空き家を改装してオープンするまでのあゆみ-養生デザインのサロンができるまで
こんにちは。養生デザインの青木優加です。
自己紹介、はじまりに続きまして、少しずつ養生デザインのこれまでの歩みや、サロンやロゴのご紹介もしていきたいなと思っています。
今日は養生デザインのサロン兼事務所ができるまで、企画から設計→工事→完成→オープン→現在までのお話です。だいぶん熱量が入りすぎまして、長くなりました。小分けにでもお付き合いいただけたら嬉しいです。
そもそも養生デザインのサロンは必要なのか?
突然ですが、養生デザインのロゴをはじめとするグラフィックやディレクションはTSUGIさんにお願いしています。このTSUGIさんは、新山 直広さんが代表をつとめていらっしゃる、福井県鯖江市を拠点に活動するデザイン事務所です。(TSUGIさんのご紹介はまた次回。お世話になりすぎて、一言では語りきれないので。)
養生デザインは、漢方上級スタイリストと理学療法士のユニット。「養生」を伝えることを生業としています。ただ、同じような事業をしている方があまりいらっしゃらないこともあり、活動内容を伝える事がとても難しく。
「養生デザイン」を知っていただくことにとてもにとても困惑していました。
そこでずっと活動されている内容やデザインの個人的なファンだった新山さんに、養生デザインの発信まわりのデザインをしていただくことをお願いしておりました。
実はTSUGIさんにディレクションをお願いしていた当初、まだ拠点を持つという考えはありませんでした。当時はまだ創業したばかりだったことと、セミナーを各地で開催することがメインだったため拠点の必要性をあまり考えずにいたというのが本音。
ただ、もしもサロンを持つなら現在のサロンのある場所に。つまり私の生まれ育った神楽でとのイメージだけはありました。
それでも、拠点を持つために工事をして、それを維持していくという大掛かりなことへ踏み出す勇気や気力がなかったのが正直なところだったのです。
ちなみにどこかに事務所を借りるなどは全く考えておらず、何もイメージがなかった割にやるなら神楽で。との思いだけはありました。
この養生デザインのディレクションをしていただいている間に、神楽商店街にある祖母の家(以下:実家、現在の養生デザインのサロンになった場所)を貸してもらえないか?というお話をある方からいただきました。サロンの企画はこの依頼を考えるところからはじまります。
商店街にある空き家の抱える課題と葛藤
実家の所在する神楽商店街は(どの商店街もそうであると思いますが)、商店街の表側にアーケードがあり、表に面している部分が店舗、その奥の半分が自宅というつくりになっているお店がほとんどです。我が家も表側半分は店舗(その昔は下駄屋でした)、店舗部分を抜けると中庭があり奥に土間の台所、その奥が自宅というつくりになっています。
▲我が家の図面。右端が表側、左端が裏側。養生デザインのサロンは桃色の部分です。
今回は、その前半分の店舗部分を貸して欲しいとのご依頼でした。
実際に家を貸すとなると様々な問題にあたります。
まずは祖母の家の持ち主をどうするかの相続や登記の問題(私の父と祖父が同時期に祖母よりも先に他界しているため祖母の所有物のままで色々複雑)、また後ろ半分を壊すか直すか、そもそも家全体を手放してしまうか。いずれにしても費用はどうするのか、壊すにしても狭い道での作業で費用が莫大にかかる、立て直すには木造は不可、表側は店舗にした方が良い、駐車場はどうする?…あれやこれや。
そして父や祖父が他界してから祖母1人で暮らしていた期間が長かったため、この家の中のものをどう処分するかというかなり高いハードルも。それはそれは頭の痛いお話ばかりでした。
▲改装前の台所。おばあちゃん子だった私は、ここも大事な食卓の風景。祖母はよく日本酒を片手に料理していました。
