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放浪フリーランス美容師だった私が他分野でフリーランスになったストーリー


最初に私の現状をお伝えします


私の今の肩書きはフリーランス主婦。

収入の柱はバイマというアパレルインターネット販売のプラットホームで商品を売って収益を得ている。


在宅ワークだが、確定申告もしているので、列記とした個人事業主である。

もともとの本業は美容師。

今の収入は美容師の頃よりも多いし、それに自由な時間もある。


本業を離れ今に至った経緯


そもそも私は、日本と海外を年に数回行き来する気ままな、フリーランス美容師だった。

それを辞めて、インターネット上で、物を売るという仕事を始めたきっかけは結婚だった。

もしかして、今でも独身だったら、身体が動く限りはフリーランス美容師を続けて、数ヶ月日本で稼いでは海外に数ヶ月行くという生活を続けていたのかもしれない。

夫は同業者。

結婚に興味がなかった私は、5年ほど前、母の急逝がきっかけで人生の価値観が大きく変わり、当時、数年生活をともにしていた彼と結婚した。

人生でとてつもなく辛かった時に自分を支えてくれた彼の存在は大きく、今まで誰かと共に生きる人生の選択肢を考えたことがなかった私の心に変化が芽生えた。

結婚してから、私達は拠点を大阪から、私の実家のあった高知県に移した。

当時は、突然、男所帯になってしまった父と兄を心配し、高知に移住したのだが、私と夫の職業を考えると、高知は私の地元愛とは裏腹に、生きやすく生きて行くにはとても選択肢が狭く、厳しい現実を突きつけられた。

そして将来を考えた時に、自分生きたい人生をより実現させるためには、今が新しいことをやるタイミングだと思ったのだった。


私が思う美容師という職業


私が20代の頃、世の中はまだ『手に職』の時代だった。

美容師として一人前になり、お客様を接客していた頃も、母親世代のお客様には、『手に職があっていいね』と言われたものだ。

私が技術者として一人前になった頃は美容バブルもあり、20代前半と若かったわりには、同じ世代の周りの友達の月収より、私の場合は倍以上稼げていた。

それでも私は、当時、自分の職業以外のことに無知な自分に不安を感じていた。

実際に今、美容室業界は、価格競争に陥り、マネージメント力のない美容師はそれに翻弄されている。

美容師以外の経営者がどんどん参入してきているし、今後美容室経営者もプロのマーケッターにコンサルを依頼するのは普通になるだろうし、むしろ既にそうなっている。


自分がいた世界だからわかるのだが、美容師は、技術習得や労働時間に費やす時間が多すぎて、他分野を学ぶ時間や機会も少なく、視野が狭い。

今だから、こうやって言語化できている私だが、今思うと、そこそこ稼げていた20代の頃、多くのお客様と接するたびに得体の知れない不安に襲われていたのは、そのたびに自分が世の中のことに関して無知さを思い知らされていたからだと思う。


インターネット物販を始めたきっかけ


結婚5年目の私が言うのもなんだが、その短い結婚生活の経験を通して思うことは、結婚は自分も相手の人生に対して責任を持つことだと思っている。

少なからず一緒にいる間は。

他責では結婚生活は不幸になるだけ。

『幸せになりたいなら、相手を幸せにすることを考える』

これは私がいつも心の片隅に置いていること。


結婚してすぐ、夫は高知の理美容業界で一番給料がいい会社に就職した。

やりたいことよりも食べて行くこと、家族を養うことを優先する、夫はそういう真面目な人。

それがわかっていた私は、夫に感謝しつつも、長い目で家族の将来を見た時に、ライスワーク(食べるための仕事)よりもライフワーク(生きることを豊かにする仕事)を模索しようと考え始めた。

そうすることが、自分も家族である夫も幸せにすることだという確信だけはあったから。

高知に戻り、仕事もセーブし少し時間に余裕があった私は、新しくライフワークとしての選択肢を模索していた。

一番先に考えたことは、結婚前と結婚後の生活が変わらないように、むしろ幸せと感じるようにするために必要なことは何かということ。

その答えはまぎれもなく時間の自由だった。

そのことを考慮し、選択した仕事がパソコン一つで場所や時間を選ばないネットビジネスだった。

そこから、いろんな発信者のメルマガに登録したり、ブログを読んだりしているうちに出会ったのが、インターネットアパレル物販のバイマだったのだ。

結果的には最高月収99万円という自分にとっては美容師時代の最高月収も超えることができ、今でもこのバイマでの収益が私の収入の柱である。


これから


今、私は情報発信を学び、実践している。


なぜ情報発信をやろうと思ったかについては、物販で結果が出たものの、自分がやりたいことは、物を売ることではなく、自分の価値観を共有できる世界で生きたいということが明確になったから。

というか、そもそも、振り返ると私は自我が芽生えた頃からそれが強い人間だった。

義務教育でも、人と群れることや、人に合わせることが苦手だった。

さすがに大人になってコミュニケーションは問題なくこなせる、むしろ得意な方だが、今でも好き嫌いははっきりしているし、共感できない他者の価値観の下で生きることは何よりの苦痛だ。

私が情報発信をやる理由は、自分の心に正直に生きたいから。

自分の人生の価値観に正直に生き、自分も共感できる価値観の人に賛同して、生きやすい世界で、自分の人生を歩みたいから。

すごく抽象的だけど、これを具体化する作業を今、日々進めている。


フリーランス3年目にして思うフリーランスとは


『フリーランス』というと、自由で、聞こえはいいかもしれない。

一方で、私が強く言いたいのは、自由でいること、自分の価値観に正直に生きて行くということは、決してたやすいことではない。

今の世の中、他者の価値観の中で、自分が我慢できる範囲で、自分の感情をうまくコントロールしながら、なんとなく気ままに生きて行く方が、もしかしたら楽なのかもしれない。

ただ、そう思ったことが一度もないくらい自分の価値観を守り続けたいと思える環境にいた私はラッキーかも知れない。

月並みだけど、何より私は自分の一度きりの人生を自分でメイクしたいのだ。

同じように思う人がいたら、絶対にフリーランスの道を選ぶべきだと心から言いたい。

挑戦しましょう!!


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