見出し画像

王妃のお気に入り


マリー・アントワネットってどんな声だったのかなあ?

と、ふと思った。

マリー・アントワネットとは関係ないのだが、先日、かなり前に亡くなった祖父の声を聞くことができた。
日本の実家の小部屋の整理をしていたら棚の中からカセットテープが見つかり、タイトルに祖父の名が記されていたのを発見した。

個人的にカセットテープの再生機を持っていなかったのでフランスに戻ってから友人に相談したらつい先日に私のスマホに祖父の声を送ってくれた。

それは祖父が歌った<よさこい節>であった。

泣けた。

もう何十年も前の祖父の歌。
すぐに祖父の声だとわかった。

しかし祖父がこんなに歌上手とは知らなかったし、しかも生前一度も聞いたことがなかったのでかなり驚いたが、つくづく文明の利器とは素晴らしいものだなあと感動した。


で、やはりウチの祖父とマリー・アントワネットになんの関係があるのかと疑問を持たれるのは当然だと思うが、実はコロナ禍以前は毎日行っていたヴェルサイユ宮殿に最近頻繁に行っていなかったので、ここで再び王室研究を始めようかと考え出し、一度に幅広く手を付ける事の出来ない私は先ずはマリー・アントワネットから始めようと思っていた。

だから祖父とマリー・アントワネットは何の関係もないのだが、単なるタイミングというやつである。

でも何で声?

声から、その人がどのような口の聞き方をするのか、またどうやって笑うのか想像出来るし、更には人柄もわかって興味深いかなと考えた。

そこで王妃の専属の画家であり、親しい仲でもあったというエリザベート・ヴィジェ・ルブラン(以下、ヴィジェと呼ぶ)に手伝ってもらってマリー・アントワネットの性格の一面を探ってみようと企てた。

ヴィジェは以前に<アーティストの自画像>に登場したのでよかったらコチラから読んでみてほしい。


このリンクからほんの少しだけヴィジェについて知ることが出来る。
勿論私だって彼女に対してある程度の知識は持ち合わせている。

二人は同じ年で、どうやら気も合うようだ。普通王妃は画家の前でも気軽にポーズを取ったりしないのにヴィジェの前ではためらうこともなく自然な仕草で、また表情も硬くない。

では例を挙げてみよう。

エリザベート・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)
<薔薇の花を持つマリー・アントワネットの肖像画>
1783年
プティ・トリアノン(ヴェルサイユ宮殿)


構成の中で個人的に真っ先に気がついたところは色彩であった。
ドレス、髪、そして背景は寒色系であるのに対して王妃(特にほっぺた)と薔薇は薄いピンク色で若々しい。
このときマリー・アントワネットは28歳だから肌艶などは当然こんな感じなのかと思う反面、やはり髪の毛が既にみずみずしさを失っているかなというところが気になる。
薔薇の花を左手で持って右手を添えている手の描き方のしなやかさが美しい。

全体的にエレガントという表現がピッタリで大人の気品が溢れ出ている。

そんな中で一つ勝手に思ったのが王妃の口元。

私には今にも出てきそうな言葉が聞こえる。

「それから?」

それは明らかに目の前にいるヴィジェに向かって言わんばかりなのだ。

要するに二人は何かしらの会話を続けていて、マリー・アントワネットはその内容に深く興味を持っている。
ヴィジェとのお喋りは単なる退屈凌ぎではないのだろう。

気品溢れる容姿の中にも少女のような少しいたずらっぽささえものぞく気がする。

因みにこの絵は私も大好きなのだが、ヴィジェは他にもマリー・アントワネットのポートレートを描いているのでそちらでも見てみよう。

<モスリンのシュミーズドレスを着たマリー・アントワネット>
1783年
ワシントン、ナショナル・ギャラリー


先ずは帽子が似合っているところにひたすら注目。
ドレスに多少なりとも批判があったそうだが、確かに21世紀人のわたしからも寝間着っぽく見える。
最初の絵に比べると、薔薇を持つ手がふっくらしているような気がする。

何より気になったのが口元。
今にも吹き出しそうに見える。
ヴィジェが言った何かがよほどおかしかったのかもしれない。

ではもう一点。

<白いペチコートに青いルダンゴトドレスを羽織って座るマリー・アントワネット>
1788年
ヴェルサイユ宮殿


ファッションに関してドレス自体に興味がある。
前作品2点に比べると5年経っているだけに違いがはっきりとしている。
もう王妃の口元に幼い少女のようなあどけなさは見られない。

フランス革命勃発の一年前。

そして最後に一人ではなくて子供達と一緒のポートレートではマリー・アントワネットが数年間でいかに母親としての風格を表しているか。

<マリー・アントワネットと子供達>
1787年
ヴェルサイユ宮殿


マリー・アントワネットは4人の子供達の母親であった。
ところが写真には3人しか写っていない。
その代わりに空っぽの乳母車が見えており、しかもその乳母車は黒い布で覆われている。
そう、そこには4女のソフィが入って一緒に描かれるはずであったが1歳にもならないうちに病気で亡くなってしまった。

マリー・アントワネットは38歳でこの世を去ってしまったが、結局子供たちは長女のマリー・テレーズを除いて皆母親より若くして、子供のうちに亡くなってしまったのだ。

一見、この絵はヴィジェによって一家の和やかな様子が描かれているように見えるが、実は背景に悲しく残酷な結末が隠されているのである。

もう完全にマリー・アントワネットの口元に「それから?」は見えていない。

以上のヴィジェのポートレートからマリー・アントワネットの声について考えてみると、最初の2点は年齢も若めだと言うことで、声も高めかなと察するが、3枚目のペチコートの王妃は本を持っていたり、テーブルの上に冠が置かれていたりと、彼女のフランス王妃としての風格や落ち着いた雰囲気が漂っている。
声も以前に比べてやや低めで、何よりも母親としての自覚と子供達に対する愛情の深さが伝わってくるのであった。

ヴィジェはその後いち早くフランスを脱出したので処刑されるのを免れたが、そうでなかったらその時代にマリー・アントワネット専属のポートレイティストであったなんて知れたら彼女の身も危険にさらされていたであろう。

同じ年の女性であったが結局運命は全く違った二人。
でも例えいっときでも共にすることが出来た二人はどれだけ内容の濃い時を過ごしたことか。


よろしければサポートお願いします。これからもフランスの魅力を皆様に伝え続けて行きたいです!