▲お宝発見!その1
▲お宝発見!その2
▲とりあえず仕分けしながらの家の中の片付け。1年ほどかかって整理した総量はおよそ3.5トン。
また、現実問題もありつつ、私自身も先代がこの神楽を選んで引っ越してきて守ってきた場所、さらに祖父母や父(3人とも他界してしまったので)との思い出の詰まったこの家を簡単に手放してしまって良いのか、というなんとも悩みとも迷いとも言えぬ気持ちや感情もふつふつ。
されど先立つものもなく、経営していく自信も見通しも気力もない。
ただただ1人悶々と悩む日々。周りの人に相談はしていたものの決めるのは自分自身。本当に心の中で葛藤ばかりの毎日でした。
ご縁をいただき一気に改装計画へ
そう悩む中で新山さんから「もしもサロンを改装してつくるなら、きちんと設計とデザインをしてもらった方が絶対良いよ」とアドバイスいただき、少し改装の計画のお話をしていただきました。お話を聞いているうちに、どんどんワクワクしてきまして。(←悩んで葛藤している割に単純)
私たちの思いを組んでくださる方を、と福井市の丸山晴之さんが代表をつとめる建築設計事務所、株式会社 ヒャッカさんをご紹介いただきました。
ヒャッカさんの手掛けた建物たちは、木の温もり感があり、建物それぞれに物語が感じられるものばかり。今あるものをただ新しくするのではなく、大切なものは敬意を持って残されている印象でした。
とてもお忙しいとお聞きするヒャッカさんに、今回の設計をお願いできただけでも奇跡に近い状況。
初めてのお顔合わせの時、実家を見るだけでなく気比神宮〜相生商店街までを歩いてご案内。随所に面白さを見出し、この町の雰囲気をとてもほめてくださったことが心底嬉しかったのを覚えています。そして驚いたことに、代表の丸山さんは私の大学の先輩でもあり、同じ学生寮の先輩(知る人ぞ知るなかなかに個性的な場所です)。世間の狭さを改めて実感しました。ご縁に感謝!
古き良きを残す改装案に感動・・が一転。廃案の危機で途方に暮れる
そんなやりとりを経て、あっと言うまに最初の図面をいただきました。
今ある建具や間取りを生かし、でもなんとも素敵に古いままお色直しされたもの。
土間も梁も、壁に貼られているトタンも。
私が古くて直したいなぁと思っていた(なんせ生まれた時から、この感じなので寂れたものだと思っていたのです)部分の良さを沢山教えてくださり。
今では手に入れることが難しいとされる擦りガラスの建具は全て残し、台所にあった裸電球ももう手に入れることができないからと違う場所で生かしてくださることに。そして建具を残すことで建設費も抑えることができるとのことで、丸山さんのお話に一気に引き込まれてしまいました。
何度かやりとりの末、土間の使い方なども決まりいよいよこれで最終見積もりへ…となるはずだった頃。
大きな問題発生です。
表側の店舗部分を貸すお話が一旦白紙に戻ったのでした。
元々が賃貸契約ありきの計画で進めていたお話がなくなったことで、資金面も不安になり、設計もやり直し。工事費用もまた変更になるということで、途方にくれたことは容易にご想像いただけると思います。
ここから本気モード。神楽の実家で本気でやりたい気持ちに目覚める
それでも、実家や神楽への思いを諦めきれず。
実際サロンの改装計画をはじめた時よりも、かなり実家への思いが深く強くなっていたことにこの時初めて気づきます。
相方の山中くんとも何度も議論し、本当に目指す先ややりたいことは何か?をもう一度考え直す日々が続きました。
ヒャッカさん、TSUGIさん、そして施工担当のお二人に失礼を承知で随分とわがままな思いを聞いていただきました。借り手となる方にも私の気持ちを代弁してくださったり、本当に様々なことに相談に乗っていただき、とても心強かったことを覚えています。
