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迷宮エレベーター

 ターミナル駅前の商業ビル。エレベーターのドアが開くと、誰もいないその空間に向かって、デート中の2人は談笑を止めずに入り込んだ。
「知ってた? ここの地下レストラン街は穴場だって」
 智代 ともよ樹大 みきひろにそう言うと、エレベーターの地下1階を押した。
「高層階とか見晴らしのいいところにあるレストラン街も多いけど、ここは地下だけど美味しい名店が揃ってるんだよ」
 エレベーター移動中もそんなテンション高めの彼女を見て、ランチの場所1つでこんなに盛り上がれるって、付き合い始めの特典だよな、と樹大は心の中で感想をもらした。
「チン」
 小さな音をたてて、途中のフロアでエレベーターの扉が開くと、なぜか真っ暗な景色が広がっていた。
「おかしいなぁ。今日はここ、フロアごと休みとか?」
 智代がエレベータードア横のボタンを確認する。
「ん? なにコレ?」
 つられて樹大も操作ボタンの方を見る。さっきまで地下の表示は「B1」「B2」だったのに、ボタン全体が赤く光って、「ー1」「ー2」という表示に変わっていた。
「今いる場所が『0』ってのもヘンだよな」
「0階ってどいういうこと?」
 そんな会話をしていると、またドアが閉まってエレベーターが動き出した。

「チン」
 小さな音をたてて、ドアが開く。智代と樹大は恐る恐る様子を見る。到着した「ー1」のフロアは大勢の客で賑わっていた。そして、あちこちの飲食店には行列ができてるところもある。
「あ、なんだ。大丈夫っぽい?」
 智代がつぶやいて歩き出す。
「なんかおかしいな」
 樹大が周囲を伺いながら小さな声で言った。
「通路に出ているサンプルと値段、なんかおかしくないか?」
 そこには、どう見ても価格破壊が局地的に起きたとしか思えない額が掲示されていた。
「ハンバーグセットが300円って、あり得ないし」
「えー、ここのカレーなんか200円だよ!」
 2人でそう言い合っていると、店から客が出てきた。
「っていうかさ、どうしてこの店のお客さん、みんな変な髪型とかファッションなの?」
 智代が言う通り、明らかに昭和の格好をした人が多い。もはやテレビで見る懐かしの光景そのものだった。
「まさか、とは思うが…」
 樹大が少し歩いて、壁のポスター見つけると、智代を手招きした。
「これ見ろ」
 その声で智代もポスターを眺める。
「誰この人。え! 昭和50年って…」
 思わず口を手で押さえる。
「やばいよ。タイムスリップしたかも」
 樹大の言葉に、信じられないという顔の智代が言う。
「そんな… 何か昭和風のテーマパークに改修したとかじゃなくて?」
 智代がそんな仮説を口にすると、首を振った樹大が別の方向を指差した。
「あれ見てみろ」
 その先には、ピンクの公衆電話に10円玉を入れて電話をする人がいた。呆気にとられた2人が佇む通路には、昭和の名曲がBGMで流れていた。

「一旦冷静になろう」
 樹大の言葉に頷いた智代は、でも記念に、と思い出したようにスマホを取り出すと、周囲の光景やメニューの写真を取り始めた。
「とりあえずさ、あのエレベーターに乗ったら戻れるかな?」
 写真を取り終えた彼女は、もと来た方を指差して言った。
「かもな。行ってみよう」
 2人でこのフロアに降りてきたエレベーターに向かう。人が多いため、自分たちだけで乗らないとまずい気がして、少し空いているタイミングを待つことにした。
 やがて待ち人がいない状態でエレベーターが到着した。扉が開くと、中には誰もいなかった。そそくさと乗り込むと、すぐにドアの「閉」ボタンを押す。
「そういえば、来る時は『CLOSE』って英語表記もあった気がする」
 智代がそう言いながら、フロア指定のボタンを眺める。
「あれ? まだ『−1』ボタンがあるし」
「おい、10階の上見てみろ」
 樹大の声につられて智代も上を見る。そこには最上階であるはずの10階の先に、『+11』『+12』という新たなボタンが出現していた。
「なんかさ、乗る度に新しいボタンが増えるってどういうこと?」
 戸惑った声の智代に、かぶせるように樹大が言う。
「誰かが外から開ける前に移動した方が良い。10階まではこの時代の気がする。+11を押そう」
 そう言うと自分で「+11」を押した。
 エレベーターは不安気な2人を乗せて移動し始めた。

