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一貫性のない子育ても、いいのかもしれない。夜中のヤクルトが教えてくれたこと。

午前3:50 

薄暗いキッチンの床に私たちは座り込み
長男が引っ張ってきた小さな足台をテーブルに
飲み会が始まった。

私「ヤクルト飲んじゃう?」

長男「え?いいの?」

私「今日だけ特別ね、カカも飲んじゃお」

長男「かんぱ〜い。」

そう言って長男は抱き締めたいほどの笑顔でヤクルトを飲み干した。


満足した長男は、むくりと立ち上がり
くるりと方向を変え、向かい合って座っていた私のあぐらの上にチョンと座った。

長男「おいしかったね。寝よっか。抱っこ。」

15キロの3歳児を午前4時に抱き抱え
階段を踏み外さないように登り、
そっと布団に下ろした。

長男はずっとニコニコしていた。
ものの30秒ほどで長男はまた眠りについた。



真夜中10分間の物語が教えてくれたこと


夜中に目を覚ました長男は、
「お尻かゆい、お薬塗って」と私を起こした。

あまりの眠さに一度気付かぬふりをしたが、
騒ぎ出したので次男が起きてはならぬと
眠い目を擦りながら一緒にリビングに降りてきた。

お薬を塗り、このまま寝室に行っても
「なんか飲みたい」とはじまるだろう。

「なんか飲もうか?」とキッチンに寄り
真っ暗の中、冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の明かりに2人の目がクシャっとなる。

「歯磨きの後は甘いのはダメ」

昨夜も寝る前にそう伝えて水を飲んで寝た。
でも夜中の私はなんだか無性にヤクルトが飲みたかった。

少し悩んで、私は2本のヤクルトを手に取った。

6時間前に自分が言ったことと矛盾してるなぁと
眠い目を擦りながらぼんやり思っていた。

とてもおいしいヤクルトだった。
とても静かな優しい時間だった。

きっと、この10分は彼の中に幸せな時間として貯金されたと思う。
私の中にも、しっかり貯金された。



〜「一貫性」のない子育ては子供を混乱させる〜

私の昨夜の行動は育児書でいう
「一貫性のない子育て」になるだろう。

ずっとこの「一貫性」という言葉に縛られていた。

今許したら、次も求められるかもしれない。
この前はダメと言ったから、今日はまぁいいけどダメって言わないとかな。

でも、人間ってそんなにシンプルなものだろうか?

そんな時、私の信頼できる友人がこう言った。

「一貫性なんてなくていいんだよ
今日はできるなって思ったらやればいいし
今日は無理だよって時はそれでいいんだよ。

大切なのはダメな時もいい時と同じように
当たり前のように言うこと。

怒ったり機嫌悪くなったりせず、
今日はママそれできないんだ、ごめんね〜
でいいんだよ。」

今日は心に余裕があるからいいよ。
今日はちょっと無理。
今日はなんだか嬉しい気持ちだからやっちゃおう!
今日はちょっと心が乗らないからごめんできない。

子育てだけじゃない、仕事も、友達関係も
そうやって「その時」によって状況は変わる。

どうしたら相手を頷かせられるか。
どうしたら相手はOKと言ってくれるか。

それを「家」で学ぶことも悪くない。
社会は矛盾に溢れているけど
たまにいいことも訪れる。

悪く言えば「親の顔色を見る子」といえるし
よく言えば「相手の気持ちの読める子」となる。

正解はないけど、
夜中にこっそり飲んだヤクルトは絶品だったし
その時の長男の笑顔は、多分私が死ぬ前に思い出すだろう程
特別な笑顔だった。

だから私は
一貫性にこだわらないと決めた。

そしたらもっともっと
子育ては楽しくなる。




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