そんな紆余曲折あってのサロンのデザインと設計計画。温かい皆様の励ましもあり、無事新しい借主さんも決まり、設計図が完成したのが2019年の年末。いよいよ新年から工事開始できることになりました。
あたたかく丁寧なお仕事ぶりもサロンの魅力に
お世話になりご紹介したい方がもうお二方。サロンの施工をお願いした伊藤浩一さんと浅見勇さんです。(今年株式会社敦賀建築舎を立ち上げられています。当時はKプランニングさんに在籍)このお二人にも、泣きながら思いを聞いていただき、本当に親身になっていただきました。
お二人は、何かあるとすぐに飛んできてくださって熱心に対応してくださり、工事の間も本当に丁寧なお仕事ぶりで。大工さんも素晴らしい方でした。1日の作業が終わるとピシッと道具や現場が整えられていて、とても心地よい空気が流れていました。寒い中の作業に、本当に頭が下がる思いです。
台所の作業台も本当にうっとりする出来栄え。とてもかっこいい台所が誕生しました。
あまりに丁寧な完成ぶりだったので、当初予定していた壁紙もなくし、サロンの壁は大工さんの作業のままのベニヤ板を生かした形となっています。
▲庭に面したカウンセリングのお部屋。正面に見えるのがお気に入りの壁。
▲夕方になると温かい雰囲気に。奥のかわいい模様の襖は実は裏側に隠れていたもの。
いよいよ完成!
本当に私たち養生デザインだけでは実現できなかった思いが、今回工事に関わってくださった方のおかげで形になりました。
雨降って地固まる。当初の計画になかった台所も庭も養生デザインの敷地に収まり、この改装工事を通して養生デザインらしさを紐解き紡ぎ出していただいたように感じています。サロンの全てを通して、すっと養生デザインらしさに落ち着きが生まれました。
▲作業台、ヒャッカさんのデザインで大工さんの手作りです。めちゃくちゃ気に入っています。
庭と縁側と裏通り
庭は少し間をおいて秋にお願いしました。
こちらは有限会社青池庭園さんが施工してくださいました。
ずっと庭をどうしようかと悩みに悩んだ末の相談。
この縁側やサロン側から庭をみながらやりたいことなどを縁側でお話ししながら考えてくださいました。
元々ある石や岩を全て使っていただいて、養生デザインの思い描くよりもさらに理想の庭が1日で完成。
これでようやく養生デザインのサロンの完成です。
▲縁側に座って庭を眺める。七輪で魚を焼きながら呑みたいのは私だけではないはず。
当初はお貸しする方の敷地となる予定だった台所と庭。
それでも振り返ると、私の暮らしの原点は台所の空間と庭の縁側と土間にありました。そして裏通りでかまくらを作ったり、祖父と遊んだり。幼なじみとかけっこやかくれんぼをして遊んだ記憶も蘇ってきます。
▲お気に入りの一枚。庭に面している部屋で、15年ほど前の祖母と長男。
▲こちらも随分前の次男。風車が好きで、商店街を走り回るの図。
▲縁側の一部。掃除を手伝ってくれた長男が見つけた気に入ったものが並んでいます。
▲養生デザインの表側となる、商店街の裏側 ▼
▲養生デザインにつながる小径の入口
いまの養生デザインにつながる、実家と神楽の記憶と大切な思い出
少し話が前後します。元々実家はお表通りに面した店舗部分を、昔からお洋服屋さん(ブティックと呼ばれていましたね。今も言うのかな?)に借りていただいたことが多く、表から裏も風通しよく過ごしました。
築50年、祖母が施設に入って10年あまり、年月が経ち人や家の呼吸が少なくても状態よく残っていたのもこの風通しのおかげとうかがいました。
ご近所も商店の顔と日常の顔どちらも繋がりがあり、友達のお家などは表から裏へ遊びながら抜けさせてもらうことも当時をしのんで思い出す微笑ましい景色のひとつです。
反対に、非日常の中でも大切な記憶も。
なんと言っても「けいさんまつり」と呼ばれる大きなお祭りです。
