマルトルのコルト通りの庭
1876年
カーネギー美術館


その後多くの世界中の画家達が美しく色とりどりの花を描く様になった。そんな中から私はルノワールが現在はモンマルトル美術館となっているが、当時アトリエにしていたところの庭を描いた絵を選んだ。ルノワール以外にも花瓶に生けられた花の絵は山ほどありすぎるので、また、庭や公園の中の花というのは現在の自分が写真で撮りたいテーマの一つなのでかなり役に立つと思った。

この構成の主人公は庭という限られた中とはいえ、自由に咲いている花達である。多様な色、多様な品種があって少し人間社会に似ていると思う。その背景では2人の男性が何やら話し合っている。その2人と背景のぼやけた色使いとタッチによって見事に花達を引き立ててはいるがけっして自らもうずもれてしまってはいない。考えたのだが、2人のうち奥の方の男性の立場に立ってみると、彼の視界の隅には花達が映っているのだろうなと。そうして見ると奥の男性にとっては話し相手のオレンジの服を着たもう一人が主人公でその背景にカラフルな花達が見える訳だ。これはよくある普通の絵の構成ではないか。でももしルノワールがそうやって作品を描き上げていたら私はそこまで執着しなかったであろう。

それにしてもルノワールのこの作品は単純に「いいな」と思う。花は勝手に咲いていて、人は勝手に話し合っていて、でも互いに何かしら絡み合っている様な。

さらに眺めているうちに花達にはそれぞれ表情がある事に気づく。

こんなルノワールの様な絵が書けるようになるにはあと何を意識しないといけないのかというと、そう、<瞬間>だ。まだ私には欠けているけれど、一秒一秒の瞬間を感じ取る事が何より大切かと言う事を学んだ。だから花達はこんなに生き生きと描かれているのだな。特に写真の場合瞬間を逃してしまったらすべてが台無しだ。

さらには風や香りが感じられるような写真を撮りたい。ルノワールのこの絵にはそれがある。私にはまだまだないのでこれからも追求は続くのだが今の段階では楽しみだらけである。


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