徳川家康(とくがわいえやす)たちの脱出 その1(4分割)


 
今日からはね、今から450年くらい前の戦国時代のことだよ。 
本能寺の変(ほんのうじのへん)といわれる有名な大事件が京都で起こったんだ。織田信長(おだのぶなが)の家来だった明智光秀(あけちみつひで)という武将が織田信長を討ち取ってしまったんだよ。この時、織田信長は49歳。徳川家康(とくがわいえやす)は40歳だった。 
 
ポンと昔。天正(てんしょう)10年、1582年5月中頃のことだよ。織田信長はね、徳川家康を京都は大坂の見物へと誘っていたのさ。というのはね、一ケ月前の4月、織田信長は家康のおもてなしで、11日間も家康と一緒に甲州(こうしゅう)や駿河(するが)なんかを旅行していたんだよ。そんな訳で、こんどは織田信長が家康を京都へと招いたんだね。 
「家康どの、先月は大層世話になりもうした。初めて見た富士山は稀有(けう)な山でしたな。あの激しい天竜川(てんりゅうがわ)を渡った時などは驚きましたぞ。三河(みかわ)の者1千人が上流にて立ち並び、水流を和らげておったときにはのう。川の上に千個の頭で島ができていたようでしたわい。あの船橋も見事でしたな」 
「はい、恐れ入ります。太綱(ふとづな)数百本で船をつないで川を渡してその上に板木を置きましてな。太綱は三河の者に持たせておりました。」 
「ほぉお、三河ものは律儀な者よのぉ。さよさよお召し上がりくだされ。これから、幸若舞(こうわかまい)をお見せいたそう。この後、ごゆるりされ、京都と堺の見物を楽しまれてくだされ。案内には長谷川秀一(はせがわひでかず)をつけますぞ。」 

今日はここまで、また明日。ポン!

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