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都知事選にしらけています

メルマガから転載

都知事選ですね。

多数の候補者の立候補に、
例のポスター問題など諸々話題になりますけど、
正直、シラけています。はい。

いや、私は何度も失望しつつも、
民主主義と、都民を信じています。
色んな人がいて、色んな意見があることが
民主主義です。
何かまずいことが起こっても、
「これはおかしいのではないか」と
声をあげる人がいることを信じていますし、
実際、私もそうしてきました。

ただ、青臭いことを言いますけど、
これからの東京都をどうしたいのという
ビジョン、議論が不十分かと。

「それ、都知事選の論点ですか?」と
思うようなこともあり。
いや、いいんですよ。
論点はどんどん設定していいんですよ。
実は東京都や都民の暮らしに
影響があるかもしれないわけで。
ただ、その論点にはノレない
というものも多く。

私、各論も大事にしますけど、
大きな構想を大事にする人です。はい。

国政選挙と都知事選は明確に異なります。
ただ、是非、賛否は大胆にスルーして語ると、
東京一極集中が現に進んでおり、
その是正は簡単ではない中、
日本の首都をどうするかという話であり。
こんなにスケールの低い話でいいのかという、
ピュアな問題意識を燃やすわけです。

たとえば、ビジネスや観光で
東京にやってきた海外の方は
東京をどう評価するのだろうと思うわけです。

「東京はすごい都市だった」と
評価してくれるのかと。

いや、外ヅラだけよくても
しょうがないわけですけど。

都市はいつの間にか、
比較され、競争させられているのです。
グローバル化とはそういうことです。
ロンドンやパリ、北京、ソウル、
(首都ではないですが)NYやサンフランシスコ
上海などと比べて、どうなのか、と。

言うまでもなく、都民の暮らしも大切です。
いや、最も大切です。
東京都民は幸せなのか、幸せに見えるのか。
そんなことを考えます。

NYに移住した友人たちの、
着いた瞬間にみんなが最高に自分らしく、
ハッピーな都市だという評価が忘れられず。
もちろん、実際には差別も格差もあり、
物価も高いし、犯罪も起こっているわけですけど。

その都知事選についてSNSで発信をするのも、
私ですら、やや勇気がいることです。

いや、批判が怖いのではありません。
皆さんの反応に戸惑うのです。

是々非々の議論ではなく、結局、
小池百合子にしろ蓮舫にしろ支持or批判、
さらには好き嫌いありきの話になるわけで。

何か言うと
「お前は、やはり蓮舫か」
「お前は左翼なのに本当は百合子だったのか」と。

「えっと・・・」と言いたくなります。

さらには、それぞれに
「ぼくのかんがえるさいきょうの小池百合子」
「わたしがだいすきな蓮舫」像が描かれていて、
いや押し付けられていて。

二人とも、
層により見え方が異なるわけで。

いや、それぞれ毀誉褒貶の激しい方で、
見え方はもちろん異なるわけですけど。
それぞれの支持者が思い描くような、
「酷い対立候補」だと見ていない
有権者もいるわけで。

「◯◯を支持するなんて信じられない」
「◯◯を支持する20代の女性が
 いることが信じられない」
みたいな話が跋扈するわけですが、
ファンとしての視点ならともかく、
もし、ジャーナリストや学者だったら、
いや、職業など関係なく、一市民として、
そもそもその姿勢が問題じゃないの?と。
そういうときに「なぜなんだろう?」と
考えることが大切であって。

「右だ」
「左だ」
と皆が思うほど、その政策や言動を
右だ左だと思っていなかったりするのです。

そもそも左と右、
さらには保守とリベラル、
愛国、憂国の意味の違いも
理解されていないのではないか、と。

「自民党政治への怒り」なるものがある中、
自公が小池百合子を
「自主支援」していたとしても、
彼女が怒りの受け皿になっている
構図もあるわけです。はい。

なお、「自民党政治への怒り」
なるものの受け皿は、
実はこれまで自民党だったりしたわけですが。
いまの局面だとどうなんでしょうね。

我が家は毎回、誰に投票するか
家族で熱心に議論するのですが。
今のところ、態度を保留しており、
自主投票の方針ですが、うーん。

ただ、選挙にいちいちマジであることは
我が家が大事にしていることであり。

最近、「読売KODOMO新聞」を取り始めたのですが、
娘への主権者教育も頑張っています。

まあ、そもそも娘は幼少期から
選挙の演説や投票の現場に連れ回し、
政治家の集会にも連れていっているのですけど。
私が幼少期にそうであったように
街宣車の上で、マイクを握ることに
憧れている、のかな。
近所の公園で候補者の演説を見て
「がんばってー」と叫ぶ姿は
微笑ましくあります。

幼少期に、祖母にたすきを作ってもらい
「北海道の独立、永世中立国に」
「なんでもタダ、食べ放題」
を掲げ、近所で演説、握手をした
自分の域にはまだ達していませんが。

「こんなんだったら、俺が出るんだった」と
1年に1回くらい考えるわけですが、
政治はこのようなピュアな想いを
食い物にする装置でもあり。
自分ができることは、「現場」から
「社会」を変えることだと思うわけです。
というわけで、今日も大学に行き、教壇に上がり、
会議に出て、原稿を書くわけです。はい。

選挙戦ももうすぐ後半戦ですが。
激しく傍観したいと思います。

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