見出し画像

文字数制限


「今週、『は』が足りないんだ。何とかならない?」
 編集者の東山は、学生時代の友人でライバル出版社勤務の中島に頼み込んだ。
「お前さ、希少文字ならともかく、『は』くらい在庫管理しとけよ」
 中島は電話で溜息をついた。
「ま、今回だけだぞ。何文字欲しいんだ?」
「とりあえず、50文字」
「しょうがないな。交換条件で、うちは『楽』をもらう。10文字だ」
「あー、そっちも足りないんだ。でも仕方ない。ありがとな」
 東山は電話を切った。デスクに状況を報告すると、あとわずかの締め切りに向かって再び原稿に向かった。ふとスマホが鳴った。
「あ、嫁さんからメッセージだ」
 画面を開くと、「飯どする?」と表示された。「いらな」と返事を送る。お互い、無駄な文字を使わない苦肉の策だった。

 世界で文字数総量が規制されて2年経つ。通貨を管理する中央銀行にならって「中央文字管理組織」が各国に誕生し、我が国には「日本文行」が創設された。そもそものきっかけは、インターネットの普及に伴い、一般市民も大量の文字を新たに消費し始めた事だ。Webへの投稿が飛躍的に増え、SNSの普及がそれに拍車をかけた。既存の出版と合わせて、文字の需要が爆発的に増えたのだ。もちろん、文字自体は無数に生み出すことができるが、必要性の低いメッセージ、中身のない文章、そして人を傷つけるだけの投稿、そういった駄文が世に氾濫することになり、本当に必要な情報や価値のある文章へのアクセスが困難になるという社会問題を生み出した。業を煮やした各国政府は、中央文字管理組織を創設し、総量規制を行った。様々な言語の文字ごとに総数を指定し、日本の場合、医療・福祉関係、公共団体や登録されたニュースメディアには優先的に、それ以外の市民は1人あたり平等に、週ごとの使用量を制限し、超過した場合、新規の文字作成ができなくなることになった。不足分は各自が交渉して他者とやり取りするか、日本文行のストックを高額で購入するしかなかった。政府はこの規制が新たな税収にもなる点に期待していた。
 しかし何よりの効果は、市民が言葉を選んで文字を使用するようになったことだ。Webサイトや出版も少ない文字で簡潔に表現することが多くなった。結果、国民は時間を有効に活用することができ、経済活動が効率的に、活発になったのだ。もっとも学生だけは、教育目的の場合、文字数制限の枠が除外されるため、勉強の量が減ることはなかったが。
 また、表示される文字を使わないコミュニケーション、電話やラジオ、各種オーディオコンテンツが急速に成長した。人々は以前より、生の声で相手に状況を伝え、感じる事が飛躍的に多くなった。

「ただいまー」
「おかえりなさい」
 東山が家に着くと、妻がまだ起きていた。
「ご飯食べてきたんでしょ?」
 そう言うと、テレビに視線を戻した。
「ねぇ、最近のテレビって、みんなしゃべるだけだから、結構集中して見るよね?」
「そうだね。余計な文字スーパー出ないから」
「スマホも写真とか絵文字で会話するし、テレビもテロップが少ないから、字を忘れそうよね」
「でもニュースサイトや新聞は文字数規制が緩いから、結構読めるぞ」
「だけど自分ではあんまり書かないでしょ? おかげで絵がうまくなったわ」
 と妻は笑った。
「こっちは仕事だから大変だよ。今日も文字不足で友人に頼み込んだし、この制度なんとかしてくれないかな」
 東山は憮然として言った。
「さ、寝るか」
「昔なら、いびきに『ZZZ』なんて文字当ててたわね。贅沢な時代よね」
「そういやさ、以前は銀行とか保険会社も合併して長い名前だったよな。あれ、今じゃ信じられないよ」
「そうね。みんな今じゃ社名が『さ銀』とか『と銀』とかだもんね」
「メジャーな文字を使わない方が取引先に喜ばれたり、メディアに登場する機会が増えるからって、『銀』を『吟』に変えたところもあるしな」
「元の意味が分かりにくくて、ちょっとした謎解きみたいよね」
「そうだね。じゃぁ、お休み」

 翌朝、東山が会社に向かう途中、スマホの音が鳴った。画面を見ると、音声ニュース速報だった。耳をスピーカーにあてて情報を聞く。
「政府は、特定連続文字を総数制限から除外する検討を開始」
 どういうことだ、と急いで生放送をやっているラジオをネット経由で聞いた。
「…繰り返しお伝えします。政府は先ほど、現在実施している文字数制限から特定文字列を除外し、いくつかの連続した文字列、すなわち単語や言葉を、制限なく自由に使用できる検討を開始するとの発表を行いました。具体的な候補として『ありがとう』『ごめんなさい』『好きです』『愛してる』などが有力とのことです…」
 東山が会社に着くと、編集部ではこの情報について詳細を確認する作業に入っているところだった。
「いや、今回の方針は粋だね」
 東山が同僚の水岡に行った。
「感謝の言葉とか、相手を好きだとか、ポジティブな言葉は規制範囲外で自由に文字にしていいんだからな」
 それに対して水岡も頷きながら答えた。
「しかも、ネガティブな言葉、『バカ』『嫌いだ』『死ね』とかこれに準じる言葉を使うと、総数制限にペナルティが課せられて、その週は使える文字が減るっていうんだから、相当考えたな」
「今回の政策で、副島総理の支持率、また上がりそうだな」
「30代の女性首相ってだけで十分話題になったのに、さらにこのセンスだからな」
「もしかしたら、これで世の中が良い方向に変わるかもしれない」
 東山はそんな期待を込めて、その日の業務にあたった。
 やがて日も暮れ、多くのスタッフが家路に着く頃、東山のスマホに音声メッセージが届いた。
「今晩どう?」
 女性の声だった。
「OK」
 東山は文字メッセージで返信した。
「うれしい~ 貴重な文字、私のためにありがと!」
 彼女から返信の音声が届いた。

 それから3か月後、文字数総量規制から特定文字列を除外する法律が施行された。すぐにその効果が現れ、ネット上やメール等のやり取りから、罵詈雑言は激減し、代わりに頻繁に感謝の言葉や、好きです、と言ったポジティブな言葉が見られるようになった。そんな状況を国民が実感して間もなく、副島総理が記者会見で突然次のような事を発表した。
「今年の年末、12月25日までの1週間、特定文字列総数制限除外制度の特例制度を活用し、『愛してる』という文字列を、1週間内に1度のみの使用に制限する事といたします。またこれに関しては、個人間の取引、および日本文行の有償による文字制限緩和も認めない事といたします」
 記者たちは騒然となった。これを見ていた国民、特に思い当たる男性は言葉を失った。クリスマス前に、2人以上に同じ言葉を言えないのだ。

「ねぇ、クリスマス楽しみね」
 東山が家に帰ると妻が言った。
「あなたからあの言葉、いつもらえるのか、毎年楽しみになるわ」
 妻は笑顔でそう言った。
「そうだね…」
 東山はそう言いながら、思い出していた。あの副島首相の会見の後、抜け道がないか、次の企画と称して同僚と話していたが、結局一文字置きで表現しようと、一部を別の漢字に置き換えようと、英語で言い換えようと、あの言葉がきれいに揃わないと、相手に感づかれることに変わりないのだ。なんて上手いことを考えたんだ。さすがは女性首相。東山は、ここにきて「言葉の重み」を心底、実感していた。