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【オカルトエンタメ大学】皆神龍太郎先生の講義の感想 〜肯定派VS否定派を越えて〜

さて今回は、先日たまたま観たオカルトエンタメ大学の動画について少し思ったことがあるので書いてみたいと思います。

まず、動画で皆神氏はオカルトに対するスタンスとして、傾向を4つに分類して説明されています(A:懐疑派 B:研究家 C:否定派 D:肯定派/ビリーバー)。
オカルトについて、「信じる信じないの議論」をしていても先に進まないという意見には同意です。また、物事には客観的な見方が必要だというのは本当にそう思います。

だからこそというか、上記4つの派のどの派にも属さないということこそ大事なのでは?という話を今回はしたいと思います。

懐疑派である皆神氏は肯定派への批判として、オカルトを生業にしているとどうしても捉え方にバイアスがかかってしまう(支持者向けのポジショントークをしがちである)と指摘されています。どんなジャンルでも、そのジャンルを代表するような人気者があえて否定的なコメントをすることは避け、なるべく魅力を伝えようとして、バイアスがかった見解を示すということは確かにあると思います。しかし、例えば昨今のネットでの議論などを見ていても明らかですが、党派性を帯びたり、対立構造化した議論が遅かれ早かれ辿る末路として、支持者向けの振る舞いをしてしまう傾向というのは(肯定派だけでなく)双方にいえることではないでしょうか。

肯定派/否定派問わず、ひとたびいずれかの派に属した時点で、どうしても見えにくくなるものが出てきてしまう。片方の島に漂着した時点で、対岸の島の裏側までは見えなくなる、というように。
(なので、もちろん誰が解説してもいいわけですが、動画のように整理・分類して飽くまでフラットに解説するのであれば、どの派にも属していない方のほうが好ましいのでは?とも思いました)

当然ながら、この現実世界は、我々が認知できる領域だけで成り立っているわけではありません。こう書くといかにも「オカルト脳」的ですが、実際このこと自体は、別にオカルトでも何でもなく客観的事実です。(多くの脳科学者が人間には無意識の領域があることを認めていることからも明らかです)

例えば人間は感情を持ち、それは人間が行うあらゆる営みの意志決定の源となっていますが、その感情というものについても、いまだそのメカニズムの全貌が分かっていない以上、すべてのことを科学的な根拠に基づいて裏付けることは不可能です。

皆神氏が言うように、これまでの殆どの不思議な現象を、データを一定以上集めることで暴いて来たとおっしゃるのであれば、それはあまりに短絡的ではないかと正直思ってしまいます(どのような検証をされて来たのかは分かりませんが)。
もちろんそれは肯定派にも同じことが言えます。「UFOを観た!=宇宙人は存在した」にはなりません。この場合、地球外生命体が生存し、地球にやって来たという証拠を客観的に示せない以上は、どれだけ多くの人がUFOを見たと証言しようが同じことです。いくら集めても何の証明にもならないデータというのも当然存在します。
あとよくあるのは、否定派は、肯定派が言ってることの証拠が無いことを指摘しただけで「言い負かした」と錯覚しているパターンです。否定派が肯定派に、「どういった根拠で存在するかの証拠」を求めるのであれば、ではその現象が「どういった根拠で存在しないかの証拠」まで示さないとフェアではありません。これは意外と見過ごされがちですが、否定派にとってかなり有利に働いているアドバンテージだと言わざるを得ません。

いずれにせよ、虚実を明らかにするというのはそれだけハードルの高いことでもあります。

なので、私個人的には「全ての事実が明かされるまでは特定の派閥には属さない」というのがベストなスタンスではないかと思うのです。特定の支持者を得ることはありませんが、逆に誰かと不毛に争う必要も無くなります。
「なにそれ、ズルい」と思う方もいるかも知れませんが、現状の科学で検証可能な範囲だけを検証し、あたかも真理を暴いたふりをして思考停止するよりは遥かにマシと考えます。

また、いわゆるオカルト的事象というのは往々にして「肯定派が多い状況では起こりやすく、否定派が多い状況では起こりにくい」傾向があるのも、オカルトが持つ悲しい運命であると思います(否定派から見ればこんなご都合主義なことはありませんからね)。なので、真理を追究するためには、一旦は派閥を乗り越えて全員が同じ船に乗り込んでみる寛容さが大事なのではと個人的には思いますが、なかなか難しい問題ではあることも承知しています。

とはいえ、人によっては詐欺霊能力者に騙されたなど、どうしてもオカルトに不信感を持たざるを得ない経験をしたという人も少なくないでしょうし、そうした心情になるのも無理もないとも思います。ただこの場合、詐欺霊能力者が100%悪いわけで、オカルトが悪いわけではありません。心の底から、その詐欺霊能力者に罰が当たることを祈りますし、身近に被害者がいたら寄り添って話を聴いてあげたいとも思います。

しかし現実というのはどこを照らすかで影の形も変わります。
例えば、「UFOと現実にコンタクトした」と主張する人がいたとして、それを話すことで周囲から疎外され、ある時は誹謗中傷を受けたとします。その傷についてもケアが同時に必要ではないかとも思うのです。なぜなら、その「症状」に仮に病名が付き、然るべき治療を受けていたとしても、もし本人がそれでもコンタクトしたことを現実ととらえるならば、負う傷の深さも”当人にとっては現実のもの”であると思うからです。もし身近にそういう人がいたら、やはり寄り添って話を聴いてあげれたらと思います。

まあそれくらい、我々が認識しているこの世界について、自信を持って「この世界だけに確かに自分は生きている」と言えるのかと問われれば、それを確信するだけの根拠は、少なくとも自分にはまだ無いと思っています。

少し話が逸れましたが、文明社会に生きる我々の頼みの綱でもある「科学的根拠」というものも、これまでの歴史がそうであったように、今後新しい発明がなされた時点で覆ってしまうものだということも忘れないでおきたいです。

最後になりますが、「全ての事実が明かされるまでは特定の派閥には属さない」というスタンスでいることは、心情的にも結構しんどいことだと思うのですが、「科学的にいまだ明かされていない事実」に思いを馳せるのは、やはりこれ以上にない楽しみだとも思うのです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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