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「第17回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・令和元年9月14日)

能「檜垣」
シテ・香川靖嗣
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村万蔵
笛・松田弘之
大鼓・国川純
小鼓・大倉源次郎
後見・塩津哲生、中村邦生、友枝雄人
地謡・友枝昭世、粟谷能夫、粟谷明生、長島茂、狩野了一、内田成信、金子敬一郎、大島輝久


 「第17回香川靖嗣の会」を拝見しに、目黒の舞台を訪れる。春の公演は事情あって拝見できなかったこともあり、約1年ぶりの観能となった公演の演目は秘曲・稀曲として名高い「檜垣」である。

 喜多流では三老女「伯母捨」「檜垣」「関寺小町」のうち、「関寺小町」は故あって上演されることがないとのことなので、第7回目、2013年の「伯母捨」に加えて今回の「檜垣」の演能をもって香川さんは最奥義を窮められたことになる。同じシテの演能によって全能作品中の双璧とされる二作を拝見できることの重みは測り知れず、それを価値に見合った仕方で受け止められるかどうかは措いて、拝見する側の自分にとっても一生に一度の機会となるであろうことは否でも意識せざるを得ない。

 勿論後述のように、近年は老女物も門外不出というようなことはなく、かつては文字通り秘曲であったこの作品も、他流も含めれば、様々なやり方で複数の演能を経験することもできることだろう。それはそれで大変に意義のあることであろうことは、複数の演能を拝見したことのある他の演目について思いを致せば明らかなことであるけれど、私個人の思いはまた別にあって、多忙の言い訳とか負け惜しみという側面は措いて、そもそもが能を拝見すること自体、私にとっては日常の中に穿たれる特異点の如き重みを持った「出来事」であって、軽々と受け流せるものではない上に、演ずる方にとっても最奥の、一生をかけた修練と経験の蓄積の上で演じられることの重みに少しでも釣り合うように、見所の側にもそれなりの構えがあっても良いのでは、ということを思わないでもない。

 最近特に強く思うのは、能に限らずどんな公演も、様々な脈絡の中で幸運にも接することができた貴重なものであるということで、それだけに自分がそこから受け取ったものを無為に墓の中に持って行くようなことは、単なる消費として到底肯んずることのできないものに感じられる。そういう思いを込めて、いつもながらの拙さ、いつも以上の主観的な見方をご勘弁頂ければと思いつつ、以下に感想を記しておきたい。


「檜垣」は世阿弥の次男元能が書き留めた聞き書きである『申楽談儀』に「世子作」として登場し、世阿弥作ということになっているが、謡本を読む限り、恒例の開演前の金子先生のお話でも述べられていたように、その謡本の短さが世阿弥としては例外的と感じられ、下敷きとした古作の影響もあってか、一度きり世阿弥がミニマリズムに挑んだかいう印象さえ覚える程だ。一読して印象的なのはそのモチーフの集中性で、特に「水」のイマージュ、とりわけ後撰集の和歌を下敷きにした「水は汲む」への集中とそこに存在する重層性・多義性が際立っているように思われる。常とは異なり、遠心的に拡がっていくのではなく、モノトーンという形容すら思いつく程に、抑制され、集中して檜垣の女の「業」が語られるように思えるのだ。

 今日では寧ろこの世阿弥作の能を通じて知られているようだが、往時は「檜垣嫗」の伝説が厚みをもって堆積していたようで、金子先生のお話では面の選択の問題を介して語られていた「老女か否か?」という問題は、そうした厚みに由来する側面があるようだ。例えばそうした典拠の一つである『大和物語』では「檜垣の御」とあって必ずしも老女ではなく、当時の都からすれば辺境に住む教養ある女性といった側面の方が前面に出ている印象を受ける。そして世阿弥の作品はといえば、そうした伝説の厚みを横断して引用のネットワークを作り出すよりは、堆積の一断面を切断して提示することによって自身の思いをそこに籠めたという印象が強く、伝説上の人物に仮託して「業」、「人間」一般の宿命について、もしかしたらそうした「人間」と根源的な形で関わっている筈の「芸術」の宿命と重ねて浮かび上がらせた作品であると私には感じられる。

