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「生きろ」で人は救えない
「自殺なんて何があっても絶対ダメなこと」と頭ごなしに否定するのは違うと思う。
自殺そのものは決して良いことではないし、もし目の前にそういう人が居たら、まずは引き留める。正常な判断ができなくなっているから。
人には生存権があるけれど、同様に死ぬ権利もあると思っている。
何も見えなくなるほど追い詰められてのことだとしても、死を選ぶことも立派な本人の選択のはず。
なぜ「死にたい」と口にした途端、どこかへ忘れ去られてしまうのか。人権って何?
命を自分で断つ…
— けい@猫使いは完璧 (@a_aoim_maru) July 19, 2020
これはダメという判断ができるうちはまだ「死にたくない」という気持ちの方が優っているから、本当に辛くて辛くて…という状況になった時はそんなのは考えられない。死んでほしくない、死なないで、なんでそんな事を言うの?は全て、こちら側の言い分。当人にとっては全部他人事…
「なんてこと言うの。やめなさい」
「何があっても死んではいけない」
ちょっと考えてみてください。
「死にたい」と漏らす人の気持ちや思いを完全に無視して、問答無用で全否定ですよ。
死にたいほど辛い人にとって、これほど辛いことはない。
自殺を止めるのは当然のことだけれど、そう考える気持ちとか背景は汲み取ってあげようよ。
亡くなってからも、故人に対してまるでとんでもない過ちを冒したかのように責める人もいるけど、それもどうかしている。
故人の尊厳はいったいどこへ行ったのか。
かくいう自分も、「死にたい」と口にしたことがある。
けど独り言のようにボソッと言ってうなだれただけで、実際には特に何もしなかった。
それを行動に移すって、相当な覚悟ですよ。生半可な気持ちじゃ到底できないこと。
「あなたに生きてほしい」「いなくなったら悲しい」と、気持ちを伝えるのは、当たり前のことだと思う。
だからといって、「死にたい」の気持ちを全否定するのは違う。
自分の全てを否定されたことが引き金となって、決断に至ってしまうことだって大いに有り得る。
「生きろ」で人は救えない。
どうして辛いのか、その背景や経緯。それを話してわかってもらえたときに気持ちが楽になるかもしれないし、一緒にどういう手立てが取れるかを考えるスタート地点に立てると思うのだ。
— ぽよ(ぽよイさん)@カウンセリングキャラクター (@korokoro_poyoyo) July 20, 2020
「そんな経緯があったんじゃ死にたくもなるよね…」ってまずは受容するのがいいんじゃないかなって思うぽよ。
【あとがき】
ショックな出来事だったから、どうしてもこういう記事が続いちゃいますよね…
ほんの一時とはいえ「死にたい」と思った時があったからこそ、美化されたペラッペラのフレーズに強い違和感を覚えます。
まずはなぜ「死にたい」と思ったのか、話を聞くことが大事だと考えます。
「生きて欲しい」は誰の気持ちだろう?と考えたときに、「目の前の人の気持ちを否定すること」である可能性も意識した方がいいとぽよいさんは思っているのだ。
— ぽよ(ぽよイさん)@カウンセリングキャラクター (@korokoro_poyoyo) July 20, 2020
寄り添うって難しくて、「死にたい」に寄り添おうとすると「生きて」はなかなか言えないのだ💦
お話たくさん聴くのはgoodだと思うのだ!
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