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50歳で再び歩み出した看護師キャリアの道

5年前、私は20年間勤めた病院に辞表を提出し、悔し涙を流しながら職場を去ったことを、つい昨日のことのように鮮明に思い出します。

40歳を過ぎて、年子で子供を出産したことが、私の体力にとって予想以上に大変でした。育児休暇取得後、看護師の業務と家庭の両立に疲れ果てていきました。

そんな中、人事異動命令が下り、外来勤務から病棟での3交代勤務への異動をすることになったのです。

当時子供たちは4歳と5歳でした。
夫は仕事で22時を過ぎて帰宅するため、子供たちだけを夕方以降自宅に残すことは根本的に考えられませんでした。

結局、私は退職せざるを得なくなり、自分の意に反して看護師の免許を持っていながらも看護の仕事をしていない「潜在看護師」になったのです。

私が看護師になったのは27歳の時でした。きっかけは、私がずっと会社員をしていながら、なんとなく違和感を感じていたことにあります。
やがて「自立していきたい」という思いが強くなり、看護師免許取得を決意しました。

免許取得後の就職先は、病床数700以上の地元の基幹・中核病院でした。業務は非常に多忙でしたが、私はこれまで2年以上同じ会社で働いた経験がなかったので、成功体験を手にするという思いで一心不乱に働きました。

数年ごとに勤務異動があり、異動先では常に新しい分野の学びや看護技術を習得する必要がありました。私は経験を積んでいく中で、「糖尿病患者の療養指導」という専門的な領域に興味を持つようになりました。

手術室看護師、救命救急センター看護師やドクターヘリに同乗して救急看護を行うフライトナースと言った、俗にいう「かっこいい」看護師ではなく、治癒が困難な慢性疾患の方の療養支援をするといった、地味な看護師ですが私の中では楽しく生きがいになっていきました。

あれから5年以上経ち、先日久しぶりに白衣を着ました。

50歳からの就職活動は、自信喪失と情熱の葛藤で感情は揺れ動かされました。ブランクがあることで、最新の知識や技術についていけないのではないかという未熟感や、変化する環境に適応できないのではないかと不安感が強かった。

こんな私を救ってくれたのは、一心不乱に働いていた頃の自分を知っている女医さんでした。人間関係の力によって私自身が助けられただけでなく、看護師のキャリアも再び繋がったのです。


若い頃に必死で学んだこと、経験は忘れていません。
無駄なこともありません。

やればできると思える自己効力感を強く持ち、再び繋がったキャリアを無駄にせず、新しい学びを楽しみ成長し続けたいと思います。




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