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愛のネタバレ

さいきんメンタルのバランスが取れないことが多くて、いまもなにに手をつけていいかわからないような焦燥感と不安感におそわれている。

わたしに必要なのはほどよい運動と栄養のある食事と安心して話をすることのできる友人なのかもしれないと思う。
きのう、雨月茄子春にはじめていま自分の抱えている感情についての話、というかつまり恋バナをしたら、自分の生きている意味が肯定された気がして大変助かった。ありがとうございました。

ときどきボイスメモ機能で録音をしている。自分の言いたいことを本当にそのまま、口汚い言葉でも話して、それがほんとうに意図に沿っているか、わたしはほんとうにそう感じているのか、を考え直す時間としている。
結局嫌な言葉が出てきてしまうのは勢いや一時的な感情であり、人に向けることはほとんどないものだが、溜め込むと厄介なのでスマートフォンにむかってわたしはかなりしんどい言葉を吐いて、自分の中で発したばかりの声を飲み込み直し、適当かどうか考えている。

愛のネタバレ「別れ」っぽいな
はピノキオピーの「神っぽいな」の歌い出しで、わたしはそうではないと考えている。と言いながら婚約破棄を一回、離婚を一回している。

離さないでくれるなら何でも叶えてあげるから
はクリープハイプの「憂、燦々」のサビで、わたしはそれができると思っていた。できなかった。

愛、むずかしい!恋や愛、もだし、友人関係における愛のようなものもとてもむずかしい。
なんでそうなるんだろうといつも思って、理由を聞いたらそんなことは自明だろうとぽかんとしてしまったことが一度や二度ではない。

まじで僕に愛される気あんの?
はあいみょんの「愛を伝えたいだとか」のなんか真ん中あたりの歌詞で、わたしは、たまにこれを友人関係において言ってしまいそうになる。でもほんとうに思ったことはない。たぶん。どちらかというと、ほんとうにわたしを愛してくれますか、ということを思うことが多い。

だいたい、相手はわたしのある部分に冷めていく。わたしはそれを自明のことだったじゃんって思う。でも相手はそれを聞いて開き直りだと怒る。なるほどわたしはこの人にはもう愛されていないと思う。そのときに、この人はたぶんわたしの愛というのは離さないでくれるなら何でも叶えてくれるような絶対愛だと思ってたのかもなって思う。でもそうしようとしていても、その愛みたいなものに寄りかかられているとわたしも傾いてしまう。そしてだんだん相手が「ずっと我慢してたけど」を発動する。ずっと我慢することはまじで僕に愛される気がないことだとわたしは最近思うようになってきた。わたしは、あなたを愛し続ける。だからずっと我慢しないでほしい。でもそれは大体不可能で、相手の我慢が魔貫光殺砲みたいになってわたしを貫いてそのまま相手は去っていく。わたしの人生に二度と顔を見せなくなる。

という場合が多かったのだがいま揉めている相手はわたしの人生の一部にずっといて、その人たちがわたしは怖い。だから、不干渉でいこう、と提案しても反応がない。それはどういうことなのか、わたしにはわからない。コミュニケーションを取れない相手をわたしは愛することができないし、相手はわたしを愛していないらしい。じゃあわたしはその一部分に踏み込むときどうしたらいいのか?

愛のネタバレ「別れ」っぽいな
わたしはその人たちと完全に別れることができない。だからお互い譲歩しようと提案すると無視をされ、おそらくだけれど相手はなにかの機関に相談しているらしい。わたしはもうその人生の一部に足を踏み入れることができないのか?

わたしは魔貫光殺砲を打つつもりがない。相手に打たれようとしているのかもしれない。二度とわたしが相手の人生に関わらないように。それはとてもくだらないとわたしは思い、くだらないと思うわたしを相手は呆れて見ているのだろう。

眠って、心を落ち着かせて、それでいつまでも済ませられるかわからない。わたしはわたしの情緒不安定にけりをつけなくてはならない。

ものを書くために使います。がんばって書くためにからあげを食べたりするのにも使うかもしれません。