 キリの短さについても金子先生が言及されていたが、その点に関しては寧ろ、明確な救済を表す詞を欠く点の方が気になった。思えば男女は違えど、やはり老人がシテの作品である「実盛」もそうで、構造的にも類似点が幾つか指摘できようが、比較はそこまでで、何より「実盛」とは時間の流れ方が異なるように感じられ、それに応じて結末の意味も表面的な共通性のみで考えることには無理がありそうに思われる。個人的な前提知識の差もあって、片や「平家物語」等でよく知った「あの」人物の終焉の地での後日譚といった印象なのに対して、そうした文脈を持たない檜垣の女ではそうしたイメージが持てない分、個人の心情を慮るというよりは、より一般的、普遍的な、言ってみれば「神話的」な物語として受け止めざるを得ないという点が大きく与っているに過ぎないかも知れないが。

 水のイマージュということでは、舞台となる岩戸観音に関連した観音と水(水瓶)の結びつきがあろうが、観音利生譚の体裁をとるわけでもなく、舞台の寺も現在では寧ろ宮本武蔵が『五輪書』を書いたことで有名なようだし、更に本尊は馬頭観音(一般には印を結び、水瓶は持たない)とのことであり、寧ろ上記の後撰集の歌に詠い込まれた白河の河畔にある檜垣の女の庵が物語の舞台となる。実際に能舞台の中央には、檜垣が両脇に意匠された作り物が出され、前場では夕闇に紛れるように作り物の中にシテが入って中入りとなるし、後場では、ワキの僧は岩戸山から降りて、白河の畔の庵を訪ねて檜垣の女の霊の供養をすることになる。


 開演前のお話の中で、金子先生が見所に対して「檜垣」を既に拝見したことがあるかどうかを問うたところ多くの方が既に一度以上拝見されているとのことで、稀曲であるがゆえに当然初めてと思っていた私は大変に驚いた。だが金子先生のお話によれば、近年は年に何番も出るとのことであり、従って見所の多くを占めるであろう能をきちんと勉強されている方にとっては当然のことかも知れず、却って自分の不勉強を思い知らされることになった。なお観世流においては序の舞に加えて、或いは替えての乱拍子の伝承があるやに仄聞するが、これは檜垣の女が白拍子であったことを思えば趣向としては格好のものには違いなく、近年観世流での上演が際立って多いのに与っている可能性はあるだろう。

 そうした訳で、これが初見となる私にしてみれば、他の「檜垣」の演能との比較のしようはないけれど、それでも尚これまでに拝見して来た演能の経験を辿っても、これほど迄に能の表現が先鋭的に拡大され、或いは深く彫啄され、幅広い表現と圧倒的な力を以て迫って来るのに直面し呑み込まれた経験は、これまでにもなかったと感じられた。

 といってもそれは、何か風変わりな演出があったというようなことでは全くなく、寧ろ普段の演目以上に徹底した表現に全編覆われていたということであって、上述の通り詞章が簡潔で求心的である一方で、或いはもしかしたら稀曲であって上演の伝統が少ない分、表現の自由度が高くなるといったことが影響してはいまいかということを思った程である。

 勿論、再演されることによって深められ、洗練される側面は当然にあろうから、とりわけ喜多流における近年の上演における希少性と再演の微妙な均衡が与って、この日の演奏のような、演奏頻度が少ない作品の上演で危惧されるかも知れない類の不安定性を微塵も感じさせない、奇跡的な達成が可能になったということは考えられるかも知れない。


 あえて能の伝統的な語彙を使わずに言えば(というのも、私個人は寧ろ、現代音楽において試みられる表現の探求に近いものを感じ、それがこのような伝統の中で達成されることにしばしば驚きを感じてきたし、今回はそれが最高度に達していると感じ、圧倒されたからなのだが)、聞き取れない程の呟きから、ごつごつとした感じを時として孕みつつも、曲柄に応じてあくまでも静謐さを基調に遺した地謡、これまた表現の幅を極め、音楽的時間の流れにおいても、時として眩暈を感じさせる程の自在さを感じさせた囃子、そしてそれらに支えられ、或る種の無為を感じさせる程に控え目で繊細でありながら芯の通った響きを基調にしつつ、詞章に応じて時には深淵が口を開けるのを間に当たりにするような悲痛な叫びにまで達するシテの謡もまた、それぞれに圧倒的というほかなく、特に後場、作り物の幕が下ろされて檜垣の女が姿を顕したそのままの姿で謡われた「熱鉄の桶を担い、猛火の釣瓶を提げてこの水を汲む、その水湯となって我が身を焼く事隙なけれども」と地獄の責め苦を語る謡は、耳朶にこびりついて離れない。

