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通勤時間が延びて育児に支障が出ることになる転勤命令の有効性

 おはようございます。弁護士の檜山洋子です。

 子育てをしていると、想定外のことが頻繁に起こりますので、当然、仕事も全く予定どおりには進みません。

 結構ぎりぎりのラインでバランスをとりつつ生活をしている感じなのですが、それがさらに転勤で通勤時間が延びてしまったりすると、お迎えの時間や夕飯の支度のタイミングをどうやってやりくりすれば良いのか、頭を悩ますことになります。

 平成12年に出された裁判例には、通勤時間が長くなって育児に支障が出た場合でも、通常甘受すべき程度の不利益であると判断されたものがありますので、本日は、その裁判例を紹介しようと思います(ケンウッド事件(最最高裁判所第三小法廷平成12年1月28日判決))。

 ただし、2001(平成13)年に改正された育児介護休業法は、労働者の配置の変更で就業場所の変更を伴うときは、子の養育または家族の介護状況に配慮しなければならないことを定めました。

(労働者の配置に関する配慮)
第26条 事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。

また、2007年制定の労働契約法は、「労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。」(3条)と定め、政府は「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」と「仕事と生活の調和推進のための行動指針」を策定しました。

 そのため、今後の転勤命令の有効性については、これらの規定やガイドラインの存在が大きく影響することが予測されます。

ケンウッド事件(最最高裁判所第三小法廷平成12年1月28日判決)

【事案の概要】

 被上告人は、音響機器、通信機器等の製造販売を目的とする資本金約106億9400万円(平成5年8月31日以降は約222億4000万円)、従業員約2000人を擁する株式会社です。
 上告人は、昭和50年7月に、被上告人に雇用され、約7年間にわたり通信機器の製造業務等に携わった後、同60年1月以降は、東京都目黒区青葉台所在の被上告人の技術開発本部技術開発部企画室(以下「企画室」という。)における庶務の仕事に従事していました。
 被上告人は、東京都八王子市石川町所在の八王子事業所において、人員を10人に増員する必要が生じ、同事業所内の異動により増員を行いましたが、残る1人については同事業所内では補充の見通しが立たなかった上、先に異動した2人が退職する見通しとなったため、早急に右退職予定者の補充を行う必要が生じました。そこで、被上告人は、即戦力となる製造現場経験者であり、かつ、目視の検査業務を行うことから年齢40歳未満の者という人選基準を設け、製造現場を約7年間経験し年齢34歳であった上告人を異動対象者に選定し、昭和63年2月1日付けの右プロジェクトチームのHICの製造ライン勤務への異動命令(本件異動命令)を行いました。上告人は、即日、被上告人の苦情処理委員会に苦情申立てをしましたが、同委員会は、同月3日右申立てを棄却する旨の裁定を行いました。

 上告人は、本件異動命令に従わず、八王子事業所に出勤しなかったので、被上告人は、事態の打開を図るため、上告人と勤務時間、保育問題等について話し合ってできる限りの配慮をしたいと考えていましたが、上告人は、この話合いに積極的に応じようとせず、本件異動命令拒否の態度を貫き、被上告人の担当者に話合いの機会を与えないまま欠勤を続けました。

 そこで、被上告人は、懲戒規定に基づいて、昭和63年5月6日ころ到達の書面をもって、上告人を同年5月9日から同年6月8日まで1箇月の停職とし、さらに、右停職期間満了後も上告人が八王子事業所に出勤しなかったので、同年9月21日ころ到達の書面をもって、上告人を懲戒解雇しました。

 被上告人の就業規則には、「会社は、業務上必要あるとき従業員に異動を命ずる。なお、異動には転勤を伴う場合がある。」との定めがあり、被上告人は、現に従業員の異動を行っていました。上告人と被上告人の間の労働契約において就労場所を限定する旨の合意はありませんでした。

 上告人は、本件異動命令発令当時、東京都品川区旗の台所在の借家を住居として、夫と長男(昭和59年6月生)との3人家族で生活しており、企画室までの通勤時間は少なくとも約50分でした。夫は、東京都港区南麻布所在の外資系の通信機器等の輸入及び製造販売を目的とする会社に勤務し、通勤時間約40分を要していました。また、夫は残業や出張が多く、本件異動命令発令前1年間の出張は、延べ19回、87日間(うち海外が59日間)に及んでいました。上告人夫妻は、平日は長男を保育園に預けていましたが、それぞれの出退勤の時刻と保育時間との関係上、長男の保育園までの送迎については、水曜日は上告人が送り、パート勤務の保母に月1万円で迎えと夕食を含む午後8時までの自宅保育を依頼し、その他の曜日は夫が送り、上告人のかつての同僚に月1万円で迎えと午後6時50分までの自宅保育を依頼していました。
 上告人が本件異動命令発令当時の住居から八王子事業所に通勤するには、最短経路で、行きが約1時間43分、帰りが約1時間45分が必要でした。そのため、長男の水曜日における保育園への送り及びその他の曜日における午後6時50分から午後7時35分ころまでの保育に支障が生じます。

