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プロダクトデザイナーの考え事 ー無味なシンプル・雑味の味わいー

こんにちは、フリーランスでプロダクトデザイナーをしている横山です。前回の記事からだいぶ時間がたってしまいました。今回は最近デザインについて感じたことを雑記的に書きたいと思います。どうぞ最後までお付き合いください。

いきなりですが、最近シンプルという言葉がちょっと苦手です。たぶんあまりにシンプルと言われすぎて、もうわかったよ!ってなってしまっているのかもしれません。シンプルなデザインって聞こえはいいけれど、結局特徴とかないの?特徴がシンプルなの?って思ってしまう。。
とあるデザイナーさんが、「コロナですべてがシンプル化されすぎて、雑味がない。デザインを生み出すには雑味が必要ではないか。」とコメントされていたのを見てはっとしました。そのはっとした部分を深堀しながら、シンプル雑味について今回は書いてみたいと思います。

無味なシンプル

シンプルって何でしょうか?ミニマル・ふつう・簡素・無味乾燥・素朴・洗練?辞書には、“単純なさま。また、飾り気や無駄のないさま。”とあります。シンプルという言葉は、そもそもそんなにいい言葉なのでしょうか?確かに無駄がないことはいいことかもしれないけれど、すべてが合理的でいいのでしょうか?すべての無駄がそぎ落とされて、クリーンで無に近い状態って、怖くないですか?なんだか、近未来SF映画に出てくる真っ白な刑務所みたいと思ってしまいます。そう考えると、シンプルは無機的で人工的な気がします。
一方で簡素という言葉は、似ているようで違った印象を持ちます。個人の見解ですが、人間が理性的・合理的にコントロールしたものがシンプル、自然と要素が淘汰されたものが簡素というイメージです。シンプルという言葉が、プラスチックを触ったときのようなちょっとひんやりしているのに対して、簡素・素朴などの言葉は木に触ったときのような、ほのかなぬくもりを感じる言葉だと感じられます。簡素は(英語と日本語の差かもしれませんが)どこか洗練された禅の世界を感じさせる言葉です。
では、シンプルの反対語は何でしょうか?複雑?装飾?はたまた無駄や雑味でしょうか?次の章では、シンプルから排除された雑味について考えたいと思います。

雑味の味わい

雑味とは何でしょうか?辞書によると、“飲食の中に入り混じって、本来の味を損なうもの”とあります。日常の中に置き換えると、本来必要でない要素=邪魔で無駄なものでしょうか?あるいはノイズ。本来欲してないけれど、勝手に入ってきてしまうもの。
勝手入ってきてしまうことって、案外大切だったりします。偶然性が生み出す発想予期しない出会いこそデザインのヒントであると思います。雑味を排除した、自分の興味のあることだけの世界のなかで生きていると、どんどん世界が狭くなってしまいます。もちろん、興味のあることを追求して、深堀していくうちに、興味の幅が広がることもあります。しかし、その場合は自分の興味の周辺にじわじわと広がっていだけで、もっと、とっぴな所の情報はなかなか得られません。
先日、某有名家具メーカーのショールームに行ったのですが、とてもクリーンで洗練されていて、なんというか雑味のない空間でした。家具はどれも、デザイン性が高く、インテリアも精密にコーディネートされたスキのない空間、そして生活感のないミニマルなシンプルさ。(←ショールームなので当然なのですが)なんだか、居心地が悪く、もしこんな部屋で暮らしていたら、私はアイディア出るのかな?と疑問に思ってしまいました。私は人が暮らしていく中で自然と出てくる味・雑味をやっぱり求めてしまうようです。そして、雑味の中から生まれたデザインには説得力があるように感じます。なぜなら、みんながみんな、シンプルで洗練されたミニマルな空間で暮らしているわけではないから。

雑味こそが味わい

最後までお読みいただきありがとうございました。コメント、スキいただけると今後の励みになります。よろしくお願いします。


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