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初めての「ばあば」に戸惑った日。通りすがりの少年のひと言から始まるおばあちゃん考

夕暮れ前に買い物を終え、娘の通っていた保育園の前を通りすぎる。いつもと同じ、のはずだった。

楽しそうに笑う親子のやりとりが徐々に近づいてきた。
その自転車がゆっくりと私の横を通りすぎた瞬間、
「あ、ばあば!」
の声。
周りを見回しても私以外誰もいない。ん?私?

「似てるわね、でも、ばあばはここにはいないよ」

母親の声がすると同時に、後部座席の少年はこちらを振り返る。
自分で答えを確かめた少年は、満足気に笑みを浮かべていた。
その無邪気な笑顔につられて、私もとびっきりの笑顔で応戦した。

まだ孫もいない私に向けられた人生初の「ばあば」は、突然やってきた。

戸惑いとかショックというより、意外と冷静な自分にも驚いた。
陽だまりみたいにあったかい、やさしいおばあちゃんになりたいな。
未来の自分の姿を思い描きつつ、孫には何て呼んでもらおうかな?と。

娘は、私の母を「おばあちゃま」と呼んでいた。

母が亡くなってちょうど4年。
初孫の娘に初めて「おばあちゃま」と呼ばれた瞬間の母の照れくさそうな表情は、脳裏に焼き付いている。

娘からの「おばあちゃま」の呼びかけは、母にとって、何の曇りもなく純粋に自分の存在を認めてくれる、幸せな瞬間だったに違いない。

「おばあちゃま、絵本よんで~」
「おばあちゃま、一緒にお絵かきしよう~」
「おばあちゃま、公園行ってブランコしよう~」
孫娘に振り回されるうれしそうな母の笑顔を見る度に、少しは親孝行できたかなと安堵の気持ちで満たされていた。

昭和の典型の父は専業主婦の母のことをいつも見下していた。

「働かなくていいんだから、恵まれてるだろ」「お母さんは家事をしてればそれでじゅうぶんなんだ」、今だったら即ハラスメントになるような言葉を父が放つたび、子ども心に母親のことをかわいそうだと感じていた。
と、同時に、言われっぱなしで、自分を押し殺すことしかしない母に対して、何て勇気のない人なんだろうとも感じていた。
母親みたいになるものか、と。

戦後の混乱の中で母を含めた3人兄姉は養子に入った。
伯母の話によると、末っ子の母は新しい家族の中で常に遠慮して育ってきたという。

そして、父が理不尽な言い分で身勝手を貫いたとしても、母は自分さえ我慢すれば、とすべての感情にフタをしてきた。
自分のことは後回し。
というより、自分の意志を伝えるという行為を絶対にしなかった。

母の部屋を整理している時、見慣れない大きな四角い缶を見つけたことがある。
フタを開けると、そこには、色あせた、とあるスケート選手の10数枚にも及ぶ新聞の切り抜きが大切に保管されていた。
昔、母が目を細めてテレビ越しに見ていた男性歌手になんとなく似ていた。

そして、もう一つ入っていたのが本。
何度も読み込んだと思われる、いくつものドッグイヤー。
題名は『生まれた場所で咲きなさい』。

時代も育った環境も今とは違う、自分らしさを出すなんて、ありえなかった当時。
だからこそ、今いる環境で自分にできる精一杯のことをする、謙虚という名の仮面をかぶった、我慢という美徳、そんな母の根っこにたどりついた気がした。



母のようには生きたくない。
でも、母が感じていた「おばあちゃま」と呼んでもらった時の幸せな気持ちを私も感じてみたい。

「おばあちゃま」も悪くないかも。

少年の「ばあば」に思いをはせつつ、私はどんなふうに年を重ねていきたいか、未来の自分に向き合うきっかけをくれた少年に「ありがとう」と伝えい。

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