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父にキース・ジャレットを聞かせたのは失敗だったかも…という思い出

以前にクラシック好きの父の話を書きましたが、間も無くその父の命日が来ます。


父とはあまりコミュニケーションできなかったのですが、音楽を通してのささやかなやり取りの思い出があります。

コミュニケーションが無かったのは、両親が不仲で、私が父と会話すると母親が不機嫌になるので、子供の時から母親の顔色を伺って言葉を交わすことができなかったからでした。

中学二年生位までピアノを習っていた私は、練習中に父が2階の自室から階下に降りてくると、その時一番上手に弾けると思っていた曲を弾き始めました。父に聞いてもらいたかったのです。「聞いてくれてるかな…」と背中に目が欲しいくらい、父のことを意識していました。

一度だけ母伝てに「YOKOも大分上手になった」と父が言ったということを聞いて、とても嬉しかったのを覚えています。

大学時代のこと。転職した父は秋葉原の電気店に役付きて勤めていて、父に頼むとレコードを何割引かで買えるので、時々父に購入を頼んでいました。

ある時あるジャズのアルバムを頼んだ時に、父が「売り場の人に『さすが部長の娘さん。趣味がいいですね』と褒められた」と笑いながら頼んだレコードを渡してきたことがありました。

また、突然「ジャズを聞いてみたいから何かレコードを貸して」と父に言われたことがありました。私はその時にハマっていたキース・ジャレットの「ケルンコンサート」というアルバムを貸しました。

貸してから、しまったと思ったのでした。初めてジャズを聞く人に「ケルンコンサート」はなかったかも…。

案の定父は、「良かったけど、おんなじことばっかり繰り返してる」と言いました。何しろコミュニケーションレベルが低かったので会話にならず、どちらかがポツンと言葉を投げておしまいという感じで、その時も「そう?」くらいの返事で終わっていました。

「いや、クラシックだってラベルのボレロとかおんなじことの繰り返しでしょ。あれは陶酔感を誘う同じパターンを繰り返す手法なんだから。」と心の中でやり返す私でした。

その後、やっぱりキースのアルバムにしてももっと違うのがよかったな、あれは長いからな、ほかのミュージシャンのアルバムもいくらでもあったのに、ピアノトリオの軽いスイングがよかったかも…とか、妙に後悔がつきまといました。

それでも父はジャズに挑戦したかったようで(良かった…)、私が数日間家を開けた時に私のレコードラックから何枚かのアルバムを持って行って聞いたそうで、「あのオランダのおばさんのボーカルが良かった」との後日報告がありました。

オランダのおばさんとは、アン・バートンのことです。

Amazonにありました。その時に貸したこちらのアルバム。隠れた名盤と言われています。

(先日処分したレコードの中にはなかったので、実家にまだあるはずです。)

ここでも「ああいうのが好きなら、これを聞いてみて」という会話の発展はなく、「そう」とそっけなく返事をして終わりました。

亡くなる前に三か月ほど入院した父と、会話らしい会話ができるようになっていました。

父が「ジャズはほとんど聞かないけれど、ベニー・グッドマン・オーケストラだけは来日コンサートにいつも行っていた」と言うので大層驚いたのでした。(良かった…)

おまけにその時に、父が実は宇宙好きだということも分かり、私も科学雑誌のNewtonを読んだりする宇宙好きなんだと話し、お互い「なんだ、そっちも?」と笑いあったのでした。そしてひとしきり、アインシュタインがどうしたこうしたと病室で話が弾みました。

もしかしたら、私たち父娘、状況が違えばもの凄く気の合う仲良し親子になっていたかもしれない。そんな思いが残りました。

この入院の時に私が作曲の勉強を始めたことは話しましたが、曲を聞いてもらうことはないままに父は他界しました。

もし父に聞いてもらえたなら、多分あの曲を気に入ってくれるだろうな…などと考えたりして、時々父とのことを思い出すのです。

時々私の曲を聞きにこっちに戻って来ているような気もします。

「来ているならひと言くらい感想言っていきなよ。」(笑)


父との思い出はほとんどが音楽絡みです。

もしまた向こうで再会とかあるのなら、お土産話がたくさんあります。お互いめっちゃお喋りするかもしれません。





キース・ジャレットと言えばこのような残念なニュースが先日報道されていました。




YOKOのオリジナルアルバムについての記事です。こちらもお読み頂けると嬉しいです。




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