氣比神宮のお膝元にある神楽町。この北陸道総鎮守氣比神宮の気比神宮例祭は気比の長祭とも呼ばれ、神楽町から出る宵宮で始まります。
子どもの頃は宵宮を引くところから始まり、踊りやお囃子のお稽古が楽しかったのも懐かしい思い出です。
▲サロンオープンの日(令和2年6月21日(夏至&新月))にお参りした氣比神宮。節目にはご挨拶やお礼に。
▲少しだけ(ではない)昔の写真。氣比さん祭りの宵宮にて。夏休みは踊りのお稽古が定例。
▲祖父の残していた昭和28年(1953年)の宵宮の写真。氣比神宮の境内です。
▲祖父です。氣比さん祭りの行事のひとつ、御鳳輦(ごほうれん)巡幸の時のもの。
暮らしの中でととのえる
養生デザインの軸は”暮らし”。
今回実家の改修を通じてその軸が確認できたことでやっと気持ちが落ち着いた気がしています。この家ができたのがちょうど昭和40年代。神楽商店街が一番栄えていた頃です。
私は昭和51年生まれですが、幼い頃はお酒屋さん、お薬屋さん、乾物屋さん、お肉屋さん…今はなくなってしまいましたが商店街の中で暮らしに必要なものはそろったような気がします。
お昼には魚商のおばあちゃんがリヤカーを押してお魚を売りに来てくれ、家のまえで捌いてくれる。その魚を祖母が焼きつつ一杯飲みながら夕食の支度をする。そんな光景が今でも私の中にあたたかく残っています。
この実家も神楽の衰退と共に一時停止していたような感じ。
今回の改装は、リニューアルというより再生再開したような感覚です。
昭和に戻るでもなく、レトロでもなく、昔からあったものに私たち養生デザインなりの暮らしを合わせていく、そんな気持ちがよりしっくりとしてきました。
ご縁とタイミングに感謝して
今回、このサロンの改修にあたり本当に様々なありがたいご縁とタイミングに恵まれました。
養生デザインをスタートして半年後、祖母が94歳で人生の幕を閉じました。先にも書きましたが現在のサロンは祖母との思い出の詰まった大切な家です。創業し、今後の展開を考えはじめた時にこうして拠点となる場所へ祖母が呼び戻してくれたようにも感じています。
また、今回の改装は市や国からの補助金や公庫融資などのお世話になりました。ちょうど創業まもなかったので女性創業を応援していただける制度のお世話になりました。ここまでに至る創業計画と事業計画などについても、沢山のありがたいご縁に恵まれてご指導いただき今回の改装に踏み出すことができました。
▲ありがたいことに、一昨年(令和元年)またお囃子に参加させていただきました。やっぱりお祭りは参加するのが楽しい!
▲オープンの令和2年の夏至の日。お祝いに来てくださったヒャッカの丸山さんと。
▲お気に入りののれん。ロゴにまつわるお話はまた別の記事で。
現在の養生デザインとサロンの運営。そしてこれから。
さて、ここまで長くお付き合いありがとうございました。
現在サロンでは、なかなかセミナーなどが思うように開催できていませんが
もしも昨年工事をしようと思っていたら到底叶わなかったことばかりです。
いろいろな思いや昨年のことが重なり、サロンをオープンさせてから半年以上の月日が経ってしまいました。それでもこうしてたくさんの方の温かい気持ちに支えられて出来上がったサロンです。
いますぐに開花せずとも、少しずつ少しずつ10年後も30年後も養生デザインの拠点として大切にしていきたいと思っています。
そしてゆくゆくは、ご自身の身体と心の付き合い方に悩んでいらっしゃる方の駆け込み寺のような場所になれますように。
まだまだ未熟な私たちではありますが、これからもこの軸を忘れずに精進してまいります。
▲丸山さんに撮っていただきました。優しく照らしてくれている光が丸山さんの優しさのようです。
▲オープンの夜。たくさんのお祝いのお花に囲まれて仕事をする山中氏。お祝いのお花やプレゼントをいただいた皆様、本当にありがとうございました。