 なお、同事業所の従業員のうちには、通勤時間1時間30分から2時間20分以上を要する男性従業員が数10人、通勤時間1時間20分から2時間近くを要する女性従業員が約10人いました。

 八王子事業所の近辺には、上告人が転居を希望すれば入居可能な相応の住居が多数存在し、居住地をJR中央線の八王子、豊田、日野、立川各駅近辺と定めた場合の夫の通勤時間は、乗車駅から約1時間でした。また、八王子市内には、同事業所から徒歩15分の範囲内に3つ、被上告人の送迎バスを利用して約20分の範囲内にもう1つ保育園があり、隣接する日野市内には、徒歩と路線バスを利用して約20分の範囲内に2つの保育園があるところ、うち2つについては定員に余裕がありました。

 ちなみに、企画室長が上告人を退職させるための嫌がらせないし報復人事の一環として本件異動命令を行ったような事情はありませんでした。

【判決】

 最高裁判所は、「転勤命令を濫用することが許されないことはいうまでもないところであるが、転勤命令は、業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても不当な動機・目的をもってされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、権利の濫用になるものではないというべきである」とした上で、本件については、以下の理由により、転勤命令に権利濫用はないとしました。

・・・被上告人の八王子事業所のHICプロジェクトチームにおいては昭和62年末に退職予定の従業員の補充を早急に行う必要があり、本社地区の製造現場経験があり40歳未満の者という人選基準を設け、これに基づき同年内に上告人を選定した上本件異動命令が発令されたというのであるから、本件異動命令には業務上の必要性があり、これが不当な動機・目的をもってされたものとはいえない。また、これによって上告人が負うことになる不利益は、必ずしも小さくはないが、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまではいえない。したがって、他に特段の事情のうかがわれない本件においては、本件異動命令が権利の濫用に当たるとはいえないと解するのが相当である。

 なお、本判決には、元原利文裁判官の補足意見があり、「近時、男女の雇用機会の均等が図られつつあるとはいえ、とりわけ未就学児童を持つ高学歴とまではいえない女性労働者の現実に置かれている立場にはなお十分な配慮を要するのであって、本判決をもってそのような労働者であっても雇用契約締結当時予期しなかった広域の異動が許されるものと誤解されることがあってはならない」ことが付言されています。

ワーク・ライフ・バランスに注意した転勤命令を

 判決書上は明確ではないものの、このケースで問題となった夫婦は、夫中心の家庭だったのではないかと想像されます。そのため、妻である上告人が、自身の転勤に伴って被る育児上の不利益を、家族丸ごとの引越しで解決するなんてことは到底検討できるものではなかったのではないか・・・唯一の解決法が、会社への反旗だったのではないか・・・そんな風に思えるのです。

 被上告人会社は、転勤対象従業員の選定については平等で透明性のある方法で行っているようですし、転勤命令に応じられない上告人と、その働き方について話し合いを持とうしたようですから、非情な印象もありません。

 結局、会社は、やるべきことをし、またやってはならないことをしていない、ということで、会社に軍配が上がった事案なのでしょう。

 しかし、最初に書いたように、育児介護休業法が改定され、労働契約法が制定され、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章、仕事と生活の調和推進のための行動指針が策定されました。

 これにより、今後は、会社には、従業員の育児、介護、家族との時間確保等について、意識的により一層丁寧な配慮をすることが求められます。

 従業員の育児等に求められる配慮のレベルがアップしたということができます。

 もちろん、妻の勤務する会社だけでなく、夫の勤務する会社においても、ワーク・ライフ・バランスへの配慮が求められるわけですから、女性を雇用する会社だけが“不便さ“を甘受するのではなく、社会全体でそれを吸収できるようになれば、より一層のワーク・ライフ・バランスのレベルアップを図ることができるでしょう。

 仕事で重責を担っていると自負する(そのため家事育児は他方の配偶者に任せっきりの)配偶者自身の意識改革も進むといいですけどね。

 経営者自身の意識が変われば、そこで働く従業員全体の意識が変わり、社会全体の意識が変わっていくと思います。

 女性を雇用している会社だけの問題としてではなく、全ての会社の問題として捉えて欲しい問題です。

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