自分の人生でよかったと思う瞬間は意外と地味かも

自分の人生でよかったなと思える瞬間。

それは成功や達成などの華々しいシーンではなくて、失敗や後悔、弱い部分、思い出したくもないほどの恥ずかしいできごとを昇華できたときだと私は思う。


緩和ケアでお茶を出す活動をしたとき、患者さんと血の通った会話ができて、じわーっとあたたかいものがこみあげる経験をした。

「今日は天気がいいですね」なんて窓の方を見て話をそらしてたけど、天気なんてほんとうはどうでもよくて、涙と静かな嬉しさと複雑な感情を見られまいと必至だった。

感情がそれくらい一気に動いたのは、自分がおばあちゃんにしてあげたかったことをできたからだと思っている。

おばあちゃんが亡くなってからはただただ後悔と喪失感でいっぱいだったけど、その出来事があったからこそ緩和ケアでの活動をはじめられたし、経験できた感覚だと思っている。


noteもそう。これまでかなり恥ずかしい部分をさらけ出してきたけど、実はそういう記事こそ「共感した」「それでも進もうとする姿に刺激をもらいました」と声をいただけることが多い。

記事の公開ボタンを押す手が震えるときほど、押すか押さないか最後まで迷うときほど、いただく声に救われる。経験して、書いてシェアしてよかったなと思うことができる。


「自分の人生でよかった」

それはテンション高くハッピーな感じというよりも、むしろ慈悲とか侘び寂びとか安堵感とか、そっち側に近いような気がしています。今のところ。


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