「チン」
 小さな音をたてて、エレベーターが「+11」に到着した。
 不安気に外を眺める2人。その視線の先には、レストラン街が広がっていた。
「ん? このビルって最上階は映画館だったよね?」
 智代の声に樹大が応える。
「やっぱり別の時代か?」
 2人はとりあえず外に出て歩くと、周囲を観察した。最初の店のディスプレイを見て、智代が声を上げる。
「何これ!」
 甲高い声を聞くのとほぼ同時に、樹大も衝撃を受けていた。
「15$… じゅうご、ドル?」
「ドルって、アメリカとかの通貨だよね?」
「何が起きてんだ。っていうか、ここはどこだ?」
 あたりを見回すと、壁に埋め込まれた広告用ディスプレイが目に入る。日本語の宣伝が流れ、いずれにしても外国に来た訳では無さそうだった。
「きす屋の牛丼!」
 樹大たちも聞いた事のあるメロディーに乗せて、美味しそうな牛丼の画像が流れ、字幕がかぶせられる。
「今なら、ポイポイPAYで払うとセットメニューが何と10ドル!!」
 それを見て智代が言う。
「なんでドルなの? っていうか値上がりハンパないね」
 即座にレートを計算したらしい彼女が言う。
「これって、もしかして未来…か? 未来の日本は通貨がドルに統合されたのか?」
 樹大が焦った顔で言う。
「そういうこと?」
 もはや何でもあり、という感覚が麻痺した顔の智代が言う。
 比較的人気の少ないフロアに、向こうから家族連れがやってきた。
「ねー、今日こそは本物の牛肉だよねぇ?」
 幼い女の子が見上げて父親に言う。
「そうだぞ。化学工場で昆虫から作った合成肉じゃなくて、本当に牛さんのお肉で作った『きす屋』の牛丼だ」
「昔はきす屋といえば、こんな高級レストラン街じゃなくて、もっと庶民的な店だったんでしょ?」
 40歳くらいに見える母親が言った。
「俺が小さい頃は、牛丼チェーン店は『はやい 安い うまい』って言われてたんだ。今じゃ『うまい』以外は別モノだな」
 家族連れが通り過ぎるのを、2人は黙って聞いていた。その言葉はにわかには信じがたいものだった。
「ねぇ、ここも私達の時代じゃない」
 智代が思い出したように言う。
「そうだな。記念撮影でもして、とっとと帰ろう」
 樹大もスマホを取り出してメニューやディスプレイを撮影し始めた。

 またエレベーターに戻る。ドアが開くと、先ほどまでは無かった鏡が正面にあり、そこには落ち込んだ2人の顔が映る。すぐに振り返って操作ボタンを見ると、先ほどの階層ボタンは「+20」まで増えていて、逆側も「−10」まで増えていた。
「なんか、進化してんのかわかんないけど、乗る度に変わってて困るよね」
 智代の嘆きを聞きながら、樹大はドアを閉める。
「わかんない時は、1階、だよな」
 そう誰にともなく言って、「1」の数字を押した。

「チン」
 小さな音がしてドアが開く。外を見ると、表の通りと出入りできる1階フロアの光景が広がっていた。
「今度は大丈夫?」
 智代が樹大の腕を掴んで聞く。
「どうだろう」
 樹大はそう言うと、2人でおそろおそるエレベーターの外に出る。行き交う人々の服装やお店の商品を見る限り、以前の世界と同じに見えた。
 そのまま表通りに出た。その光景を見るなり、智代が声を上げた。
「どういうこと?」
 樹大も呆気にとられてつぶやいた。
「な、なんで… 車がみんな左ハンドル… え? 右側通行?」
 智代は向かいのビルの看板を指差していった。
「あの広告、文字が左右逆だよ?」
 樹大は狼狽した声で言った。
「やばい。ここは鏡の世界だ」
「え?」
「鏡で見ると、すべて左右逆だろ? ここは我々の世界と、すべて左右逆なんだ」
「なんでそんなことに?」
 智代の疑問に、樹大も答えは持ち合わせてなかったが、先ほどのエレベーターの入口から見た正面に、大きな鏡があったことを思い出した。
「あのエレベーター、乗る度に別の世界に移動するんだな。最後のやつ、そういえば鏡があっただろ?」
 樹大の言葉に、異世界との移動に疲れた顔の智代がつぶやく。
「もう、どうしていいかわかんないよ。この迷路」
 2人はただ呆然と、大通りを行き交う車を眺めていた。

*この物語はフィクションです。