 前場、ワキの僧の名ノリの後、囃子にさそわれるようにして登場し、橋掛かりの途中で謡い出す次第から始まって、シテの謡と所作の全てが印象的であったと言って良いのだが、その中であえて特筆すべき箇所を挙げるならば、後で別途取り上げる序の舞とそれに続くキリ以外では、先ずは何と言っても後場でシテが作り物の中から姿を顕わす場面に指を屈するべきだろう。

 香川さんのこれまでの舞台の中で、後場、作り物から後シテが顕れる部分は特に圧倒的で、幾つもの忘れることのできない舞台を思い浮かべることができるが、この舞台においてワキの僧に促されて、老いの身を恥じつつも檜垣の庵の作り物を覆う幕が外されて姿を顕わした瞬間の鮮烈さはそれらに勝るとも劣らないものであった。その場の空気が、光の調子を含めて一変し、それを受け止めた見所の雰囲気もまた一瞬の裡に変わる、相転移と呼ぶのがまこと相応しい一瞬というのが今回もまた経験されたのである。

 謡については既に述べたので繰り返さないが、所作としてはやはり金子先生がお話のタイトルとして採り上げられたクセの「釣瓶の懸縄」の箇所の荒々しいまでの感情の激発もさることながら、寧ろ心に残るのは、それとコントラストを為すように立ち尽くして双肩に運命を受け止めているかに見える動かないシテの気を張り詰めた受動性の印象であった。

 ワキもまた、冒頭の岩戸の霊場の雰囲気の定位の確からしさから始まって、特に後場の始めの重要な場所の移動、岩戸観音から霧の立ち籠める白川辺(檜垣女の住居)への辿り着く場面の転換の「不思議や早く日も暮れて、河霧深く立ちこもる、蔭に庵の燈の、ほのかに見ゆる不思議さよ」の鮮やかさも印象的であったが、そうした描写にも増してこの作品において得難く思われたのは、シテとの自然なやりとりの中でシテの詞と行動とを引き出していく間合いの確からしさであり、それはキリにおける、それまで立ち続けていたシテの跪いての合掌に相応しいものと感じられた。


 だが、少なくとも私個人にとって、この演能において、恐らくは自分の寿命が尽きる迄、恰もトラウマのように刻印された印象を心の中で反芻していくことになる箇所を挙げるとなれば、それは序の舞とそれに続くキリで受けた印象の異様さにあるだろう。あくまでも私個人の印象であり、一般化するつもりは全くないけれど、私にはそれが、檜垣の女個人の運命であるというより、「人間」が担わされた宿命を、その時間論的な構造を、(根源的という意味において)ラディカルにリアライズしたものと感じられたのである。

 曲頭の次第から始まって、その後経過を通じて、一貫して老残の果ての現在と栄華に満ちた過去との間の乗り越えることのできない隔たりが繰り返し強調され、還ることなき隔たりにある「過去」をめがけつつも、寧ろ現在と過去の裡にある深淵を感じさせるかのようであったところに、老残の身を意識しつつ、それでも何物かに突き動かされるようにして舞い始める序の舞もまた、その動きはたどたどしくて、それでもなお抑制された所作は美しく、嘗ての舞の上手を彷彿とさせはしても、やはり現在と過去の間に広がる深淵の前にたじろいでしまい、結果としてその舞は、いずれもそれ自体の存在感を感じさせない現在にも過去にも根拠を持つことのない、何物かの影であるかのように感じられる。

