「絶対見てるし、押している。」アーティストインタビュー 香月恵介
みんなのギャラリーでの作品展示に合わせて行ったインタビューです。
香月が作品のモチーフとして研究したモネのことや、過去のシリーズについて、デジタルと作品との関係性とこれからのアートのあり方など、幅広いトピックについて触れた内容となりました。
ーまずは、よく聞かれることだと思うんですが、どうやってこの絵画を制作してるのかを教えてもらえますか?
ピクセルの256段階の明るさの数値を解析し20色に置き換え、絵の設計図を作っています。RGBそれぞれ20色ですから全部で60色ですね。設計図どおりに色を配置することで絵が完成するシステムです。
ーえ、20色しか使ってないんですか?
20色×3ですね。RGBそれぞれ20色ですから60色ですね。
ーそうか。それでも、60色しか使ってないんだ。
そうです。赤緑青3列の明るさが変化することによって色が定まります。絵の中の色の差異は60色の組み合わせだけで変わっているんです。
ー例えば緑が明るくなると、それはどんどん白に近づいていくということですか。
そうですね。
ー逆の方向に行くと黒くなっていくと。
はい。
ーそうすると、赤の一番明るい絵具と、緑の一番明るい絵具は、ほぼ同じ色になっちゃうんですか?
ほぼ同じ明るさに設定はしてます。ただそれは厳密なものじゃなくて、僕の目で見てやっているから、コンピューターどおりの色にはなっていかないんです。
絵具には明度と共に彩度があるんですけど、光には明るさしかない。明るさの凄い微妙な違いによってディスプレイは再現をしているんですけど、絵具には彩度の幅もあるんで、僕の作品の場合は常にその彩度の幅が微妙にブレてるんですよね。その彩度の微妙なぶれによってイメージの色がちょっと変だなっていう感じにはなっています。
ーそれは、先ほどのRGBの各20色の絵具を、自分で合成するからブレが発生するってことですか?
そうです。そういうことです。実際それが絵具の色と光の色との決定的な違いになっていて、光の色を絵具に置き換えたときの誤差を生んでいます。
ーその誤差によって生じる変な感じというのは、それは作品の個性というか、全然許容できると思えるものなんですか?それとも、常に誤差はなくしたいと思っているんでしょうか。
許容というか、それを受け入れるしかないというスタンスです。自分が自分の目でそれを再現しようとしてるけど、まあできないというのが常にあるので、ブレはむしろ絶対に起こるものだというかんじですかね。
ー要はその、それを言い出しちゃうと…ということですかね。
そうですね(笑)まあ絵具でやってるんだから当然、それは起きるんで。
ーモネの場合は、それ以前の画家たちと違って外で描くということを行ったわけですけど、外の光というのは刻々と変化しますよね。だからなのか、モネは室内に持ち帰ってじっくり描くこともしていたという話だったかと思うんですけど…つまりモネも、常に変化にする景色と絵に描く風景とには違いがあるけど、とはいえ、どれだけ見た景色に近づけるかということは念頭にあったんですかね。
モネはそれよりも、自分自身の印象とか、野外で描く対象を見た時の瞬間的な見え方、印象みたいなものを描いていたんだと思います。そしてそれは、実際に野外で描いてるか描いてないかはあまり重要じゃなくて、たぶん自分の目に焼き付いたイメージを再現しようとしたのだと思うんですね。
ーふむふむ。そうか。
だから、時間帯によって光の加減が刻々と変わるルーアン大聖堂も、その時々の印象を再現してるということで何枚も描いているという話なのかと。
ーなるほど。しかしあれだけの枚数を、ほとんど同じ構図でというのは…建物自体に相当魅了されたということなんですかね。
これはモネ関連の書籍にも書いていますが、ルーアン大聖堂っていわゆるモニュメンタルな存在になるわけですよね。そういったものを描くということには、商業的な意識もあったようです。
ービジネスマインドですか。
ルーアン大聖堂は写真の絵葉書の構図を引用したんじゃないかという話もあって。商業的に映えるイメージを使う意識もあったような気がしています。
ーほお、映えですか。なんとなく今っぽい感覚というか、例えばSNSの写真などで使われるエフェクトとかフィルターというのは、オリジナルの写真の見え方ではなく、また実際に目で見えるものとも違って、要は自分はこう見せたいという、印象を良くしたいということで使うわけですよね。
モネの描き方っていうのは、モネの見方でもあると思うんですけど、モネがどういうふうに対象を見てるかということの現われが、モネのスタイルになったということですよね。
晩年のモネが、ある若いアーティストから描き方について聞かれたときに、この描き方は私の見方だから、君が同じように描くことはできないと答えたという話もあります。
ーモネしか使えないフィルターですか(笑)。
まあモネは、君には描けないと答えたわけですが、彼のような描き方というのはある種のスタイルとしてモネが作り出し、今に残っているわけです。そのことというのは同時に、以降の人々に新しい対象の見方を与えたということでもあると思います。
ーたしかに。
