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音から感じること
それは12年ほど前に突然やってきた。
ちょうど自身の演奏会の練習をしていてある作曲家の曲を弾いているときに懐かしさとなんともいえない感情が込み上げてきてはじめはなんだかよくわからなかったけれど、時間が経つに連れて楽譜や音楽から作曲家の心を感じてるんだということが理解できた。
最初のころは湧き上がってくる感情に心がもっていかれ自分が安定しない感じでどうしたものかと感じていたけど年月とともに音楽を客観的に感じられるようになって今はずいぶんと楽になった。
感情にはまり込んでしまうと
なんだか違う方向にはまってしまうというか
感情的なものももちろん芸術の一部だとは思うけれど、やっぱり距離感みたいなもの、眺める視点みたいなものが演奏者には大事ではないかなと感じる。
音からはほかにもさまざまを感じることができて生徒たちのピアノもなにを感じながら弾いてるかは出てくる音からわかる。
だからここがめちゃ綺麗〜とかすごい好き〜とかそんなふうにピアノの音が鳴っている時はとても嬉しい気持ちで満たされる。
わかりにくいところはちゃんとわかりにくい音で、迷いは迷いの音として響くのでその気持ちが落ちてすっきりとした音に変わるときもよかったなと思う。
音はそのままその人を映す鏡みたいなものだ。
だから音楽というものは結局楽器をとおして自分自身を表現するもの、さらけだすものなんだと思う。
日常生活の中でたくさんの感情を感じるのと同じように音楽の中にもあらゆる感情が含まれている。それはどんな感情であっても芸術として認められているのだから自分自身の中のいい感情もそうでない感情もジャッジせずに受け入れながらピアノに向きあうことができたらいいな。
ちなみにはじめて作曲家の感情を感じられたのはシューマンだった。
今週の日曜日に長女の声楽の新人演奏会があって曲目にシューマンが入っていてなんと私がはじめて作曲家の心を感じた曲と同じ曲を演奏する。先生からすすめられたらしい。
シューマンが奥さんになるクララに寄せて作曲したものでもとは歌曲。ピアノ曲はリストが編曲したもの。
『献呈』
不思議な一致だなと思う。
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