ブランドを始める前、学生時代の話を少し
2011年3月9日
普通はブランドを始めるとき多額の借金をして始めるケースが多いです。飲食店と同じですね。しかし、僕の考えとしては、デザイン、パターン、縫製ができれば、基本的には生地代だけでブランドは始められると思っていました。
もちろん、商品になるレベルの縫製の知識と経験が必要なので、並大抵のことではありません。しかし、元々なんでも作るのが得意でしたが、学生の時に、ブランドをやっていくには自分で作れないと大変だろうと思いました。
完成品に一番近い仕事が縫製なので、縫製から極めようと思いました。毎回縫製の授業で一人だけ満点を取るようになるまでは頑張りました。その次にパターンを極めました。パターンも奥が深いので、厳密には、どんなデザインでも自分の作りたいものは作れるレベル、レディスでは一般的なデザインは全てと、メンズパターン(バンタンには業界で有名なメンズパタンナーがいます)を形からしっかりと学びました。
自分のコンテストの作品は、他の人が、コンテストまで3か月間、たった3体(コーディネートの数)のデザインをデザイン、パターン、縫製、をやっているのですが、僕はというと、それを毎回、5回やってしまいます。
第一に、3か月もあるんだから、いくらでも作れると思っていたこと、コンセプトやデザインを決めて進めていったが、仮縫いまで行くと、つまらないデザインだと思い、コンセプトから考え直し、というようなことを5回もやってしまうような学生でした。
たった3年間の学校生活でしたが、他の学生の15年分の作品を作ったということになります。
正直、卒業した段階で、縫製とパターン、デザインの構成力的にはプロでやっていける自信がありました。
服作りは天職だというのは直感的に分かっていました。ファッションの専門学校に来ているのに、ブランドの名前すら知らなくて、ファッションについての会話ができないという同級生が大半で、すごく不思議な気持ちになったものでした。自分は生真面目に、ファッションの学校に入るんだから、ブランドの名前くらい全部覚えなきゃと思って、高校生の時に雑誌に載っているものは全て覚えたのでした。
しかし、学校に入ってみると、ファッションリテラシーの低さに愕然として、服作りの授業も遅いと感じ、バイトに明け暮れて稼いだお金を高い洋服に全て使うという一年生を過ごしたのでした。
あまりに舐めすぎて、一人だけ一年生のファッションショーに出せないという失態を犯し、二年生からは真面目に頑張り、デザイン科にもかかわらず、パターン科の授業にも出て、東京コレクションのブランドAGURI SAGIMORIでインターンをし、夏休み1か月は毎日16時間もアトリエにこもって作業したほどでした。
ちなみにそのときのインターンは最初はパターン科のクラス全員20名ほどがやっていたのですが、最終的には全員辞めてなぜかデザイン科の自分だけが残っていました。根性とか、根気とか、情熱とか、そういった類のものが強かったんですかね。それかファッション愛か。
そして2年生の最後(実は2年制のコースだったので、卒展でした)、2年制と3年制の卒業生全員で上位10位以内が最終審査に行くのですが、なので、圧倒的に3年制が有利なので2年制の人は入らないのですが、唯一僕だけがランクインし、6位でした。なので、2年制の中では一位、1年長く勉強した3年制の方々のほとんどを追い抜いたことになります。
それがおそらく大きな成功体験だったかもしれません。ビリから始まり、頂点になり、勢い余ってその上の天井まで突き破ったという経験でした。ちなみに翌年は三年制の三年目に編入したのですが、3位入賞で卒業式に挨拶しました。しかも恥ずかしながら、自分の名前 Y O H J I を服で形作って、ヨウジヤマモトに対する自分の存在価値を訴えたような感じだったのですが、こんなふざけた作品は絶対に入賞しないだろうと、自分のやりたいことだけをやったのですが、入賞したので、これは成功体験という感じではないのですが、伝える事、表現することがちゃんとあれば、何であろうと評価されるんだということを学んだ経験でした。
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