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私にとって写真とは ーあれから1年

いつも発見


昨年の今頃に<私にとって写真とはー花>という記事を投稿した。

何のことはない、丁度その時期フランスは毎日の感染者数が減少したりしてコロナ騒ぎも収束かと私も含めて多くの人が錯覚を起こしていた頃かと思うのだが、間違っていたらごめんなさい。

今年こそはもういい加減にしてほしい。
あの後フランスは国民が真っ二つに別かれる危機にまで陥った。

去年の今頃はそろりそろりと近所の公園の薔薇園に通い始め、その美しさにうっとりして写真を撮り始めた。

スマホしかないので(今でもそうだけど)限界があるけれど(言い訳?)、twitterに投稿すると(私の腕前ではなく)花の美しさを褒めてくれる人もいたのでかなり嬉しかった。

そしてインスタグラムまで始めちゃったのかな?

あれから一年、さて少しは進歩したかなと思うけれどどうかな。
しばらくnoteとtwitterにかじりついていたので視力は落ちまくって眼鏡代えないと焦点があわない。

困ったもんだ。

でもnoteの題材に関してはお陰様で毎週投稿しているのに未だに困らない。ただ時々一週間では消化できない題材を選んでしまって進まなくて困ることがある。

さて現在といえば毎日、そして5分でもあれば出歩いてキョロキョロしている。
興味の対象を見つけたら立ち止まっては凝視。
フランスだから、そしてパリだから回りの人は何にも言わない。
そこが私にとって住みやすいところかもしれないけれど。
また、そろそろスリに気をつけないと、特にシャンゼリゼとかオペラ界隈でこれ(スマホを持ってウロウロすること)をするのはやめよう。

こんな話で場所取りたく無いけれど、この写真撮っている間もリストを抱えた数名の若い女性が観光客らしい人達に声をかけていた。

こういう人達には細心の注意が必要。
かくいう私も未遂だったら数え切れないほど経験している。



大好きなスポット、アレクサンドル三世橋からエッフェル塔を撮るのも気をつけないと。
とにかくスマホは狙われているからなあ。 
彼らは写真撮る人を目の敵のように近づいて話しかけて、或いは黙ってスリ行為を働く。
こちらも上を向いて集中しているから、その間に囲まれていても気がつかなかったりしている。
これは大げさのようだけど実際何度私の回りの人たちも被害に会ったことか。

例えば財布やスマホは洋服の内側に、しかも縫い付けたチェーンにつなげておくとかしても、相手もナイフを所持している場合もあるし、現金は小分けにして持つとか、あとパスポートホルダーなどは当然のこと、これだけやっていても気を抜いていると相手はどこかからか貴方を観察していたりする。

 一目でわかるリストを持って「署名してください。」と寄ってくる若い子達もいるが、えーあの子が?と目を疑いたくなる様なタイプもいるので御用心。
それで署名などしようものなら、「今署名したのだから50ユーロよこせ。」などと仲間もいつの間にかやって来ていて大勢に囲まれる段取りが結構あるらしい。

とにかく言えることは、パリで、特に観光スポットで写真撮影するときの心構えとして用心は重要なポイントであることは間違い無い事は確か。

さて話しを写真そのものに戻すと、今回は最悪の条件で撮った写真に何か心ひかれてしまう場合もあること、更に<逆光>などについての普通は悪条件とされる状態を上手く<演出>という手段に利用して新しいスタイルを創り上げてしまった画家達の作品を見てみよう。

先ずは私の例。

ただし私の場合演出という器用なことは出来ないので偶然しかないのだけれど。

さ〜てこれは難題だ。
オルセー美術館最上階から撮影したセーヌ川とチュイルリー公園。
お察しの通り天気は最悪。
雨が降っていて一日中こんな感じであった朝。

普通だったらこの手の写真はすぐに削除するのだけど、何故か未だに取ってある。

何故だろう?

