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【小説】悪い癖

これまで誰にも言ってこなかった。
話すのはきっと最初で最後だ。

俺には、悪い癖がある。
人にはわからないレベルの。
しかし人に話せば、確実に気味悪がられてしまうような癖。

ほら、今も。
俺は人混みのなか、目を光らせる。

前を歩く大学生の汚れきった靴底。

トラックのバンパーについた小さな擦り傷。

ファスナーを閉め忘れたままのリュックサック。

歩道に散りばめられたガムの跡。

きっと誰も目に留めないだろうし、きっと本人だって忘れてしまう。
でも、俺はそれを拾い集める。

俺は他人の過ちや怠惰を集めてしまう癖を持っている。
本当は過ちでも怠惰でもないのかもしれないけれど、とにかく重箱の隅をつつけりゃ何でもいい。

完璧な人間などいない。
それでも皆、他人の前では完璧であろうとする。
だから、見つけて暴いてやるのだ。
満面の笑みで。

「リュックサックの口、あいてますよ」

親切に教えてくれたと思ったら大間違いだ。
俺はその「ありがとうございます」に隠れた「しまった」が聞きたい。
その一瞬に私生活のだらしなさ、いや人間らしさを感じられれば大満足だ。

完璧にアイラインを引いたOLだって背中のリボンはうまく結べないし、
警察官の眼鏡だってその端は指紋で曇っている。

そうだ、完璧な人間などいない。


あてもなく駅前を漂う俺は、ビル風に舞うビニール袋のようだ。
革靴に踏みつけられ、傘でつつかれ、それでも舞う。
ふとした拍子に駅のエレベーターの中にまで入り込むこともある。

ちょっと失礼。おっと。

真正面に貼り付けられた無機質な鏡は、不意に俺の姿を映した。

ひげは伸び切り、背筋は曲がっている。
かけ違えたボタンの隙間から覗くシャツは皺だらけ。
気味の悪い薄笑いの隙間には汚れた歯が並ぶ。

大丈夫、大丈夫。
小さな箱の中、聞こえない声量でつぶやく。

エレベーターはコンコースに滑り込む。
ドアの向こうの忙しく行き交う人達は、いつかテレビでみた河川の氾濫みたいだ。
機械的な音声とともにドアが開く。

我先にと飛び出したサラリーマンが小さくつまずく。

完璧な人間などいない。

よかった。
怠惰な俺は今日もこの街で生きていける。

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