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やめちまおう。心身を削るくらいなら。

◆とにかく忙しい
 人手不足をしり目に、仕事が個人への責任を強化し、他人に気遣う暇もなく、みながみな孤立化していないだろうか。
 たとえば、経営多角化で会社が生き残るためリスク分散するのはわかるが、人が増えない中でひとりひとりへの負担は大丈夫か。

 ひとりひとりが忙しすぎて、仕事も責任もチームで処理したり共同化できず個人に過度な負担がかかるから、ふだんから全く休めない状況を作るのかもね。

孤立してませんか。(unsplash)

◆無関心になる
 多忙になればなるほど効率化にばかり目がいくので、周りのことには"無関心"になることが常となるか。余計、周りとのチームワークは取りにくくなる。
 協力体制とれないから、なおさら忙しくなるのも仕方ない。

日々山積していく仕事の数々(unsplash)

◆やめちまおう
 目の前に今やらなきゃならない仕事があるならば、一体誰の為に今それに取り組むのか?改めて考えてみてはどうだろうか。

 特に、何のためにやってるか想像が及ばない雑務や意味がない雑務に近いことなら、いっそ、こっそりスルーして適当にあしらってみたらどうなるだろうか。
 スルーしたとしても、世の中は意外と何も変わらず平々凡々と過ぎていくかもしれないね。

 想像以上に誰も困らないのが常だったりする。
 そうすると、余計に一体それは誰が必要としている仕事なのか疑問に感じてくる。

 マジで検証してみたくなる、あれもこれも。
 なんたって無関心が蔓延るのだから、スルーしたって意外と悪影響は少ないものだ。

 そうすることで仮にバレて瞬間的に自分の評価に影響したとしても、無関心な世の中ゆえやがて忘れ去られるのがオチか。

 もしかしたら、無駄に社畜にならない働き方が見つかるかもしれないね。ちょっとでもやばそうなら、早めに辞める判断材料になるかもしれないねぇ。

◆気づく
 心身を削るほどまで歯を食いしばって眼前のことに注力し頑張る価値とは何か。自己成長を期待できるならよいが。
 もしかして、視野狭窄になっていないだろうか検証を。

一体なんのために?(unsplash)

 自分の人生で一番大切なことが、こんなことに命を削ることだったのだろうか?
 たった一度の人生、せっかく授かった命を会社の都合で無駄に削ることのないよう願うのです。

 12月に過労と体調不良から寝込み、診察したところ指定難病がみつかり、その後1ヶ月半病床に伏していてこんなことを感じていました。30数年働いてきて、ちょっぴり反省しているんだなぁ。

 たった一度の人生、自分が満足できるもっと楽しいことにたくさんの時間を費やさねばならない、とね。

              yoitenki4110

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