一番手前の手摺りと遠くの木々が良い感じを出しているのかなあ。
何て自分に都合良く勝手に言い訳を考えている。

それは正しいとしても単なる偶然であることは確実である。

これはサン・マルタン運河で天気はまぁまぁの日曜の朝に撮影したものである。
偶然ではなく敢えて水面に映った影を狙ったものであれが、同じようにして、もっとアーティスティックな写真はいくらでもあると思うのだが、誰のどの作品だか具体的に思い出せない。
ほとりに誰かに立ってもらって撮ればもっと良かったかも知れないな。

どうしたら良いのか誰か教えて。

まあ色々と試してみるのが今は楽しい時なのかな?

とにかく今まで例えばエッフェル塔の写真は逆光を避けて被写体が良い感じでこっち向いて微笑んでとかのお決まりがあった。

体の向きはいつも正面。

でも最近若い子達は色々と工夫して、横向きだったり後ろ向きでポーズを取っていたりするのを見かける様になってきたけれど、そういうのもいいなと思うようになってきた。

さらにはここで画家さん達に登場していただいて今回は逆光を取り入れた作品に注目して影について考えてみよう。

ピエール・ボナール(1867-1947)
<逆光のあたった女性の顔>
1906年
ピエール・ボナール
<バンジョー奏者>
1895年
フェリックス・ヴァロトン(1885-1925)
<ディナータイム、ランプの効果>
1899年


3点(うち2点は同じ画家による)ともオルセー美術館所蔵であるが、年代順にしていない。

いや単にヴァロトンの作品は手前(第一プランの)の影男がはっきりと黒すぎてなんだか最初は正直なところ暴力的な印象があった。
この作品はどう見ても家族での食事の団らんのひとときのはずなのにと思っただけ。
でもよく考えて見ればこの時代だって常に家族が円満とは限らないだろうし、或いはこの影男はお父さんかと思われるけれど影のような存在であまり家で子供達と過ごしたり、ましてや教育には口を出さないタイプで…、いや、もしかしたらお父さんではなくてお母さんの新しい恋人かも、だから影男にしたのかも…、とかあらゆる方向に勝手に想像してしまう私の悪い癖が始まった。

インパクトという点ではこの作品は群を抜いている。「これなあに?」という観る側の関心を誘うのではないかと思う。

それに比べて<バンジョー奏者>の方は周りと馴染んでいるかなと思う。
最初の作品も合わせて、やはりボナールの色使いは特に素敵だなと思わせる。
光も影も見事に色と溶け合っている。
上の3点は実際に参考にした写真が存在したかはわからないが、もしあったら見てみたい。

ファン・レイン・レンブラント(1606-1669)
<エマウスの巡礼>
1628年頃
ジャックマール・アンドレ美術館

これなんて17世紀の作品だけれどカラヴァッジオの影響を受けているとよく言われている、私の大好きな作品。
光と影の絡み合いが見事だと思う。

ピエール・オーギュスト・ルノワール
<陽光の中の裸婦>
1876年頃
オルセー美術館


また、ボナールの最初の作品を再び見ていたら、ルノワールの<陽光の中の裸婦>を思い出した。
これも以前はふっくらした綺麗な女性にアザでもあるのかしらんと思ったこともあったがやはり自然の中で太陽の光と影を匠に利用したテクニックなのかな? 
するとボナールはこのようなテクニックに関してルノワールの影響を受けた可能性もあるかも知れない。

そうすると、逆光というのは写真がどうのこうのと注目される前から(カラヴァッジオ以来?)アートの世界の巨匠達の中には上手く取り入れられていたのかなと思う。

このように今回は右に左に私の閃きは広がって(散らばって?)いくのであった。

こうやって写真を追求していくと並行して絵画への興味度合いも強まって行き、また思いがけない発見もあって面白いものだなと思う。

取り敢えず今回はこの辺にしておくが、アートの中の写真について今後も追求を続けていきたいと欲張る私であった。



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