 そうした舞の経過の中で驚くべきことが起きる。段の区切りで囃子が完全に停止し、音楽的な流れが一旦完全に休止してしまうのだ。常には間合いを保ちつつ、残響豊かな能舞台において、仮に物理的には多少の空隙が生じたとしても、前の響きが後の響きに有機的に繋がっていく音楽的持続が成立しているものだが、ここではその持続が断たれてしまう。響きの絶えた、凍りついた瞬間の持続(矛盾した言い方に見えるかも知れないが、それは二次的に構成された時間表象から振り返った、遠近法的倒錯によって生み出される錯覚であり、擬似的な矛盾に過ぎない)の中で、檜垣の女もまた立ち尽くす。音楽が、舞が動きを全く止めてしまうのである。

 いや、それは老女物の序の舞の常の作法であって、老女だから休みを入れつつ舞っていくものなのだから、ごく普通のことに過ぎず、そんな見方をするのはおかしいと見巧者の方は仰るかも知れない。それは事実その通りなのだろうと思うから、それに対して抗弁することはしないが、にも関わらず、私が主観的に受け止めた時間の質は、そういう説明が繰り広げられる地平とは懸け離れたものであったのはこれもまた確かなことであり、それを譲るつもりもまた全くない。そればかりか寧ろ、まさにこの休止こそが「檜垣」という作品の「核心」であり、私は幸いにも、今日最高の演者の方々に導かれて、それに触れることが出来たのだと言いたいようにさえ思っているのである。

 百歩譲って、それでは同じ老女物である「伯母捨」の際はどうであったかという比較をしてみても、勿論そこで開示された時間性もまた根源的なものであったけれど、それはシテが「人間」ならぬものに変成する過程に穿たれた休止であって、こちらは老女物の常の作法の了解の枠内で理解ができるものであったように記憶するのに対して、今回の休止の経験はそれとは全く異質のものだったと言いたいのである。

 それを私は、またもや突飛な牽強付会と断じられることを引き受けつつ、ヘルダーリンが「オイディプスの注解」で提示した「中間休止」ないし「一時停止」、もともとは西欧古典詩法の概念の一つであるcaesuraに由来するけれど、ヘルダーリンを介し、その後ベンヤミンが、アドルノが、更にはドゥルーズが基礎的な時間概念として取り上げるそれに突き合わせてみたいのだ。否、正確には、その瞬間を経験した後、「あっ、これだ」と直観したというのが経験したことの正確な説明になるのであって、そんな瞬間にまさかここで遭遇するとは予期していなかっただけに、それは大きな衝撃であると同時に、啓示的とでも言いたくなるような経験であった。

 それは「蝶番の外れた時間」であり、そこで露わになるのは、檜垣の女が想起する或る個別の過去の経験の想起ではなく、自伝的自己を備え、過去の経験を(必ずしも自明なものとしてではなく)自らのものとして引き受けることを余儀なくされ、その裏返しとして老いを意識し、死を意識することを宿命づけられた「人間」が抱え込んだ「構造」そのもの、人間がその下で生きることを運命付けられた条件そのものなのではないか。「一時停止」した瞬間、永遠に続くとも感じられ、見所にとって耐え難い、パニックを惹き起こしかねないような持続において、老女は一息つくべく休憩していたわけではないと私は断言したいのだ。彼女は寧ろ、その主体にとって全くの受動的な状態、いわば仮想的な死とでも言うべき状態を通過していたように感じられたのである。

 それ故、囃子が再開し、シテが動きを取り戻した瞬間、私は震えが止まらなかった。囃子が掛け声とともに刻んでいくリズムがそのまま、生ある存在が、とはいえ単に生命体であるだけではなく、まさに「人間」のような高度な心性を備えた有機体(だが一方でそれは恐らく「人間」に限定されず、或る種の高度な心性を備えた他の種もまた含まれうるだろう)が刻む「生命のリズム」そのものと感じられ、自分の中で血が巡り、温かみが全身に拡がるのを感じたのである。所作が極度に抑制された静かで控えめな舞において、記憶する限り一度きり足拍子が踏まれたのを私が記憶しているのもまた、「中間休止」の後、シテが動き始めて暫くしてからのことであり、その音は、「中間休止」を潜り抜けることによって、何か不可逆の出来事が出来したことに誠に相応しいものと思われた。