写真が台頭してきた時代の中で、これまで写真的な役割を持っていた絵画はなくなった。そこから今度は逆に、写真的な絵を描こうとする流れが起こったと思うんですけど、結局それって、当時最先端だった技術メディアに対して、絵描きが反応したということだと思うんですね。
その文脈でいうと、僕がやっていることもそれに近いと思っていて、つまりディスプレイのRGBのシステムというのはメディアにおけるひとつの出力方法で、それが昔は写真だったんですよね。メディアとしての映像機器を通して新しいものを作ろうとするありかたというのは、モネやターナーのことを色々調べていて、共通している部分なのかなと思っています。
ーモネの絵画が、写真の発明と関係しているように、香月さんのPixel Paintingは、ディスプレイの発明以前には成立することはなかったということが言えますよね。
ーPixel Painting は、ディスプレイの光を絵具で再現する試みであるのが見て取れる一方、サイズをモチーフの絵と同じにしていることからか、最初見た印象では、ディスプレイの印象は薄いようにも思います。何というかつまり、私たちがテレビ画面とかPC画面の規格サイズに慣れているからというか。それで思い出したのですが、以前描いていたシリーズで、正方形に画面を統一した作品がありましたよね。
1600Colorsというシリーズです。
ー改めて香月さんのHPをみたら、これまでに31枚描いてますね。
そうですね。ピクセル絵画を始めた時期に一気に描いていて、一、二年くらいの期間で全部描いてます。1600Colorsは、60cm×60cmの画面に1.5cm幅でピクセルを配列すると、40×40列で1600ピクセルになるんです。
ーふむふむ。
基本的に1600ピクセルをただ描いてるというだけで、それが網羅的に溢れてるインターネット上のイメージを描くというコンセプトになっています。
ーなるほど。
モネやターナーといった美術史のラインとはまた違う、ただの画像の集積という意味合いから、同じフォーマットのサイズで大量に作るということで展開しました。描くイメージも絵画から引用したり、していなかったりします。
ーというと?
絵画から引用したイメージにこだわらず、例えばシリーズ最初の3枚は、これは画像じゃなくてランダムにピクセルを置いただけなんです。
ーあ、そうだったんですね。モチーフはなんだろうと思っちゃいました。
最初はそこからスタートして、徐々に固有の画像の部分をピックアップして描くというふうにシリーズ化していったんです。
ー例えば、「1600Colors No.014」という作品のモチーフはなんですか?
ボッティチェリのプリマヴェーラです。
ー画面のどこをトリミングするかは、感覚的に行っているんですか?
そうですね。感覚的ですが、画像を認識できるかできないかぐらいのところを攻めるかんじです。
ー2015年っていうと、まだインスタグラムが一般化する前かな。このウェブサイト上に掲載している作品画像のグリッド状の並びはなんというか、デジタル画像の特徴的な並びになっていますね。
そうですね。網羅されているかんじというのが、インスタグラムの正方形での表示スタイルにも見られる特徴ですね。
ーサイズが60cm角で統一されていて、ある時期にまとめて描いていて、展示の仕方としては、ずらっと並べるような感じだったんですか。
想定としてはそうですね。このウェブサイトの一覧ページのような感じで壁に敷き詰めるというのがやりたくて当初は作ってたんです。結局実現しなかったですけど。
ー香月さんの作品のキーワードが「ディスプレイの絵画化」だとすると、このシリーズも、それを比較的伝えやすいシリーズのような気がしますね。
ええ。以前リキテックスの賞でグランプリになりロンドンへ作品を輸送して展示することになったんですが、ポートフォリオを見たキュレーターが1600Colorsからリヒターのロウソクと、ラトゥールのロウソクを選んでいました。それとPixel Paintingのモネの睡蓮、こちらはモチーフとサイズを同じにした作品で、この3点を並べて展示しました。
ー作家が意図することが伝わりやすそうなラインナップですね。
この1600Colorsシリーズとは別に、デジタル上にしかない、アイコンみたいものを作るというのも一時期やってて。また始めてみてもいいかなって今思い始めてます(笑)。
ーそれって例えば、FacebookとかTwitterといったアプリのアイコンだと、ちょっと違うんでしょうかね。
アプリケーションのアイコンというよりは、コンソール系のほうがいいなと思っていて。何気ないけど、みんな絶対見てるし、押しているけど、気付かれないみたいなもの(笑)。
ーなるほど。カーソルの矢印とかもまさにそうですよね。
そうですね。矢印は作ろうと思ったら、矢印の形のパネルから作りたくなっちゃって(笑)。できると思いますけど、そこまでするとなかなか大変そうだなと思ってまだできていないですね。面白そうではありますけど。
ー1600Colorsも、コンソール系ピクセル絵画も、また展示する機会を作りたいですね。
ーしかしパネルから作るとなるとどうやって作るんですかね。
サイズに関しては色々できると思います。ある程度解像度の問題が付きまとうんですけど、ただそれも、今のパソコン画面って凄く解像度が高くなっているので、そこまで問題にはならないかなと思いますね。
ーなるほど。
