自分メンテナンスとこれからの方針

車は整備不良では安全を欠く。
PCはアップデートをしないといつかは使えなくなるソフトがある。
人もものも、それらならでは、のメンテナンス(他の言い方のほうがしっくりくるかな)が必要なんだと思う。
個性がありすぎてほんとうにその人それぞれ、である。

そして、全ては変化しているのだから、メンテナンス方法も変化していくのが自然、いつまでも同じではいられない。

あれれ、そう思っているけど、よくよく自分のこと眺めていこうとすると。
どうヘンテコメンテナンスをしてきたのかな、わたし・・・?
いつから心配、不安、思考が過剰になったのだろうか。
愛より不安が動機になることがいつのまにか多くなって不安定がデフォルトになった?
無知を恐れて調べすぎて知識過剰だったかな・・・
怒り、恐れ、臆病が育ちすぎた?

私は自分メンテナンスをずっとせっせとしてるつもりでここまできて
「なんとかなっている」「きっとこれが良い」と思いこんで、すっとんきょうな方向に行ってたところが多かった?
ヘンテコな方向に行ってしまったとしても、それは悪いことでもない。
試行錯誤と創意工夫を繰り返して自分を生きること、それ自体を楽しんだり、楽しくなくてもその経験をしたかった(潜在意識的ゾーンで、たぶん)
だから自分なりの良しとする氣持ちで進む。
方向転換、やり直し、心変わりを好まない人たち(日本的文化の影響?社会的観念?環境要因?)は時に、否定的に眺め評価してくる人もいるけれど、完璧さはない世界にみんな生きているわけで。

最終的な結果や答え合わせなんていつどうやってできるのだろう?本当の意味ではできません、たぶん。

だから、不完全さを愛する、楽しむ、人にも自分にも。
柔軟さ、って本当に大事だなぁ。明らめる(受け入れる)ことも。

全ては本当に機会。

なんだって、大きな視点で眺めたら完璧としか見えないかもね、総合的に。
まぁ、人にも自分にも説明しようとしなくても、もういいかな。

今、もともとの弱いところが出てちょっとしんどいなーと感じるけど、これも手放し、毒出し、と思うことだってできる。
「感じる」ことから見えることがあるものだ。
自分の体調不良でも、自分の癖や態度でもなんでも、もう嫌だと思ってる自分自身の反応も更新していくと、理屈では説明できない奇跡も状況も生まれるものだ。条件や状況で嘆くような過去からのパターンをやめてみると楽になりそう。

どこにフォーカスするかは選べる。
この肉体を持ってこの時代の地球で肉体を持って経験すること、それを成長に活用していくことを楽しめるだけ楽しんだほうがいいな。

自分自身を楽しんで変化していくこと、柔軟に自分らしく。
愛とユーモアはいかなるときも忘れずに。

そういうわけで、私はより快適で楽なほうを選ぶ、感謝と喜びにフォーカスしていくことにします。





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