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具体的な育ちの様子と、関わりのエピソード1

こんにちは(^^

今日は、ストーリーが前後しますが、発達障害のある長男 T が3才までで、具体的な育ちの様子と、関わり方法について、印象的だったエピソードをいくつか綴ってみます。

2才半の診断前後。家庭では、私が先回りして支援しすぎていた事実を、猛反省💦。私自身が「発達障害」というものを理解し始めてからは、T が要求してから動く...ことを、かなり意識しています。

診断を受けた頃(2002年~)、一番 最初に言葉でコミュニケーションを促したのは「あけて」です。

当時は、リビングとキッチンの境にベビーゲートを付けていました。T の動きがとても素早く、危険が分からない様子もあり、刃物や熱源など危ないな...と思っていたからです。(実際4才ころには、オーブンレンジを落下させています💦)

食べ物にたどり着くため、T はベビーゲートの前に必ず寄ります。そのタイミングを使い、何か声を出させるために、私から何度も声をかけて「発語」を促してみたり、視線を合わせることを教えるために、強制的に T の顔を私の方へ向けてみたり、T の発声を「待つ」...を繰り返しました。

T は私の「手」のみをゲートに引っ張って添えてみたり、無言でゲートに何度も体当たり...💦。パワーと行動力で、これまで思うまま全て叶えていた(汗)ため「言葉がある」ことに気付かせるまで、何日もかかりました...(^^;。

振り返ってみると、T は運動量が多く「睡眠」には問題ありませんでした。それから「癇癪」を利用して親を誘導することも無かったです(奇声は、あり)。単純に欲しいもの、やりたいことに突進...でした。

その後「療育サロン」「子育てサポート」の方々とも、 T への対応や課題を共有し、一緒に関わり方を模索しながら試しています。共通した前向きなサポートで、発達への影響は、非常に大きかったです。

次に「道立総合医療・療育センター」長沼医師による個別セラピー(2002年夏~月1回程度)。旧建物内の病室が一部屋、セラピー室でした。

ボールプールや室内 滑り台、大型のネット遊具、マット、トランポリン、低めのバスケットゴール...などが組み合わせてありました。T の場合は、全身を使った遊びを、先生と一緒にめいっぱい楽しみます。くすぐったり、抱っこも頻繁。私は、ボール拾い三昧...(^^;

感覚統合療法のはしり だったのかな...と、今になり気付いています。

ここでの発達検査で最も驚いたのは、3才のころの検査項目。T に顔の描かれた「絵カード」4枚ほどを見せます。全て表情が違います。「笑っている人はどれかな?」と聞かれて、ランダムにしか選べなかった時です。

「人の表情」という概念を T が理解していなかったことを、私が知った瞬間です。絶句。これまでを思い返し...確かに合点がいきました。

最後に。家庭で、私にとってインパクトがあり強く覚えていること。

「アンパンマン」のビデオや録画を、時々見せていました。とても気に入っている作品があったのですが、笑いのツボが「浮き輪が滝で横に流されている」というシーン。

キャラクターも全く出ていない「ザー」っと滝の効果音に、ドーナツ型の小さな浮き輪が、ただ横にスライドしていくシーン...だったんです。そこで毎回、大笑いする T 。

感情を共有しようにも、なんだか理解不能で...(T_T)。「全く違った感性」を強烈に感じ、とても不安になり、私が一人で、とても辛く悲しかった記憶です。

今ならば「あぁ T は、これが楽しいんだな。」と納得するだけです。(^^

私がこうして T のことをオープンに綴っているのは、この内容からピンと来る人に、届くと良いな...という想いです。

早い段階で「療育」という概念に繋がり、本人に合った適切な関わりを周囲が学習していくなかで、将来像も育ち方も、違ってくるのではないか...と体感しているからです。

本人も、この世界とのコミュニケーション方法を適切に学ぶと、たぶん生きやすくなるし、周囲も、共に暮らしていくイメージを持ちやすくなるのではないか...と、今の私は考えています。

つい「親(私)の育て方のせい...」など、「自分や他者を責める観念」になりがちです。そこからは、多くの人に抜け出て欲しいな...と願っています。(自分も含めて...ですが💦)

必要な人へ、届きますように...🍀

追記:この記事でクラッカーいただきました、応援ありがとうございます♬

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