空気を読みすぎる人は、人の痛みに敏感な人【ヨコ→真崎】
むっちゃんこんばんは。ヨコです。
2年前の冬に沖縄行ったとき、めちゃくちゃ暖かくて私は長袖シャツ1枚だったのだけど、地元の人たちはコート着たりフリース着たりしていてびっくりした。むっちゃんも寒さ耐性が失われていってるんだろうね。むっちゃんの来世(カピバラ)も私の来世(パンダ)も冬眠しなさそうだけど、ぬくぬくと過ごせる環境にいたいものです。
場の空気を読み過ぎて何も言えなくなる、みたいな話を前にも書いた気がするのだけど、むっちゃんも私も気にしすぎなんだろうなぁ。
仕事でも、意見がやっとまとまって次の段階に進もうとしているときに「でもこれって、そもそも〜」みたいな話をされると「や、やめてー!」って思ってしまうけど、そういう意見って意外と大事だったりするから、場の空気だけを重んじるのは危険だし良くないなぁと思うこともある。
空気を読みすぎてしまう我々が空気を読む文化があまり無い国に行くとどうなるんだろうね。超絶ストレスになるのか、解放されて自由になるのか、ちょっと気になる。
ありがとう。子どもの頃の影響が大人になっても残っている自覚があるからこそ、子育ても怖いし、よその子に関わるのなんてもっと怖い。だから学校や児童福祉施設で働く友人のことをとても尊敬している。私にはできない……。
むっちゃんの不登校関係の会社での経験は、辛いこと大変なことたくさんあったと思うけど、そのぶん特別な経験をしたんだろうなぁと思います。空気を読みすぎるというのは、人の痛みに敏感ということにも繋がると思うし、人の痛みが分かる人にしかできない仕事もあると思う。そのぶん精神的にハードだからなかなか続けられる人が少なそうでもあるけど……。
ちなみに私が苦手な人に共通する特徴は、「人を傷付けたことに対して傷付かない人」なんよね。誰かを傷付けてしまったという自覚があるのに平気でいられる人というか。
今の仕事も、文章を書くことも、まわりまわって誰かの痛みを和らげることに繋がったら良いね。子どもでも大人でも。
【ついでに日記的なもの】
お店でクリスマスソングが流れていたり、イルミネーションがはじまったり、マンションのエントランスにクリスマスツリーが飾られたり、世の中が浮かれている感じがします。前はこの雰囲気が苦手だったのだけど、ここ最近は素直に風物詩として受け入れて楽しめるようになりました。カリンバでジングルベルを練習するくらいには私も浮かれています。今年のクリスマスは何を食べよかな。
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