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オープンエンド症候群

『ソナチネ』『その男、凶暴につき』『HANA―BI』を観て、なんか全部バッドエンドだな、と思い、これは北野武監督の思惑とは違うだろうが、オープンエンド症候群というタイトルを思いつき、何かそれでものを書いてみようと思い立ったのだが、驚くほど何も書けない。
オープンエンドとは、小説や映画の表現技法のひとつであり、結末を受け手に委ねる、というものである。
つまりは「想像におまかせ」である。

ハッピーエンドは幸せに終わって、バッドエンドは不幸に終わって、そのどちらでもないオープンエンドにするってことは、まだ結末を作りたくないからだ。その先になにか希望を持っていたいからだ。というような内容の詩でも書こうと思ったが、本当に何も浮かばない。
他にもcosy catastrophe 「心地よい破滅」というSFの概念があるらしく、それもうまく絡めて使おうと考えたが、なにも思いつかなかった。
仕方がないから過去の自分のメモを漁って、何か詩の足しになるかと思いきや、そこに書かれているのは、最早なんの意味も持たない、効力の切れた、ただの言葉の羅列であった。少なくとも私にはそう見えた。

以下、意味のないメモ


人生停滞自己闇中 焼酎

極圏に咲く花のような

ここでは不協和音だけが有効だ

ずぶ濡れの道に横たわって打ちつける雨など
どうでもよく

魂は売ると安いが買うのは高い

酒。走り。笑い声。息切れて儚く。

残した風は吹いていてね。


これをうまく使えるほど私に技術はないし、実際うまく使えなかったし、もしかしたら、詩というものは大抵、その時だけに意味を為す、いわば爆弾のひとつというか、なんというか、うまく言えないけど、そんなものなのかもしれない。誰の耳にも届かなかった詩の成りそこねは、そのままただの残骸として、空に浮かんでいるだけなのかもしれない。

こうして何日もの時間が経って、私の近辺にあるものは、詩の残骸か、冷めた熱源か、そのふたつしかない状態で、この日記すら残す意味はあるのだろうかと考えたが、やはりとりあえず残しておきたい。まだこの言葉たちにハッピーやバッドといった、そんな結末を作りたくない。いつかこの言葉たちに意味を持てる日が来ると、希望を持ちたい。そう感じたから、残すことにする。
これがオープンエンドであり、そんな終わり方だらけにして結末を先延ばしにしてしまう私はオープンエンド症候群だ。
あぁ、やっとこれで少しだけうまく書けた。
なにかを作ることができた。

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