高解像度でイメージを再現できる現代は、その反動なのかいわゆるドット絵もよく見られますよね。一方では解像度の高いゲームがありつつ、一方で初期ドラクエみたいな最低限のドット数で描かれているものもあるし、今は飽和状態にあるなっていう気がしています。
ー飽和状態ですか。
最近やってるゲームなんかだと、CGの高解像度の世界の中にカクカクしたドット絵っぽいのを入れるという、ごちゃまぜみたいな感じの世界観がありますよね。
ーああたしかに、自分が見たのは、任天堂の歴代のゲームキャラクター達をフィギュア化したおもちゃなんですが、近年のリアルなキャラクターフィギュアのラインナップに紛れて、ゲームボーイ版ゼルダの伝説のリンクがあって、そのフィギュアの作りが完全にピクセルなんですよね。
モノクロドット絵時代のものですよね。
ーそうそう、懐かしくてつい買っちゃったんですが、たしかに昔のスタイルをあえて今のスタイルに入れ込むっていうのは結構ありますよね。状況的には、そこで進化が止まっているということでもあるんですかね。
うーん、そうですね…止まっている中でいかに転用するか、みたいな。
ー見せ方をちょっと変えて、新しく見せてるってことですかね。
そうですね。ゲームとかだと、そうすることで前の世代の人たちが参入してくれるといった意図はあるのかもしれないですけど。
ー私みたいなゲームボーイで止まっちゃってるような人とかがね(笑)。音楽の場合だと、Spotifyのような配信サービスを使っていると、ときどきSpotifyがおすすめする曲が勝手に流れてくることがあって、その曲が何十年も前の曲だったということがありますよね。でも実際にはそんなこともあまり意識せずに聴いてる気がしますけど。
そうですね。ピクセルアートも割と、最新のカルチャーの一部として見られるシーンが多いように思います。
ー世の中きっと、今となってはその起源について意識されないことだらけなんですよね。なんで絵を描くときにキャンバスを使うんだっけ?とかね。
無意識になってしまっていることは多いですよね。僕の場合は、素材に対しては合理的に、要は制作に都合の良いものを使っているという意識ですかね。
ーキャンバスにしてもパネルにしても、最適化されているから今でも残っているんだということは言えますよね。
そうですね。数百年単位の保存を考えると、キャンバスが凄く強いのがよくわかります。と言っても、キャンバスと油絵具の組み合わせで、かつそれが正しい使い方をされている場合に限る、みたいなところはやっぱりあると思うんですけど。
ー保存の話でいうと、NFTアートなんかも今はありますよね。
NFT自体は、今どれだけ実用段階にあるのかということが議論されているんだと思うんですが、とにかく注目はされていて、盛り上がってもいるようですが、今後はどう続いていくものなんでしょうかね。
今の子供たちなんかは、デジタルツールを当たり前に使えて、NFT的なものも作り出せる状態にはなっていると思いますので、そのこと自体は面白いなと思うんですよね。創造的な未来になっていきそうで。だから、技術が一般化して開かれていって、誰もが作れる状態になっていくというのは、すごく面白いことだとは思います。
ーそうですよね。一般化とか、デジタルの世界がよりリアルな世界になっていくと、気付いたときにはNFTの概念というのは、逆に薄まるというか、当たり前過ぎて意識することもなくなるということも、もしかしたらあるんですかね。
そうかもしれないですね。
ー例えば、ディスプレイの概念が出始めたときに、多分誰かが、「えー、0と1だけの世界というのがありまして…」なんていう話をしても、何言ってんだこいつ?みたいな反応が、あったのかは知りませんけど(笑)、今みたいにディスプレイが一般化した状態においては、仕組みとか在り方についての議論というか、意識することもないですよね。
問題が視えなくなっていったときに、一般化が進んだということが言えるんだと思いますよね。ディスプレイの発展が軍事的なものから派生したということも、僕も作品を作り始めたときに、その起源を調べていて分かったのですが、最初期のディスプレイはドットで作られるものではなくて、ベクター線という、曲線で表現するものだったそうです。
ーへえ。
ディスプレイの裏側にビームを発射する装置があって、そのビームの線上でしか表現できなかったそうです。そのビームの線が、面を光らせるか光らせないかで表現する方式、つまり0・1に変わったことでピクセルが生まれた。最初の構造からは全く違うものになっていったわけですね。
そういうことは調べないと分からないことですが、普通の生活の中で調べる機会はないでしょうし、そもそも調べようと思わないですよね普通(笑)。
ーたしかに(笑)。でも、面白いことだと思いますよね、そういった事実に触れられることというのは。なんでこれが好きなのかなって、もう一歩踏み込んでみるということですよね。
そうですね。
ーその過程を経た先に、作品が生まれるということなんですね。技術メディアに対してアーティストがどう反応するかという最初の方の話に繋がりますね。といったところで、今日のところはこのへんで。色々なお話を、ありがとうございました。
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