Фёдор Иванович Тютчев "Накануне годовщины 4 августа 1864 г." フョードル・イヴァーノヴィチ・チュッチェフ「1864年8月4日命日前夜」和訳
Вот бреду я вдоль большой дороги
大きな道沿いに彷徨う私
В тихом свете гаснущего дня…
暮れ泥む日の静かな光の中で
Тяжело мне, замирают ноги…
身体は重く、足は凍えている
Друг мой милый, видишь ли меня?
我が愛しの友よ、私が見えているか?
Всё темней, темнее над землею —
地上は全てが暗く、暗くなっていく —
Улетел последний отблеск дня…
一日の最後の煌めきが飛び去った
Вот тот мир, где жили мы с тобою,
君と共に生きていた世界だ、
Ангел мой, ты видишь ли меня?
我が天使よ、私が見えているか?
Завтра день молитвы и печали,
明日は祈りと悲しみの日、
Завтра память рокового дня…
明日は運命の日の一周忌
Ангел мой, где б души ни витали,
我が天使よ、魂がどこにあろうとも、
Ангел мой, ты видишь ли меня?
我が天使よ、私が見えているか?
3 августа 1865
1865年 8月3日
Написано накануне первой годовщины смерти Е. А. Денисьевой.
エレーナ・アレクサンドロヴナ・デニーシエワの一回忌前日に執筆される。
最近チュッチェフにハマっているので記念に和訳してみた。チュッチェフは19世紀ロシアの詩人、外交官。「頭でロシアはわからない (Умом Россию не понять)」が文学作品や会話でよく引用される。
この詩で書かれたエレーナ・デニーシエワはチュッチェフの恋人。関係は14年続き、彼女との間に婚外子を3人儲けたが、1864年にエレーナが38歳で亡くなってから一年も経たぬうちに3人の子供のうち2人も亡くなってしまった。彼女にささげた詩は多く、«Предопределение (神の定め)», «О, как убийственно мы любим… (ああ、なんと耐えがたいほど愛していることか…)», «Последняя любовь (最後の愛)»、等々。この詩からはチュッチェフの哀しみが迫力とともに伝わってくる気がしたので訳したくなった(既に和訳があったのかもしれないが、見つけられなかった)。
今後もロシア語の曲に限らず翻訳したいと思ったものを翻訳していきたい。
誤訳など見つけられましたらご指摘いただけると助かります。
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