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子供の記憶

先日、息子が学校で3泊4日の尾瀬合宿に行ってきた。
台風が近付く中で、その日は天気に恵まれ、
青空のもと、広大な緑の湿原が広がる美しい風景を見ながら木道を歩けたらしい。

さぞ感動したことだろうと、帰宅した息子に聞くと、
「うん、そうだね」と、反応薄め。
大人が期待したような言葉は返ってこない。


さて、自分の小学校のときの林間学校を振り返ってみると、
なんだか変なことばかり覚えている。

4年生のとき。
親戚の家以外では初めてのお泊り。
毎日家では腹巻をして寝ていたが、林間学校には持って行かなくていいね、と母が言って、持って行かなかった。初めて腹巻しないで寝ることに、密かに大人になった気分だった。一方でまわりに聞くと、普段から腹巻などして寝ている友達はひとりもおらず、ちょっとしたカルチャーショックだった。

5年生のとき。
合宿最終日の閉校式で、ひとりひとりメッセージを書いた風船を飛ばした。
ワクワクした気持ちで、空に上がっていく自分の風船をずっと目で追っていたけれど、ほどなく風船は、電線に引っかかってしまった。最後に出発のバスに乗り込んでからもう一度電線のあたりを見たら、無かったような気がしたので、飛んでいったんだ!と自分に思い込ませた。"嬉しかった記憶"として自分に思い込ませたつもりだったが、残念ながら今でもことの次第を覚えている。

6年生のとき。
部屋ごとにポスターを作って、表札がわりにドアに貼った。私の部屋には、イラストが上手なお兄さんがいる子がいて、そのお兄さんに書いてもらったから、色鮮やかで迫力があり、とてつもなく素敵なポスターだった。
なのに、就寝時間を過ぎてもおしゃべりしている部屋のポスターに先生が黒マジックで×を付けたものだから、私たちのポスターも台無しになってしまい、ものすごくがっかりしたことを覚えている。先生は、よくこんな素敵なポスターに×なんか書けるな、血も涙もないんだな、と思った。

思い出すのは、こんな変なことばかり。
まったく行事のメインイベントではない。
こんなことは当然日記には書かなかったし、人にも親にも話したことはない。

息子にも、きっとあるんだろう。
言語化されないけれど、大人になるまで覚えているような感情が。
「楽しかったです」とか、「感動しました」とか、
そういう言葉では括れないような思い出。
意外とそういうものが、大事に思えたりする。

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