 繰り返しになるが、上記のような感じ方が私の主観的なものであり、自己の文脈への牽強付会であることを否定しようとは思わない。私の側にそのようなことが起きる文脈があることに直ちに思い当たるからで、別の(とはいえ、全く無関係ということはないばかりか、根源では同じ基盤の上に立っていることを私は疑わないが)文脈において、自伝的自己を備えた生命体としての「人間」の宿命や、それと不可分の関係にある「芸術」の起源に関する検討にあたり、四半世紀に亘って温めてきた「時の逆流」という概念を切り口に考えて行くという構想を公にし、検討を進めていくことを表明して間もなく、これから具体的な作業に着手すべく、「中間休止」を先ずは取り上げようとした矢先のことであったことが、このような受け止め方に影響しているのは間違いないことだ。だがだからといって、凡百の経験が「中間休止」の範例となる筈はなく、このような稀有な経験ができたことについて、香川さんを始めとする演者の方々に対しては御礼の言葉が見つからない程である。

 だがその一方で、同時にまた、序の舞に後続するキリの部分が私にとっては大きな謎を突きつけるものとなったことを書き留めて、この感想を終えることにしたい。

 「中間休止」を経て「再開」に、いわば「甦生」に成功した主体は、舞を終えるとそのまま、昔を回想しつつ(「昔に帰れ、白河の波」)、「水を汲み続ける」ことを述べ(「水は運びて参らする」)て、自己の救済を願う詞(「罪を浮べ賜び給へて」)とともに、それまで持っていた扇を水平に保持したまま床に置き、ワキの僧に跪いて合掌した後、扇を床に置いたまま立ち上がり、横を向いて留めた後、そのまま舞台を去ってしまう。床に残された扇の印象は鮮烈なものがあり、見所は否応無くその意味に思いを巡らせることを強いられる。

 それをどのように受け止めるかは、序の舞の「意味」同様に見所が自ら探り当てるべきものなのだろうが、まず詞章に基づいて考えるならば、後場の冒頭、檜垣の作り物から外に出た折には持っていた水汲の桶を舞の前に後見が引き取ったことを思い起こして、ここでの扇は水汲の桶を表していると考えるのが自然だろう。「このように水を汲んで持って参ります」と、汲んだ水を満たした桶を置いて去ったのであると。だが、些か瑣事拘泥めくが、再び水を汲み続けるのであれば、桶を持ち帰らないのは何故なのか?という疑問が湧くかも知れない。そのような見方の先にあるのは、同じく救済の願いを述べて終わってしまう老体の能である「実盛」同様、もう水汲みの必要がなくなったのではないか、輪廻の悪循環から開放され、救済されたことを象徴しているのではないか、という解釈であろうか。

 だが私個人の印象はそれとは些か異なるものであった。先行する序の舞での扇の印象があまりに鮮烈であったためか、扇を置いたことが、直接には恰も舞うことの放棄であるかのように感じられたのである。尤もその帰結するところは大きくは異ならないのかも知れない。というのは、恐らくは舞うことと水を汲むことは必ずやどこかで繋がっているからであり、水を汲む必要がないことは、因果の向きの解釈を中断してしまえば、舞うことの放棄と相関しているのは確実だからである。一見したところ舞うことは彼女の若き日の驕慢と結びつき、執心の原因でもあり、彼女が経験した地獄の責め苦、シジュフォスのように水を永遠に汲み続けること(檜垣の女の伝統そのものにはなくても、或る種の神話的な変換により到達できるヴァリアントとして、もしかしたら桶の底は抜けているのかも知れない)の原因であったかに見える。だとしたら、彼女は僧の法要の功徳で舞うことへの執心から開放され、結果として最早水を汲む必要もなくなったということになるのかも知れない。

 だが再び、私は少し違うようにその場で感じたように思う。確かに舞うことは執心であり、そこからの解脱、開放が目指されるべきなのかも知れない。けれども舞うこととは、人間にとって、まさに生きることそのものではないのか?檜垣の女一個人の固有の運命ではなく、それを我事として受け止めた時、各人なりの「舞うこと」を止めることができるだろうか、と問うてみるべきなのではなかろうか?「業」という言葉で名指されているそれは、世阿弥にとって、そして同じく能楽師である香川さんにとっても、文字通り舞うことに他ならないだろうが、そうではない人間にとってもまた、別に他の何か、生き続ける理由であって良いのではなかろうか?そしてそれは、個別の経験を超えて、今ある姿の「人間」が構造的に抱え込んでしまった宿命の如きものではなかろうか?私はあろうことか、「檜垣」の中に、「人間」が「人間」であり続けるための条件、引き受けざるを得ない宿命のようなものを見てしまったように感じたのである。


