見出し画像

みんなのコンビニ

今年から節約のため自分でお茶を淹れるようになり、仕事前にコンビニに寄ることがなくなりました。自分で淹れるのは手間だなと始めの頃は思いつつ、これだけで結構な節約になることがすぐに実感でき、今のところ定着しています。けれどもコンビニというのは、いつでも確実に開いているということが私の中にはインプットされていますから、元の習慣に戻ってしまうのはとても簡単なことなのかもしれません。

緊急事態宣言の中でも、ずっと近所のコンビニだけは開いていました。時々、丸の内あたりのビルの中に入っているコンビニが週末に閉店しているのを見かけることがありますが、開いていないコンビニを見る機会というのは案外少ないのではないかと思ったりします。そういえば以前台北を訪れた際、ファミマとセブンが市内のあちこちにあって驚きましたが、コンビニといえば全国津々浦々どこに行っても変わらない、いつでも開いてるという安心感があります。

いわゆる、近くて便利。


変わらないといえば、店内BGMもその一つではないでしょうか。まず思い浮かぶのは、ファミリーマートの入店時に流れるお馴染みのチャイム。この曲は稲田康さんという方の作曲で、実はパナソニック製のドアホンの一つなのだそうです。音楽理論的には、三度と五度の音程が使われることによって「優しさ→空虚さ→安心」という流れがあるそうで、安心の手前に空虚が置かれているのが興味深いです。

そしてもう一つ思い浮かぶ曲としては、CMでよく聞くセブンイレブンの「デイドリーム・ビリーバー」。モンキーズというアメリカのバンドが1967年に発表した曲がオリジナルですが、忌野清志郎によく似ている人物"ZERRY"が率いる4人組の覆面バンド、”タイマーズ”が1989年にカバーしたバージョンの方がBGMとしては定着しているでしょうか。


この曲については、ちょっと面白い説がありますのでもう少し触れてみたいと思います。「すべてのニュースは賞味期限切れである」というポッドキャスト番組で、『ずっと夢を見てた?日本の国民的BGMともいえる「デイドリーム・ビリーバー」を深読みして解釈する』という回があるのですが、ここで同曲に関するある説が紹介されています。


今更ながらタイマーズというバンドは、いわゆる反体制的なスタイルの、いわゆるロックバンドであり、当然その名も「大麻」の隠喩でありまして、「TIMERSのテーマ」という曲にも「Timerが大好き」「可愛い君とトリップしたいな」という歌詞があったりします。そしてそのようなバンドのスタイルを理解したうえで「デイドリーム・ビリーバー」という曲を聴くと、その爽やかなメロディとは裏腹に、実は不穏な歌であるという解釈も可能になってくる、というわけです。

例えば、
「デイドリーム・ビリーバー(白昼夢信奉者)」
「もう今は 彼女はどこにもいない」
「朝早く(麻は薬)目覚ましがなっても」
「ずっと夢を見て安心してた」

といった具合ですが、言われてみるとうーんまあそうかなといった感じでしょうか。仮に深読みとしても、そう読まれてバンド的には構わなかったのかなとは思います。タイマーズって名乗っているわけですので。

むしろそうやって改めて考えてみると、おいおいセブンイレブンな感じにもなってくるよねということでポッドキャスト番組は議論が進んでいきます。
ちなみにタイマーズ版デイドリーム・ビリーバーは、1989年にエースコックのスーパーカップCMソングに使われヒット。その後2006年にサントリーモルツ、2011年よりセブンイレブンのCMで使用されるようになったそうです。

この曲がCMに使われた意図は分からないものの、バンドと曲が併せ持つ意味とは全く関係がなかったのだと思いますが(それはそれでどうかと思いますが)、私たちの生活圏の中にごくごく身近な存在としてコンビニがあり、それはもはやなくてはならない、便利で安心するものであることを考えますと、「コンビニが大好き」がすっかり定着している状況が、ウォッシングされ脱臭したはずの曲の意味を再び立ち上がらせることになっているということも言えなくはないなと思います。

さて、ここまでなぜコンビニについてこのような話を展開しているかといいますと、もちろんギャラリーの展示の話に繋げたいからでして、ここ最近、香月恵介threeが取り組んでいる、ディスプレイ(デジタルデバイス)とアートの関係にフォーカスした作品をギャラリーで展示するにあたり、オンライン・デジタル空間に意識を傾けることが多かったのですが、ディスプレイという言葉に「陳列、展示」といった意味も含まれることに気づき、オフラインの、現実の世界にまた意識が戻ってきたところで、吉岡雅哉という作家に出会い、彼が長年に渡り描き続けてきたコンビニの絵画を目にしたのでした。

「ひかりのあるところへ」吉岡雅哉
2016年 / 1303×970mm / キャンバスに油彩


「ひかりのあるところへ」と題されたその絵画には、暗闇の中で光るコンビニとそこに吸い寄せられる緑色の人物が描かれていました。この絵を見たとき、まるでここ最近私が見てきたディスプレイの中の世界とそこへ向かう意識の関係性とが重なるような気がしたのです。また別の作品でテレビ画面の前に座る人物の絵があるのですが、コンビニの作品と構図が類似しており、テレビ画面はコンビニでありコンビニはテレビ画面であるかのような描き方が、私にとってはオンラインとオフラインを行き来しながら、やがて両者が溶け合うような、これまで見てきた感覚とリンクし、私自身その光へと誘われていました。

https://www.instagram.com/p/CdWw8EJv8_x/


消えることのない、変わらないと思っていた安心の場所にも、実際は緩やかな変化があるように思います。例えば支払いが機械化して、レジ袋も基本的に使わないとなると、いずれコンビニは無人化が当たり前になるんだろうなと漠然とですが感じています。いつの間にか雑誌のカバーにはテープが貼られるようになり、コンビニで立ち読みする習慣もなくなりました。コンビニがなんとなく居られる場所でなくなると同時になくてはならない場所であるとき、ディスプレイがそうであったように、私たちは常に何かを見せられに、何かを促されに、またそこに足を運び続けるのでしょう。

「入学式」吉岡雅哉
2020年 / 803×652mm / キャンバスに油彩


みんな大好きコンビニの話が、私の場合どこか不穏な調子で書き続けていることにハッとしております。アーティストからすると、既に私は「いらっしゃいませ」な状態なのかもしれないですね。いつでもどこでもあるのがコンビニなわけですし。

おなじみのBGMもなく、シーンとしたイメージがアートギャラリーに対してあるかもしれませんが、私は明るい笑顔で皆様のお越しをお待ちしております。
っていうと、逆に不穏でしょうか(笑)。


NewChord_#2 - 吉岡雅哉 "コンビニ"
6月27日(月) - 7月16日(土)
13:00-19:00
休廊:日曜日
※7月2日(土)は都合により17時までの営業となります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?