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雑誌の編集者だった頃に学んだ「コミュニケーションを編集する」という考え方

雑誌の編集者だった頃、すごくしんどかったのが、一生懸命に企画して取材して書いた記事に対して、これといった反響もなく、1ヶ月も経てば掲載されている雑誌が書店から消えていくことだった。

一人編集部だった『編集会議』という雑誌(季刊誌)とは別に、僕が担当していたのが月刊誌の編集だった。

渾身の記事をつくったところで、その消費期限は雑誌が書店に置かれている実質1ヶ月。しかも1冊150ページ前後のうちの数ページだとすれば、読まれる可能性のほうが低い。

仕事自体はとても楽しい一方で、一生懸命につくった個々の記事の「手応え」が感じられないことに、当時は結構な徒労感を覚えていた。

でも、そんなしんどさが次第に消えていくきっかけになったことがある。それは、大先輩の編集者からこんな話を聞いたことだった。

雑誌というのはね、コミュニケーションのメディアなんだよ。週刊誌にしても月刊誌にしても、読んでいる人の多くはその雑誌を読むことを習慣化してくれている人たちで、つまりは固定の読者がいる。僕らはその人たちに情報を売っているんだけど、それだけじゃなくて、その情報を通じた「コミュニケーションをしていること」に意味がある。それが雑誌という媒体の役割であり、そのコミュニケーションにこそ価値があるんだよ。

出版不況が叫ばれ続けて多くの雑誌の「販売収入」が下がる中、もう一つの収入源である「広告収入」が好調な雑誌があると聞く。それは広告を出稿する側が、雑誌が持つ読者とその関係性に魅力を感じているからだ。

それらは、地道なコミュニケーションの積み重ねによる雑誌の「資産」でもある。そう考えれば、雑誌が「コミュニケーションのメディア」であることにも合点がいく。

コンテンツからコミュニケーションへ」というnoteでも書いたように、コンテンツにおける「どうすれば伝わるか?」という編集も大事だけど、読者と「どう関係性をつくるか?」という編集の重要性がすごく高まっている。

「コミュニケーションを編集すること」の重要性の高まりは、雑誌に限らず、今やあらゆるメディアに言えることなんじゃないか、とこの数年は感じている。

たとえば、ネットの記事の多くは、公開すると同時にネット空間という濁流のなかに放り込まれ、一瞬のうちに消費されて(あるいはされずに)流れていってしまう。

そんなことが繰り返されると、記事の作り手は徒労感を覚えしまいがちだけど、それも読者とのコミュニケーションと捉えることができれば、少しだけ見方が変わってくる。

何より地道なコミュニケーションの積み重ねなしに、メディアにとって最も重要な要素の一つである「信頼」は構築されない。

雑誌にせよネットの記事にせよ、そのほとんどはさほど多くの人に読まれることもなく流れていってしまう。でも流れてしまうからこそ、ちゃんと買ってくれたり時間をかけて読んでくれる読者がいることもまた事実だ。

その「読者」を、コミュニケーションの積み重ねによって、いかに「愛読者」にしていけるか。そんな「コミュニケーションを編集する力」が編集者には問われているし、今後より求められるのだと思う。

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