某日のブログから 2016年 めざしている境地の差

某日のブログから

あるところで、一般公開していないブログを書いていました。週一くらいの更新です。一昨年度のブログの中から、ある日の記事を再掲していきます。

めざしている境地の差

今週は、月曜日と火曜日が札幌市内でコンプライアンス研修です。他の日は会社で打ち合わせを行います。研修は2月中でほぼ終了し、3月は、あまり研修はありません。この時期から、来年度の打ち合わせ、企画提案資料の作成などで忙しくなってきます。また、新しい研修内容を考えたり、研修内容をブラッシュアップしていくための時間、インプットする時間でもあります。

先日のある研修の最後に、個人的に次のように言ってくれる方がいました。

毎日が同じことの繰り返しと感じ、モチベーションも低下し、仕事に対する意欲が低下していく。自分自身も、周りもこんな雰囲気になっている。

研修内で仕事の目的などについて話しましたので、自分の中で、すとんと落ちたようです。そのことを、研修終了後にわざわざ言いに来てくれました。

今年度も、研修でいろいろなところに行きました。まったく同じ内容の研修を、受講生は違いますが、連続して数日行うこともあります。その時に、たまにこのように聞かれることがあります。

同じ研修を毎日行い、飽きませんか?

もちろん受講生が違いますので、全く同じようにはなりません。もちろん飽きることもありません。ほんの些細な、ほんの小さな変化があれば、研修も変わってきます。

ドラッカーが、非営利組織の経営の中で、次のように言っています。

日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行うよう自らを駆り立てる必要がある。「燃え尽きた」とは、たいていの場合飽きたというだけのことである。くだらないことと思われるもののために朝出かけるほど、疲れを覚えさせられるものはない。必要なのはほんの小さな変化である。
Peter F. Drucker 『非営利組織の経営』

まったくその通りだと思います。そして、仕事の刺激についても、次のように言っています。

仕事が刺激を与えるのは、成長を期しつつ、自ら仕事の興奮と挑戦と変化を生み出すときである。これが可能となるのは、自らと仕事の双方を新たな次元で見るときである。指揮者に勧められて客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。そのとき彼は初めて音楽を聴いた。その後は、上手に吹くことを超えて音楽を創造するようになった。これが成長である。仕事のやり方を変えたのではない。意味を加えたのだった。
Peter F. Drucker 『非営利組織の経営』

仕事のやり方を変えるのではなく、意味を加える。これは、すごく本質的なことだと思います。ときどき忘れそうになります。心しておかなければなりません。

私の尊敬する講師の方のブログに、次のように書かれていました。

「なぜ、自動車教習所の先生は、自動車の運転という有用性の高い技術と交通法規という価値ある情報を教示してくれたのに、卒業後、生徒たちは先生を招いて同窓会をやったり、先生の古希のお祝いをしたりしないにもかかわらず、F1ドライバーにサーキットで半日講習を受けただけで、「俺はアイルトン・セナにアクセル・ワークを学んだことがある」と機会あるたびに何年も言い続けるのか」・・この例え話の答え(教習所の先生とF1レーサーの差)は、「めざしている境地の差」であると書かれていました。
「本多講師、今どちら?」
http://blog.livedoor.jp/amri99/archives/2014-10-30.html

私自身も、このような境地をめざしていきたいと思います。

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