 またもや異なる文脈、差し当たりは西洋で主張された説の紹介となり恐縮だが、ジュリアン・ジェインズは西洋の歴史の中でホメロスの『イリアス』の時代においては、現在と心の構造が異なっていて、人間は自伝的自己を備えた意識ある存在ではなく、現在なら「幻聴」として認識される右脳からの「神の言葉」を左脳が受け取って、その命ずるままに行動する「二分心」の時代があったという仮説を提唱している。「二分心」の時代には、コンピュータがプログラムの通りに動作するというのと或る意味では重なる(だが次厳密に言えばそれとは区別される)意味合いにおいて神の命じるままに、現在のみに生きていたものが、農耕と戦乱といった社会構造の変化や文字の発達などといった要因から「神の言葉」が聴こえなくなり、その結果として各人が異なる仕方で、自伝的自己ある高度な意識を備えることと引き換えに、「隠れたる神」への呼びかけを行うことでようやく生きる意味を見出しうるのではないかと論じているのである。(そしてその意識の獲得の過程を、その結果陥ることになった野蛮ともども刻印しているのが、アドルノが『啓蒙の弁証法』において取り上げている『オデュッセイア』に他ならない。)

 そしてそこでは「芸術」「芸能」は、まさに「業」として引き受けることを余儀なくされた「人間」の宿命とされているのである。(「檜垣」に関してしばしば示唆される「遊女」としての「業」に象徴される性的なものとて、単純にそれが個体の有限性と引替えに選択された有性生殖の機構として捉えるのであれば、「人間」の成立から遥かに遡って、寧ろ地球上の「生命」の進化の謎の問題となるであろうけれど、寧ろここでの問題は、やはりジェインズが述べているように、意識を持つ存在となることと呼応して本能から分離した結果、性的なものに対する自己認識が成立したことと呼応していると考えるべきであるように思われる。)

 「人間」の宿命というのが余りに大袈裟で、大上段に振り被った物言いであるという咎めに対しては、芸能が、芸術が何時から存在するのか、何故存在するのか、そして何時まで存在するのか?(というのも、今やAIの発達に伴い、技術的特異点(シンギュラリティ)の向こう側が論じられるようになっているからであるが)ということに限定しても尚、「檜垣」はその根源的な在り方を示し、答を示唆しているように思われる、と応えたい。恐らくはその是非は措いて、人間が人間であり続ける限り芸能・芸術がなくなることはないし、裏返せば「AIによるAIのための芸術」は、現時点の技術的な達成水準においては端的に不可能なのである。芸術は一見したところ余剰、徒花に見えて実際にはそうではなく、人間が人間であることの基本的な条件に関わっているという構造がここで示されているに違いないのである。

 それにしても舞の停止、舞の放棄が何を意味するのかという問いは依然として開かれたままであるが、ここで私にできることは、今ひとつの中間休止たる「息のめぐらし(Atemwende)」こそが「詩」であるとする、パウル・ツェランの講演「子午線」を参照し、かつての執心の対象であり、ここで停止したものが何で、その替わりに解き放たれたものが何であるか、あるいはまた、何がそのことを可能にしたかについて考える導きとすることでしかない。

