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長男小6、次男小1。小学校をハシゴ(2012年)、そして受験(涙)

こんにちは(^^

今回は、前回の続き、自伝的エッセイシリーズ、第8章13話。

2012年の内容です。ひとつ前はこちら ↓

次男の卒園、小学校へ進学

長男小6になる春、次男は、私立幼稚園を卒園。

当時、謝恩会はホテル利用で、とても華やかに行われました。

567禍の今では懐かしく、イメージしずらいのですが、謝恩会は、保護者が主催する「宴」形式。園の先生方へお礼をこめて、余興やクイズ、スライドショーなどで、思い出を振り返ります。

私は、幼稚園内の「お別れ会」側で、お手伝い。演出のひとつ、アスレチック・ゲームを担当。持ち前の小柄を活かし「園児役」の見本をしました。

多くの保護者が、なんにでも積極的に関わる幼稚園、楽しい思い出がたくさんできました。

卒園式は次男の発熱で、出られなかったけれど、別日に手作りで。↓

このころ、Facebook が台頭。

最初に繋がったのは、次男の幼稚園ママ友がほとんど。有意義に繋がっていきました。

卒園後、離れ離れになった、お互いの子どもたち。それぞれ小学校の様子や、卒園した幼稚園の行事、生活の悩みごと、面白表情(*´艸`*)や、レジャー先など情報交換の場として、とても活用したSNSでした。

次男は、地元教育委員会からハガキの届いた、居住校区の 公立 S 小学校へ入学を決めます。長男の入学前には、暗に断られた印象のある小学校(汗)。

ですが、いち保護者として足を踏み入れると、そこは普通の公立小学校です。この5年のあいだに、特別支援学級が新規開設されていました。

長男とは、1年間「小学生時代」重なりましたが、校舎は別になる選択。

それぞれ、ひとりずつ、を育てているような感覚でした。


ふたつの小学校、行事ハシゴ

息子たち、ふたりが別々の小学校...ということは、学校行事も2倍。

この年、年間スケジュールを確認すると、運動会・学習発表会ともに、日程が1週間ちがい。両方を、家族みんなで、ゆっくり見学することが叶いました。

ラッキーでした!

隣居の義両親と、300Km離れた実母は、息子たちの行事のたびに、喜んで駆けつけては、成長を見守ってくれました(実父は頑固職人系、見守りキャラでは無かったです、汗)。

実母は、長距離を、都市間バス移動。トータル11年間、それぞれ12回ずつ。

迎える私も、部屋と食事を用意して、とても忙しかったのだけれど。あの時期だけのスペシャルな経験でした。

これは次男、ある運動会のときの空。

運動会の空03

実母は、行事見学のほか、都市での買い物を楽しみ、息子たちとふれあい、一緒にお出かけもして。夜は私と、たっくさんお喋り。息子たちが成長していく様子を、俯瞰しながら見守ってくれていました。

私にとっては、子育ての大先輩。なので相談しやすかった!

あるとき実母は「毎回、呼んでくれて嬉しいし、ありがたいよ。地元の友達○○さんは、実の孫にも会わせてもらえていないんだよ...。」と打ち明けました。

たとえ近所でも、義理の親子関係がこじれ、接点をもてないパターンがあると知り、胸が痛みました。


長男、私立中学受験校の体験会

この年。長男と一緒に、隣市の仏教系、私立中高一貫校の体験会に、何度も足を運びました。

だんだんと場馴れしていく様子。嬉しく心強く思いながらも、ちょっと自己中心的な態度になっていきます。

夏、夫も一緒に見学。

夫は「もし、この学校に入れたら、万々歳だなぁ~」といった感想。

高校の授業まで、抜かりなく見学し「高校に内部進級の時点で、もしかすると難しいかもな...」と、先の見通しを、ぽつり。

長男の、無邪気にはしゃいでいる様子に、振舞いの面で「あいさつ」や「急ぎ過ぎないこと」など、言い聞かせるよう諭しますが、本人が問題を認識していないため、なかなか伝わりません(涙)。

学習面は、大きな伸びではないですが、過去問対策を通塾先で準備していただき、合否ぎりぎりの状態で、1月の受験期を迎えました。

定員割れの年度もある学校法人。生徒募集に熱心だったので、私の見通しはかなり甘く、合格可能性に、淡い期待をかけていました。


いざ試験、そして結果...

