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12年目の「3・11」に思う事

12年前の2011年3月11日、読者諸兄はどのように過ごしていましたでしょうか。
当時富山市内で働いており、14:46になった途端急に建物が揺れ出して、暫くして揺れは収まりました。富山県内では地震が少なく、このような事態に対する心の準備が出来ておらず、慌てました。暫くして携帯電話のワンセグ画像を見ていた同僚が「うわっ!東北がエライ事になってる!」と叫び、職場の全員がテレビに釘付けに。日本列島が赤い線で囲まれ、「大津波警報」と言う前代未聞の言葉が画面に踊っていました。
暫くして富山市内のスーパーからは電池とミネラルウォーターが品切れになりました。市中のスタンドではガソリンの給油制限はありませんでしたが、高速道路上では一部給油制限が行われました。
その1週間後、用事があって上京しましたが給油制限が敷かれたガソリンスタンドではクルマの行列が見られ、夜になると街灯が間引かれていて駅から予約していたビジネスホテルまでの路地は暗く、あの東京が…とショックを受けました。
それから12年の節目になる今日、ツイッター上で考えをまとめてみました。以下ご笑覧頂ければ幸いです。

「東京か、それ以外か」の二者択一を迫られる日本でなくてよかった、との考えです。今でも東京の文化の価値観では測れない、地方での文化が息づいています。出版やテレビを中心に東京一極集中の傾向が続いていますが、それでも地方があればこその東京です。
東京の文化は全国的に普遍のものではなく、各地の文化から見て相対視するべきもの、と考えます。
それぞれの地方で息づいている文化を必死に担っているのが地方新聞はじめとするローカルメディアで、読んでみるとなかなか面白い、と横浜出身・横浜在住・東京在勤時代にすっかり東京の価値観に染まっていた中で気付かされました。
2007年に富山に移りましたが、それでも隣接県はじめ各地のローカル新聞を見ている度に色々と気付かされる事が多いのです。

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