「(…)
 詩―それは息のめぐらしを意味するものであるかもしれません。詩はもしかするとその道のりを―芸術の道のりでもある道のりを―このような息のめぐらしのために進むのではないでしょうか?
 もしかすると詩は、疎ましいもの、つまり奈落ならびにメドゥーサの首、深淵ならびに自動機械が、まったく同じ方向に並ぶように思われるところ―まさしくそこで、疎ましいものから疎ましいものを区別することに成功するのではないでしょうか。もしかするとそこで、メドゥーサの首はたじろぎすくみ、自動機械は停止してしまうのではないでしょうか―一度しかないこの短い瞬間に?
 もしかするとそこで、一つの「わたし」とともに―そこでそのようにして解き放たれ疎ましいものとなった「わたし」とともに―もう一つの「別のもの」が、自由の身の上となるのではないでしょうか?
 もしかすると詩は、このときから、自己自身となり…こうしてこの芸術のない、芸術から解放されたありかたで、これまでとは別の道のり、しかもやはり芸術の道のりではある道のりを、進んでいくのではないでしょうか―一筋に?
 (…)
 詩は―あれこれの極端な定式化のすえにさらにもう一つ定式化することをお許し下さい―詩は、おのれみずからのぎりぎりの限界において自己主張するものです。―それは、みずからの「もはやない」からみずからの「まだある」の中になおも存続しうるために、みずからを呼びもどし連れもどすものです。
 この「なおまだ」はただ一つの語りかけであるかもしれません。つまり、単なる言葉ではなく、ましてやおそらく言葉からの「語呂合わせ」などではないのです。
 そうではなくて、現実のものとなった言葉、ラディカルではあっても同時にまた言葉によって画される境界や言葉によってひらかれる可能性を記憶しつづけるところの個人的なしるしを帯びた、解き放たれた言葉なのです。
 詩の「なおまだ」は、自分がみずからの存在の傾斜角のもとで、みじめな生き物としてのみずからの存在の傾斜角のもとで語っていることを忘れない人間の詩の中にのみ見出されるものかもしれません。
 とすれば詩は―これまでよりさらに明確に―ひとりひとりの人間の、姿をとった言葉であり、―そのひたすらに内面的な本質からいって、現在であり現前であるのです。
 詩はひとりぼっちなものです。詩はひとりぼっちなものであり、道の途上にあります。詩を書くものは詩につきそって行きます。
 しかし詩はまさにそれゆえに、つまりこの点においてすでに、出会いの中に置かれているのではいでしょうか?―出会いの神秘のうちに。
 (…)」

パウル・ツェラン「子午線」(飯吉光夫訳)より

 そしてそうした認識に立つとき、この能が数多ある作品の中での最奥に位置づけられることも不思議ではないように感じられる。現在と断絶した過去の記憶に基づく自伝的自己としてのアイデンティティーは、そのまま「老い」と「死」の自覚に繋がり、それらを「中間休止」の毎に通過して甦ることによって存続しているという「自己」の「構造そのもの」をここまで端的に提示する作品は他には思いつかない。

 世阿弥の芸能・芸術論がしばしば人間の生き様に関する示唆として読まれるのも不思議なことや不当な拡大解釈ではなく、寧ろ、生きることというのはどこかで美的なものを通じて自分が発生した条件を超えていくことそのものであり、逆にそのような生き方はどこかで芸能・芸術に繋がっているからではなかろうか。そしてその限りにおいてもまた、「檜垣」程に普遍性のある作品は思い浮かばない。そしてもしそうであるならば、個々人の観能の経験をどのようにして自分の事として咀嚼するかは、見所の各々に課せられた宿題なのだろう。

 繰り返しになるが、私個人としては、まさにこのタイミングで他ならぬこの演能に接することができた僥倖を改めて強く感じずにはいられない。これまた人それぞれであることは承知の上で、再度我事として思えば、同じ演能であっても、例えばこれを30歳半ばを過ぎる手前で拝見して同じように受容できたとは到底思えない。更にまた、演者の一生をかけての修行の過程におけるそれも含めた演能の持つ重みを思えば、それに十分に見合ったように自分が受け止められているかどうかについては心許ない限りだが、さりとて、例えばもう数年馬齢を重ねてから接したとて私の能力の限界が変わるとも思えず、受け止め方は恐らく大きく変わることはないのかも知れない。以前、別の演能の感想を記す折、死を直前にしたデリダの「生きることを学ぶ、終に」という言葉を思い浮かべたが、結局のところ、それを愈々我事として何処まで引き受けられるかに懸かっているに違いない。

 だが、そんな宛て処のない思いに耽ることは止め、時間はかかっても、受け止めたものを自分なりに咀嚼し、拙いなりにでも表現や行動に齎すことこそ、受け止めたものに相応しい応答として求められていることに違いない。それについては後日を期することにして、もう一度香川さんを始めとする演者の方々に感謝の言葉を述べて、一旦はこの拙い感想の結びとしたい。

(2019.9.15初稿, 2024.6.24 noteにて公開)

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