忘れもしない1月10日。本人の学力試験(筆記)と、親子面接。

本人的には、いつもの出来だった様子に、ホッとします。

お昼休憩の会場では、幼稚園時代の友達親子に会いました。おっとりしたタイプの友達。その母親は、かなり年上の兄を育てていた経験上、試験慣れ(経験)を目的にチャレンジ、と仰っていたのが印象的でした。

いよいよ親子面接の時間。

夫、長男と一緒に、面接室に入ります。

どんな質問をするのか。学校側から事前に「子ども本人は、2~3の簡単な質問に答えられれば、充分に大丈夫。」と教えていただいていました。

扉をノックし「失礼します」と入ります。

面談中...

長男にいくつかの質問があり、それなりに応えています。続いて、保護者へも、いくつかの質問が続きます。

私と夫は、それなりに想いを伝えられたな、と感じる返答。

最後に、仏教園であることや寄付についても、好意的に答えています。

ですが徐々に、長男の「待てない態度」が、あらわに...。

席を立ち「失礼しました」と夫婦で頭を下げているタイミングには、もう部屋を出る扉へ、直行している長男の姿が...。

あいさつの言葉も、私の耳には聞こえてこなかった印象(涙)。

部屋を出たところで「ダメだった...」と自覚。夫と顔を見合わせました。

面接のタイミングに、改めて気がつくなんて(涙)。私は一体、この子の何を観ていたんだろう...と、苦しい気持ちがこみ上げてきます。

本人に訊いてみると「挨拶はした、やったよ!」の一点張り。

本人の「やっている」と、世間から見た「できている」の乖離現象(>_<)。

その後、今現在も、この部分が、よく行き違っています。

夫は、対応が上手で「そうだよな。T は言ったんだよな?」と、全肯定。本人のありのままを、まず受け止めます。その後に、少しだけ「こうしたら、もっと良いよ」と、アイデアをプラスします。

私は、そのコミュニケーション域、まだ途上です...。

☆     ☆     ☆

数日後の、結果発表日。

残念ながら、やはり「不合格」でした。

本人は、初めてショックを受けた様子でした。

私も、ショックでしたが、試験の日から、予想はありました。

夫は、最初から受かると思っていなかった様子で「本人に、社会的な自覚をさせるために、ちょうど良い経験」と割り切っていたそうです。

小学校では、理解ある環境に恵まれ、かえって天狗になりはじめていた長男。夫が一番、客観的に成長を捉えていたようです。

「このころの長男には、天狗の鼻を折る経験が必要だと思った。」と、後に語ってくれました。


長男、進学する中学校を決定

こうなると、進学先が白紙です。

1月末~2月。教育委員会からハガキの届いた、居住地の 公立 B 中学校が、にわかに選択肢として浮上。

長男にとっての知り合いは、ほとんどいなくて心細いけれど。

通っている小学校に相談。すると早々に、個別対応で、見学日程を組んでくれました。本当にありがたかったです。

小学校側の教頭先生の引率で、長男(と私)だけのために、B 中学校を見学。

この B中学校は、教頭先生の母校でした。我が家も、夫や義父、外曽祖父の母校にあたります。市内でも古くからあり、広い敷地に、迷路のような広い校舎。

T の様子を意識しながら、見学をしました。中学校側は、世間一般的な大人の対応で、腫れもの扱いされず、お客さん扱いでもなく、なんだかホッとする感覚でした。

今、思い返すと、支援学級が古くからある中学校で、どんな生徒への偏見もほとんどなく、教師の対応が「ありのまま」だったので、違和感を感じなかったのだ...と気がつきました。

長男に当時のことを聞いてみましたが、全く覚えていないそうです。

家から徒歩10分以内。通学は、ぐっと短くなります。

内申のことも考え、小学校のクラスメイト大半が進学する中学校はやめて、地元校区の 公立 B 中学校 へ進学することに決めました。

このころから、小学校を卒業し、中学校に進学するタイミングまで、親子で気持ちの切り替えに、じっくりと時間をつかいました。


次回、この章の最後(?)に続きます。


追記:皆さんの「スキ」がトロフィーになりました。いつも読んでいただき、本当にありがとうございます(^^

トロフィー20220208長男小6


※)自伝的エッセイシリーズ、各章と話、ほか全投稿note、プロフィールに目次として整理しています。


そのお気持ちが、もう嬉しいです♡ お互い幸せに、栄えていきましょうね(^^