5日間(トンガストリー⑦)


こんにちは

ヨウコです。


トンガストリー⑦。


トンガに父と旅立ち、予定していた5日間のトンガ旅行を満喫するぞとりあえず楽しんでいた14歳のヨウコ。


ブログを読んでくださっている方はもう知っているとは思いますが中学時代のヨウコはグレてしまいまして、どーにかしないといかんなと、

父が私をトンガへ連れていきました。母に会いにねん。



トンガでの5日間は本当にカルチャーショックと下痢、蚊に刺されまくりながら親戚達と楽しくすごしましたがトンガ4日目の夜に私の人生が360度変わった事件が起きました。


いや、事件ってちょっと大袈裟か。




トンガ4日目の夜に父ちゃんが母、おばちゃん達、おじちゃん達と何か会議をしている、、



なんだなんだ?



会議をしている大人達とは反対に私は人生で初めて見たサトウキビをいとこ達とかじっていた。



デリシャス!!!!!!!!!


美味い、甘い、ジューシー、ウワーオ🤯


サトウキビってこんな美味しい食べ物だったのか?!?!?!


これ日本に持って帰りたいわ
と思いながらサトウキビを食べていると母が


ヨウコちぃゃーん、おいでぇー。


と呼ぶ。



はーい🙋‍♀️と、いとこ達と家の中に入る私。


中に入ると親戚一同、トンガ組? マフィア?

と思うほど深刻な顔をした父と親戚達が座っている。


こわっ。


私なんかしたか?

トンガですんごくいい子にしてわたよ。


ゆっくりリビングに入り座る私といとこ達。



ここで父が一言。








ヨウコ、




大事なお話があります。




お前は、







トンガに残れ。




明日、お父さんは予定通り日本に帰る。




お前をトンガに連れて来たのは、お前を一時、お母さんと一緒に暮らしてもらう為だ。






私: はいいいーーーー?!?!?!?!



リアクション↓


訳がわからずポカーンと座っていると、、



母、モアナちゃんが話しだす。



モアナちゃん:

ヨウコちぃャンは〜ママがめんどうみるよぉ。あなたーグレたんだってな〜、わたしいなかった、ごめなさいねー。あなたひとりさびしかったねー。

トンガにいなさーい、お父さんは〜しんぱい、ママもしんぱい、トンガはーファミリーたくさーんいる、ヨウコちぃャンはーひとりじゃーない。
あなたいまニホン帰ってもーきっとダメダメだから。トンガにいるのほうがいいね。オッケー!



いや、モアナ様よ、オッケーって私の意思無視じゃないですか?!

ちょーっと待ってーー😭😭😭😭

トンガに住むー?!?! 私がー?



私はここで泣きまくる。


泣くヨウコのイメージ↓(最近、これするのにハマってきたわ。感情を写真で表すの) 😂


ヨウコは泣いて泣いて泣きまくり, お父様にお願いしました。


お父様、私はもうぐれない。学校もちゃんと行きます。不良とは友達になりません。門限も守ります。心をいれかえます。生まれ変わります。だから、だから、お願い、


トンガにおいていかないでぇーー!!!!!


と。



泣き叫ぶ私をなんとか落ち着かせようと、いとこ達とおばさん達が

イッツ、オーケー


と私の肩をよしよししながら言う。


イッツオーケーじゃーねーよ😭😭😭😭

どこがイッツオーケーなのー😭


とワンワン喚く。



何故か隅っこにいた私のトンガのおじさんは、この状況をみながら笑いをこらえるのに必死になっている。


このおじさんの名前はマリニ。

マリニおじさんは1番笑ってはいけない状況で笑っている。


トンガ人あるあるだよ、ここは。😂😭


後から分かったが、マリニおじさんは私のトンガ生活をみるのが楽しみでしょうがなかったらしい。


あー、ヨウコは姉のモアナにしごかれながら色々学んでいくんだろうなー。ヒッヒッヒっ。

みたいな感じだったそうっす。

皿洗いもろくにできん私にショックを受けていたから、、


さて、話しはもどり、いきなりトンガに住む事になった私。



皆なぐさめてくれたが私はそんな事より日本に帰国して浜崎あゆみのドキュメンタリーをみたかった。メチャクチャ楽しみしていたのに。


来週、友達と遊ぶ約束してたのに、、


中学校3年生で彼氏できる予定だったのに、、
(自分の勝手な思い込みと願いwww)


色々な感情が流れていく。



いきなり自分の家がある日本がとても遠く感じた瞬間。


自分がとても小さく感じた。


米粒より小さい存在。



いい気に中学校でハチャメチャをして、好き放題して生意気になっていた自分を初めて馬鹿だと思った。


この後は悲しすぎて延々と泣いていたが、もうその夜、いつ寝たのか、何を話したのかは全く覚えていない。


多分、ショックすぎて脳みそから記憶が消えた。



次の日は覚えている。



お父さんを見送りに皆んなで空港に行って


生まれて初めて誰かとの悲しい別れの経験したのは自分の父とだ。


今考えれば、きっとお父さんが1番辛かったろうに。



お父さんが元気でなと、涙ぐみながら私をハグしたが私は悲しすぎて裏切られた様な気持ちが込み上がり、ろくにバイバイも言えなかったのです。



当時の私は、


大人はなんて勝手な生き物なんだ。

自分達を産み、

大人達の事情で離婚や結婚をして


手に負えなくなったら、こうやって手放していくのか。


だけど


大人になった今、昔は分からなかった親の愛情を感じます。




私の父は私にとって必要な環境はどこか悩みに悩んで、当時、私に1番必要だったのは私を産んだ母ではないかと考えてくれたのですね。


仕事を一生懸命がんばり休む暇もなく世界中をまわりながらずっと私の事を思ってくれた父が1番辛かったのでは、と今になって思います。


私をトンガに連れて行ってくれた父に感謝しています。



そして今はもう天国にいる私の日本の祖父母。



この2人にも感謝です。


今の自分がいるのはこの3人



そしてトンガファミリーのおかげです。


皆、家族を大切にね。




今日のブログは、父、祖父母の写真を載せて終わりとします。




おばあちゃんと一年生の入学式💖

(私の娘のアミアにはミドルネームがあり、ミドルネームは写真に写っている私のおばあちゃんの
名前、喜美子(キミコ)です。)



おじいちゃんと梨狩り!




父ちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんと別府にて😂❤️





Yoko




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