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景色のコトダマ Vol.5 言葉は親がつくる

【ひきたはケチ】

小学校3年生のころです。西宮の小学校に通っていた私は、ある時イヤな言葉を聞きました。

「ひきたは、ケチや」

言われる覚えは全くありません。当時は、お金などふだんは使わないし、誰かに「ケチ」と言われるような話をしたこともありません。さぐっていくと、

「ひきたは、電話代がもったいないから自分のうちからは電話しない」

という話でした。自分でも意味がわかりません。しかし、夕方に下北沢のおばぁちゃんから電話があった瞬間に、その意味がわかりました。

少し前に母が、

「おばぁちゃんは、必ず電話をしてくれる。こっちからかけると『電話代がもったいないからかけ直すと言ってかけなおしてくれる。本当にありがたい」

という話をしていました。当時、遠距離のなると電話料金が高かったのです。私はこの話を友だちにしたのですが、うまく伝わらなかったのでしょう。

「電話代がもったいないから自分のうちからはかけない」

と伝わり「ひきたはケチだ」という話になったのです。

【好きな先生にきらわる】

ひとつ学年があがった春のこと。大好きだった前年の担任に対し、私がひどいことを言っているという話がもちあがりました。3年生の担任だったN先生が、1年の担任になってしまった。すごくしょげていた私に母が、

「N先生には、1年生がよく合うのよ。やさしいから」

と言ったのでした。新卒で赴任した先生はきれいで、やさしかった。しかも優秀でした。だから難しい低学年を担当したんだという話です。私も同じことを学校で話したつもりだったのですが、

「N先生は、勉強が簡単な1年生がお似合いだと、ひきたは言っている」

という噂になって流れたのでした。こんなことが先生に知れたら、嫌われてしまう。と思っても、もう遅い。言葉足らずの自分を痛感しました。

【親の言葉で育っていく】

自分の思っていることを、人に伝わる言葉にするのは難しいことです。子どもの頃の私の失敗は、何も知らない相手に対し、親から聞いた言葉を生半可に伝えたところにありました。背景を知らない友人は、私の話の面白い言葉だけを覚えて、人に話す。関西の子どもですから、そこに面白おかしく話を盛るところがある。それが伝播していくうちに、思いも寄らない評価となって私のところに戻ってくるのです。

当時は小学3年生です。「ゴールデンエイジ」と呼ばれ、人生で一番運動神経が発達し、記憶力が強くなるこの時期は、なんでもかんでも覚えるけれど、伝える力が雑であったり、頓珍漢でもある時代。だから、自分の思いが相手に伝わらなくて、ぶんむくれたり、しょげかえったりもする。その言葉も今から思えば、親の受け売りばかり。友だちや先生の影響もあるけれど、基本思想は、親が日常話す中から学ぶものです。親子関係の言葉を外に出せば、舌たらずにもなる。この失敗を通じて言葉は成長していくのかもしれません。

【ずっといるから、言葉が大切】

子どもを教えていて、「あぁ、これは親が家でよく言ってる言葉だな」とわかるときがあります。特によくわかるのが、何かがあったときのリアクション。親子でご一緒すると、あまりにそっくりなことに驚かされます。「うちの子は、どうしてあんな性格なんだろう」と言われますが、残念ながら他の子に比べたら、どう考えても親のあなたに似ている。しかも、親の比べて舌足らずで、ぶっきらぼうで、雑な表現になっています。でも、親から学んだ言葉であることは、間違いない。子どもはご飯同様に、親の言葉を食べながら、語彙を増やし、性格を形成し、心の力を養っていくもの。これは友だちやネットの影響とは比べられないほど大きいのではないでしょうか。

今、長い時間、親子がいっしょにいます。学校にいけない子どもたちから、「つまらない」「ひまだ」「やることがない」という報告が続々と届けられています。そんな子どもと長くいっしょにいる。親が大変なことは重々承知。泣き言を言いたくなる気持ちもわかるけれど、その泣き言も、不平も吸収して、子どもは成長しています。だから、いつも笑顔でいろと言うのではありません。言い争って、カチンとくることがあれば、親の方から拳をおろす。気分をパッと切り替える。その態度を子どもは学びます。再び学校が始まって、社会の中で成長するとき、力になるのは言葉。

いっしょにいる時間が長い今だからこそ、頭にとめておいて頂きたいのです。